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なるべく自分の言葉で綴る(AIに頼りすぎない)

このnoteを使い始めて3年経ちました。

自分が今関心のあること・興味のあることや今後やってみたいことなど、
頭の中でぼんやりと浮かんだことをありのまま文字にして起こす。

そういった行いを3年近く続けてきました。


今回は自らが考え、自らの言葉で綴ることの大切さと、

AIに頼りすぎないことの重要性について話したいと思います。



前述にもあったようにこのnoteを使い続けて3年近く経ちましたが、

決して毎日更新ではなく、

ある程度日数を空けるというか、

その日によって書きたい気分になれない又は全く何もしたくないといった気分に陥ってしまう時期もありました。


けれどこうして今も何とか生きてるので、少しでも元気があるうちにこうして文字を綴ることを習慣づけるようにしてます。

言語化の練習というか自分のアイデアを表に出す習慣てところですね。



昨今ではChatGPTなどAI(人工知能)などのツールを活用した記事やデザインなど色々あると思いますが、

個人的にはあまり利用しすぎないことにしてます。

もちろん使い方次第では作業効率の向上や時短効果など、色々メリットはあると思いますが、どうも人間味がないというか面白みに欠ける気がして、今ひとつAIを使ったコンテンツづくりに興味が湧かないんですよね。

最低限何らかの情報を調べる時であったり、何か勉強する際にわからないことが合った時に調べる1つの補助的な手段として使う分にはいいけれど、あまり鵜呑みにしないことにしてます。※あくまでも参考程度に。


一度ChatGPTを使ってmont-bellのアウトドアグッズや旅に関する記事をサクッと綴ろうかなと思ったのですが、

全っ然面白くない。物凄くつまらない相手と話をしてる時の感覚に近い。

事務的な感じがするというか、全く心に響かない。

その人自身が自ら体験して、その上で一人でも多くの人に伝えたい・自分の言葉で経験を綴りたいというような個々の想いが全く感じられない。

そう、心がこもってないんです。

こうやって綴ると単なる感情論を並べてるように見えるかもしれません。
しかしボクらはあくまでも地球上で生きる人間ですので、五感があって感情もあり、泣いたり笑ったりもする。

これ以上書くと人間の心に関する話になりそうなので省略しますが、

AIで自動的に表示された文面がどうしても好きになれない・役所や免許センターで発行されてる紙面に近いような感じがして、一切目にしたいとすら思わない。

紙の無駄遣い&費用の無駄。
免許更新の度にもらうけど即ゴミ箱行き。

寧ろ今この時を生きてる人が直接描くものであったり、その人が自らの感性を活かしてその人ならではの言い回しで書かれたものを見る度に心を動かされることが何度かあった。

それこそその人自身のバックグラウンドであったり、世界各国の文化・人との出会いを通じて学んだことや楽しいと感じたこと。

「あ!そうなんだ!」
「これは初めて知った!」
「めっちゃ大変そうだけどめっちゃ楽しそうだな」
「自分も思い切ってやってみようかな」

その人の人生の一部を読むことで自身の何らかのキッカケにつながることもあるわけですし、

自らの行動や経験が誰かの背中を押すこと・何かを知る・何かを始めるほんの僅かなキッカケにつながることもあったりするので、そういったモノは今を生きてる人にしか書けない。この辺は自信をもって言える。

よくAIが作成したイラストや音楽・動画が出回ってますが、

一度も面白いと思ったことがない。


個性が感じられない、いわゆるコピー&ペーストしてます的な感じが全面に出てる気がして、いずれも「わぁースゲー」て思ったことが全くない。


ある新聞のコラムで中学生の男の子が寄せた感想文があり、
新聞の一角にこう書かれてました。※だいぶ前の新聞なので曖昧ですが、可能な限り覚えてる範囲で再現してます。

ボクは人工知能(AI)が好きではありません。
AIを使うことが当たり前になりすぎると、自分の頭で考えなくなるからです。脳の働きが低下する・意思決定ができなくなる・考える力が衰える。
いざAIが無くなった時、自分の意思で行動できなくなったり何もできなくなる人が増える恐れがあるので、ボクは人工知能に依存することが当たり前の社会になってほしくないです。

これに対し一言。

同意


内心思ってたことを今の10代の子でも不審に思う子が少なからずいるんだなぁと内心感動すら覚えた。これについては的を得てるというか、もう素晴らしい。※明らかに10代の頃のボクよりもしっかりしてるなと感じた。


この他に昔読んだマンガで浦沢直樹の人気マンガ「PLUTO」に登場する
盲目の音楽家が「AIで作る音楽、そんなものは音楽ではない!」といって機材を取り壊す場面があったのを思い出した。

実際ボクもYoutubeやInstaの縦動画でよく流れる人口音声を用いた動画を目にした時、不快感を覚えた。

その瞬間ボクは戻るボタンを押し、即非表示にした。
(あの抑揚のない人工的な声色が生理的に無理。)


それくらい機械に依存することであったり、AIが提示する内容が全て正しい・疑問に感じることや違和感を押し殺してただAIの言う通りにする。


そんな未来を想像してみてほしい。

スッゴイ息苦しくない?

どう捉えるかは人それぞれですが、少なくともボクはそんな未来に魅力を感じない。

※極端に発達したAIが最終的に「人間て、もういらないよね」なんていう風に判断されたらそれこそターミネーターの世界になってしまう。考えただけでもゾッとする。


逆にボクは自らの感性に沿って良いものは良い。書きたいことを書きたい。
映したいものを映したい。

そういったことも含めて、自分の感性で文章を書き続けたいと思い、今でもボクはこうしてnoteを通じて自分が思ったことや感じたことをありのまま綴る様にしてます。

というわけで今回のテーマはこの辺でおわりにします。

ありがとうございました。

Thank you for reading to the end.
Have a good day.





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