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世の中はシンプルにできている


こんにちは!あいでんです。

さて本日は宣言通り昨日のゼミを振り返っていこうと思います。振り返りというよりはただの頭の整理に近い感覚ですが。

ということで私の中でいくつか気になったポイントがあったのでそれぞれ話していこうと思います。


成長の尺度について

今回のゼミでは「〜成長しました。」という発言が多く、それに対して先生から苦言を呈する形で思考タイムが始まりました。何を持って成長としているのかその尺度を明示せよ、というわけです。できないことができるようになったら、上手になったら、できることが増えたら、etc...

その評価尺度も解釈も色々ありそうですよね。私の友人は「新しい概念が増えること、智慧がつくこと」という風に定義づけていました。もう少し説明を加えておくと、「知っていることをわかるようになること」だと表現していた気がします。これはひとつ納得してしまう意見でした。


では、私の場合はどうだろうか。いろいろごちゃごちゃしていたんだけど、なんとなく整理できたような気がするのでお話しします。まずは次の図をご覧いただきたい。

この四角の中にあるものがありとあらゆる知識や情報などが詰まっているとする。丸の中にあるものが自分でわかっているorそのことを再現ができる知識や情報などである。そしてライン状に存在するものが知っている(認識)しているがわかっていないことor再現ができない知識や情報などである。

このサークルが広がっていったときが「成長」ではないのかという結論に至った。つまりわかっていて再現ができるようになって成長したのだということです。ライン状が太くなっている段階は成長しているのではく、成長をする一段階前のイメージ。

おそらく友人と同じような概念ではないかと。まあ二人で議論していたので影響された可能性はもちろんあるけれど。


という風に考えると、雀の涙程度には成長ができているけれども、全くと言っていいほど成長ができていなかったなと感じる。私は去年の経験からこなせるようになっていただけで、成長までは至っていなかったのだと実感した。

というのも次のトッピクで話すことを全く理解していなかったからだ。



ゼミ選Pとはなんだったのか

ゼミ選Pとはなんだったのかと考え直してみたときに、「ゼミ選考を学生主体で取り組み採用について考えること」というようなもっともらしい意見のままでは思考停止に近い。私は昨日までそうだった。

確かにそういう側面はあるけれども、それは表層的なところであってゼミ選時の言葉を使えば「浅い」考えだ。


私個人の中でもう一歩踏み込んで考え直してみたときにたどり着いた答えは「買わせるマーケティングを学び、実践する場」だという結論がついた。これは昨年度に我々の学年が口すっぱく言われていたことでもあった。ある先生が仰っていたが、マーケティングとはあくまでも考え方なのだという。

これは買い物をしている人に「買え!欲しいでしょ!?」というような言葉をかけずに買ってもらうという考え方だ。しかしこれを設計しておくことが極めて重要なポイントになる。

勢いで買わせるのと設計した上で買ってもらえるのでは雲泥の差があるからだ。前項の言葉を使えば再現ができているか否かという話になる。つまりここで成長しているか否かを測ることができるのだ。

結論から言えば、これを理解し再現ができていないために成長をしていないと考えているわけだ。2年越しの成長だ。2年経ってやっと理解し始めるあたりがまだまだである。


もう少しだけ話をしておこう。この募集期間が始まるときに「あなたたちは自分の体験を語るしかないのだ」という話を先生から受けていた。その時の私は「それ以外のことを話せるほど優秀でもない、自分と向き合うことが重要になるし、そうすることでしか活路を見出せないから」という理解でした。

しかし、昨日のゼミの時間にその言葉の意味を理解した。先ほどの話で「買わせるマーケティング」という言葉が出てきたが、今回でいうところのお客さんは2年生である。

では、この2年生たちは何を買おうとしているのか。我々のゼミを購入したいただいた2年生、もしくは1~7期生までは、ゼミというものではなくゼミで得られると想定している体験価値ないしは経験からなしえる理想像的なものを購入している(そう仕向けられている)。これを聞き出すために我々は知らず知らずのうちに「なぜなぜ攻撃」をしているのだ。


では、何を持ってそれを得ることができるという判断をしているのか。それはゼミの先輩というフィルターを通して見たゼミの姿である。いわば先輩たちの体験や現在の姿を買っているのだ、そこに価値を見出して。

だからこそ我々ゼミ生は「自分の体験を語るしかない」のだ。それを買いに来ているのだから。先生はこうも言っていた。


「世の中は単純明解。難しく考えず、もっとシンプルに考えなさい。」


まさにその通り。ぐうの音も出ない。私はゴールデンサークルを理解している気になっていて再現ができていないのだ。なぜなら”What”であるゼミ選Pの表層的なところしか目が行かずに、”Why”に当たる「なぜこれを学生主体でやっているのか」ということを考えられていないのだから。

理解した気になっているひとほどタチの悪いものはない。そこに気づけたという意味では「成長した」のかもしれない。ただし雀の涙程度であるが。



最後に

ただ、買わせるマーケティングの注意すべき点として「私は欲しかった」と誤認させてしまうリスクがあると指摘していた。おそらくそれはよくある話だ。買ってみたら違った、ということはよくある。

だからこそゼミ内で常々こう言っているのかもしれない。


「自ら選択した道を正しくする努力をしよう」


そこまで設計済み、ということだろうか。もはや感心すら超えて畏怖すら覚えてしまうところではあるが、同時にそれを理解できてない自分にもどかしさや不甲斐なさを感じてしまう。

先生だから、私より賢い人だからと割り切ることもできるが、それはすなわち成長終了のお知らせが鳴り響く瞬間でもある気がしてならない。

だから不恰好に愚直に頑張るしかない。6期生(私の年代)よりも優秀な人と定めた「成長に貪欲な人」であるために。


それでは、また次回!

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