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ゼミ選をざっくり振り返る。


こんにちは!あいでんです。

ゼミ選考から一夜明け、大学の講義も終わったあたりでやっと一息つけたので、昨日のことを振り返りながら話していきたいと思います。

まだまだ通常運転に戻れていないのを実感しますね。おかげさまで今日の授業はふわふわしていたなーと少し反省しています。さ、本題に入りましょう。


採用について

やはりゼミ選を通して痛感するのは『人を取ることの難しさ』だと思う。人を採用するにはある基準が設けられるはずだ。その基準をクリアできているかどうかというのが、採用できるできないの1つのベースになる部分だ。

今回のゼミ選でいえば
・素直、実直、嘘をつかない
・自分たちよりも優秀な人を取ること

逆にいえば、これさえクリアしていれば採用可能のフェーズには入れるということだ。つまり他の基準は基本的にないものだとされるし、機械的に考えればそれ以外で人材の良し悪しを決めることはない。が、それだけで判別できるほど超論理的な人がいないのも事実だ。

それゆえに感情も入るし、個人的な価値観が入る。ゼミ選においては当人と接する時間が長くなるが故に感情がどうしても入りやすい傾向にある。私とて感情が全く入らないわけではない。


感情が入りやすい人も当然いる。現に感極まって泣いてしまう人もいた。しかし、採用条件を満たしていない人は採用が難しい立ち位置に立つわけで、それは個人の能力飲みに依存しているわけではない。担当してくれた人やタイミングもあるし、そういった意味では運要素が強い。つまり採用においては運要素がかなり強いのだ。

それを自覚した上で採用側は最善を尽くさなければいけないし、あるタイミングにおいては心苦しい決断を下さなければいけないこともある。それ故に取りたい人を取れないこともあるし、その逆も然りである。

だからこそ、立ち返る場所としてあるのが採用基準なのかもしれない。うちのゼミでは言語化を大事にしているけど、大事なのは言語化できることではなくて言語化するために努力=考えることなのだ。そういったところを間違えると落とし穴に落ちがちだなと思う。


理屈だけでも感情だけでも片付かないことこそに採用の難しさを感じた。


バイアスをかけない

もうひとつはバイアスをかけて相手と話さないということだ。今回これを如実に感じた。バイアスをかけて話してはいけないとわかっていてもついつい事前情報や予備知識でバイアスをかけがちだ。

バイアスをかけて話すと、相手の本音を聞き出すことも難しいし、相手も身構えがちになる。それに先入観や自分の価値観で相手と対応しがちだ。

そもそもそういったバイアスはそういう雰囲気を作り出してしまう。今回あった件も問題の本質はそこじゃないのかと思う。相手のことを考えるならフラットな目線と姿勢で相手と接することが重要だ。

しかし今回の私はバイアスをかけて相手と接してしまうことがままあった。そういう時は相手も警戒してお互いのためにならないことが多かったような気がする。フラットに接して180度イメージが変わった学生もいたし、その重要性を痛感した。

それゆえにそういう雰囲気も作らず、バイアスもかけずに相手と接することができる先生をはじめ、一部の学生には頭が上がらない。バイアスをかけずに相手と話すことがどれだけ重要で、どれだけ難しいかを今回感じた。



最後に

ということでざっくりとではありますが、ゼミ選のごくごく一部を振り返ってみました。全体的に振り返ってないのは明日のゼミがそれに関係する話だからというのがあるんだけれども、どうしても気になったことであったので今回は取り上げてみました。

最終日はいろんなことがあったけれど、それを糧に頑張っている3年生や2年生がいて、そういうところにゼミ選の魅力がひとつあるように感じる。

明日のゼミを通してまた思うことがあれば書こうと思う。ということで今回はこのあたりで終わろうと思います。

それでは、また次回!

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