夫婦関係最悪の時のアメリカ行き
今日はアメリカ行きが決まった時の状況を書こうと思います。私は悲劇のヒロインになりたいわけでも、その時の恨みつらみを書きたいわけでもなく、ただ「あの時の自分はこうで、今考えるとこう思う。」ということを書きたいだけです。その上で興味のある方だけ読んでくださいね。
夫婦関係が最悪の時に夫のアメリカ行きが決まりました。
アメリカ行きは関係がいい時から私も望んでいたことですが、まさかこのタイミングで決まるとは思いませんでした。
おぉぉーーい!このタイミングかよっっっ!!!!!!!
と天に突っ込みを入れたくなるほどでした。笑
離婚すれすれ状態で、夫には「2年来なくていいから」と言われていましたが、私は、自分と息子の事だけ考えて、アメリカ行きを勝手に決意しました。笑
この考えも人からすれば突拍子もない考え方なのかもしれないけど、この先、海外で生活することなんて一生ないだろうから息子にも私にもいい経験になるだろうし行こう!!!行ってダメだったら離婚して戻ればいいや!!!そんな風に思いました。
なので夫に、「いや、2年なんてありえないでし!?あなたが旅立った3ヵ月後に私たちも行きます。」と半ば強引に準備を進めました。
その頃の私はもう自分はシングルマザーのようなもんだと思って生活していたので、生活費以外で夫に頼ることはほぼなくなっていました。親にも頼れない環境で、その時はベイビーシッターをお願いするっていうマインドもなく。本当に心細かった。
全部自分でやればいいや、、、。そう思っていた。
そんなこんなしているうちに夫はアメリカに旅立っていった。そうして息子と私の二人きりの生活が始まった。
半分開き直っていた私は強気で頑張っていたものの、一歳児を抱えての海外への引っ越し準備は予想をはるかに超えて大変だった。
ただでさえ慣れない育児で毎日いっぱいいっぱいなのに、その上に引っ越し準備のタスクが増える。こなせるか自信なかったけど、必死になってこなした。
ある雨続きの日の夜、息子が風邪で嘔吐して布団やシーツが汚れてしまった。
あぁ、、、どうしよう家の洗濯機じゃ洗えない、、、。でも洗わなきゃいけないからランドリーに行かなきゃ、、、。でも外は雨、、、。
看病疲れのところに追い打ちをかけるような出来事、、、。(確かその時乳腺炎で私も発熱)
体調不良の息子をエルゴで抱っこして、汚れた布団とシーツと溜まった洗濯物を大きい袋に入れて、傘さして歩いて家から10分程のランドリーへ、、、。
とぼとぼ歩いていると、一台の車が横にとまった。窓がウィーンと開き
「高橋さん!大丈夫ですか!?」と声をかけてくれる男性。
よく見たら、お隣に住んでいる家族のご主人だった。
私「大丈夫です。ちょっと息子が吐いてしまってランドリーへ、、ついでに夕ご飯食べに行ってきます、、、。」
ご主人「そうですか、気を付けてくださいね!」
とその場を離れた。
ランドリーで洗っている間、ファミレスでご飯をたべた。
どんなに大変でも一歳の息子には関係ない事情、、、。泣き言を言える相手もいなかった。その時は悲しいとかつらいとか必死すぎて感じていなかったと思う。淡々とこなすしか方法はなかった。
ご飯食べた後、きれいになった布団とシーツを回収して家路につく。
あと数十メートルでマンションという所でまた車が横に留まった。お隣さんの車だ。窓がウィーンと開いて。
ご主人「もしよかったら乗って行きませんか?」
私「もう近くなので大丈夫です。ありがとうございます。」
と言ってわかれた。
家に着いたら、ドアノブのところに紙袋がぶら下がっている。中を見たら、
お隣の奥さんからだった。
「主人から体調を崩したと聞きました。よかったら食べてください。」
と丁寧なメモが入っていて、中には子どもが熱の時に簡単に食べれる飲み物やゼリー、手作りのおかずがたくさん入っていた、、、。
糸が切れたようにボロボロ泣いた。
と、、、、まぁ、こんな可哀そうなストーリーを自分で実現化させちゃってたんですよ。笑。「なんのドラマだよっっ!?」自分に突っ込みを入れたくなります。
きっと、隣の家のご主人は私から溢れる悲壮感に心配して一度家に帰ったものの心配になって探してくれたんじゃないかな、、、どんだけーーーー泣笑
その時の私のマインドは「誰も助けてくれない」「一人で全部やればいいや」っていうのが本当に強かった。
そうすると神様は、「ほー、、、そしたらコレもアレも全部できるってことねー!オッケー!」っていろんなことが巻き起こります。一見、神様が意地悪に見えますが、本当はそうじゃないんだと思います。
全部自分で背負ってしまう人や、周りに言ってもどうせ助けてくれない(理解してくれない)から自分でやればいいやって思っている人は、どんどん大変なことや面倒な事が起こりやすいです。周りを見渡すとそういう人っていませんか?
これも引き寄せの法則とも言えますが、本当のメッセージは
「一人で背負わなくても大丈夫だよ。それに気づいてね。」っていう事なんじゃないかな、、、。って思うのです。
そして、そんな状況に陥っている人は大体、声を大にして、「ツライよ!苦しいよ!心細いよ!」と叫べない人が多いような気がします。
「丸く収まるなら自分さえ我慢していればいい」とか、「私がやらなきゃ誰がやるの?!?!」、、。的な感じです。
でもこれって、よく考えたら、自分にとーーーーーっても失礼なことを自分が自分に対してしちゃってるんですよね。
本当の自分の気持ちを二の次にして無視している状態です。(ほとんど人が「正義感」が上回って気づかないかもしれません。)
「もぉ、ムリーーーーー!!」「誰か助けて!!!」「こんな大変な思いしたくない!!!」「さみしーよー、辛いよー、こわいよー、不安だよー」とか、、、本当はその時の私もあったんだと思います。でも、認めれなかった。
認めたからといって、自分の気持ちに従って問題を実際に放り投げてしまう、、、という極端な事ではなく、「自分の気持ちに気づいてあげてね」と大きな存在は伝えてくれてたんだな、、、、と思うのです。
「あ、、、私本当は辛くてさみしくて助けてほしかったんだ、、、。」って。
ただ気付いて知ってあげるだけで、そのあとの自分の行動や気持ち、起きる現象も全然違うように思います。
今の私は、「全部一人でやればいい」というマインドは皆無の状態で「困ったときはなんとかなるでしょ~~~」というゆるいマインドでいます。そして「自分は何が起きても大丈夫」という根拠なき信頼がふわっとあるのです。
この緩くて軽いマインドでいると何が起こるか、、、それは、数えきれないくらいのシンクロニシティー(偶然の一致)という形で、出会うべく人に出会い、必要な情報は必要な時に耳に入り、いろんな意味で豊かになるような気がしています。
血眼になって自分の人生をコントロールしなくてもいいんです。
「何が起きても大丈夫。起こるべくして起きている。なんとかなるででしょー。」というマインドは、天や神様、大きな存在を、100%信頼している事と一致するような気もしています。
そして同時に、自分自身を深いところで信頼していないと思えないと思うんです。
だから私は
神様を信頼する=自分を信頼する
ということなんだろうな、、、と思うのです。
あ、、、そこのあなた。怪しいと思いましたね。笑
まぁ、怪しいですよね。目には見えないものですからね。当然です。
でも私は、こういう世界を信頼して生きるって、軽やかで楽しくてわくわくするなって思います。
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