ZUUMA|新解釈キングダム・中国古代史妄想局

読めば漫画キングダムがより楽しくなります。日本と中国を行き来する会社経営者。福島県喜多…

ZUUMA|新解釈キングダム・中国古代史妄想局

読めば漫画キングダムがより楽しくなります。日本と中国を行き来する会社経営者。福島県喜多方市出身。猫が大好きです。勝者によって書き換えられた敗者の歴史を紐解きたいと思ってます。 拙著 https://bccks.jp/bcck/177415/info

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キングダム関連インデックス

記事のインデックスページです。 ヤングジャンプで連載中のキングダム考察をまとめました。ネタバレ情報がかなり含まれていますので、読む際にはご注意ください。一応記事内にネタバレ注意と記載してあります。 キングダムに登場する人物等についての考察をまとめました。 キングダムと直接は関係ありませんが、間接的に関係してくるトピックスをまとめました。 考察については、私の妄想がふんだんに盛り込まれています。史実の空白部分を深読みしたり、史実とは異なる見解をあえて考察しています。その

    • 韓「南陽割譲」の新解釈と「騰=辛勝」説

      鶴間和幸先生の著書「始皇帝の戦争と将軍たち」を読み終えました。 大変読み応えのある内容で、特に始皇帝の「近臣集団」、つまり秦の将軍や文官たちが始皇帝に与えた影響や始皇帝との関係性について、良く理解することが出来たと思います。まだ読んでない方は、ぜひ読んでみてください。 今日は、キングダム本誌で活躍中の騰(とう)について少し書いてみたいと思います。まずは前述の鶴間先生の著書から引用します。 秦の将軍・騰(とう) 重要な人物であったにも関わらず、残されているデータが非常に

      • 御礼

        ※本日は考察記事はありません※ いつも考察記事を読んでくださってる皆様にご報告です。先月の記事が、『最も読まれた記事の1つ』に選ばれたようです。 特にSNSでの拡散もしていない中でたくさん読んでいただいたのは、皆さまの検索能力の賜物だと思ってます。このブログにたどり着くことは、至難の業だと思います故…(笑) その中で、少し難解な記事もあるかと思いますが(語彙力が足りないため)、辛抱強く記事にお付き合い頂き本当に感謝してます。突飛な思考にも誹謗中傷など皆無で、自由に書かせ

        • 第807話考察・南陽城

          今回もネタバレ注意です。 前回の考察記事は下記をご覧ください。 第807話で、韓・南陽城が無血開城しました。 以前考察しました通り、南陽は史実では秦に割譲されてますので、実際に激しい戦闘は無かったと思われます。 史実では割譲、キングダム本誌では無血開城、ニュアンスは少し異なりますがほぼ史実通りなのではないかと感じます。 韓は、王都・新鄭に南陽の兵を集結させる予定です。今後は新鄭城での攻城戦または新鄭城近隣での平地戦が行われるのでしょうか。私には、韓王安にそこまでの覚

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        • キングダム考察と呂氏
          119本
        • 時事を弄る~JIJIIJIRI
          48本

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          第806話考察・三つの選択

          いつもお読みいただきありがとうございます。 本題に行く前に、御礼を。このブログですが、最近アクセス数が上昇しておりまして…1日あたりのPVが1,000PVを超えております。相当マニアックなキングダム考察ブログなので、私自身がびっくりしています。お付き合いいただき、本当に感謝しております。 今日の本題に行きましょう。 ついに、秦が韓の領土内に侵攻を開始しました。李信将軍の6万に、騰将軍の10万、合計16万の秦軍が韓・南陽に向かっていることが韓王都・新鄭に伝わりました。

          鶴間和幸先生の「呂不韋像」

          鶴間先生の新著 今日は最初に、今月12日(2024年7月12日)に発売された鶴間和幸先生の新著を紹介させてください。 始皇帝の戦争と将軍たち 秦の中華統一を支えた近臣軍団 (朝日新書) 新書 鶴間先生には拙著(「歴史から消された呂不韋の真実」)を読んで頂いた上に感想まで頂戴し、本当に感謝してます。私もこちらの新著を購入して、読んでいるところです。ぜひ本ブログに訪れた皆様も、手にとって頂けると嬉しいです。 映画キングダムも、最終章が上映されてますね。まだ観てないのですが

          秦による韓攻略戦~史実vsキングダム予想

          今日は秦による韓攻略戦について、史実に照らし合わせながら書いてみたいと思います。 史実 まずは、いつもの通り史実の流れを掴んでおきたいと思います。…と言いつつ、実は韓攻略戦についてはほとんど情報がない(薄い)のです。 ここで注目すべきは、南陽の割譲です。 紀元前231年に、韓は自ら南陽を秦に明け渡しています。このことから、韓は既に「秦の軍門に下る決心」が出来ていたのかもしれません。紀元前230年の騰による韓王都・新鄭への侵攻も、激しい戦闘が行われたのではなく、ほとんど

          秦による韓攻略戦~史実vsキングダム予想

          キングダム第801話考察・二つ目の柱

          こんにちは。夏本番ですね。キングダム本誌も熱くなりそうな感じです。下記は前回の記事です。 大変ありがたいことに、PV数(週間)が凄いことになってました。 今回もネタバレご注意ください。 前回、昌平君が「秦の中華統一」のために三つの柱を立てる必要がある、と言ってました。その1つが、「戸籍」です。 やはり、前回の考察記事の予想の通り、戸籍作りは徴兵のためであることが今回判明しました。具体的には、ここから半年で30万人の兵力を動員するようです。 そして今回、「三つの柱」の

          キングダム第801話考察・二つ目の柱

          キングダム第800話考察・三つの柱

          前回の記事から少し時間が経ってしまいました。 今回もネタバレご注意です。 趙に大敗し、打ち砕かれたように見えた秦の中華統一。もはや万策尽きたのか…と全員が思っていたところで、昌平君が考えに考え抜いた策。それは3つあるようで、そのうちの1つが明かされました。 恐らく、この戸籍作りというのは徴兵が目的なのでしょう。ではあと2つは一体何なのでしょうか…始皇帝の治世で主だった政策を挙げるとすれば、以下の通りです。 ・郡県制の採用 ・貨幣、度量衡、文字の統一 ・車道幅の統一

          養蚕から分かる邪馬台国の場所

          先月、養蚕技術について少し記事を書きました。 本日は、養蚕技術がもたらした絹について少し深堀りしてみたいと思います。 秦始皇帝の時代に日本に伝わった養蚕 つまり、布目順郎氏は「養蚕は弥生前期末以前のある時期に、華中から九州北部にもたらされた」と主張しており(図4)、これは私が立てた仮説と完全に一致する。 ちなみに、布目氏が主張する「弥生前期」とは紀元前5〜紀元前2世紀であり、布目氏と私が考察する時代も一致する。 養蚕から分かる邪馬台国の場所 これも賛同したい。

          徐福の墓〜童男山古墳

          福岡県八女市。ここに、童男山古墳(どうなんざんこふん)と呼ばれる古墳群があります。一説では徐福の墓と言われており(物的証拠は無い)、行っておくべきだと思ったわけです。 福岡市から車で久留米市を通り、八女市へ。京都の新井崎神社のように、徐福の看板があるわけでもなく、ほとんどアピールも見ないまま、小高い丘を登った先に古墳群がありました。 駐車場完備。 6世紀頃の古墳群だそうで、徐福が生きていた時代から800年以上、経過した時代の古墳なんですね。 古墳群の先には、徐福像が。

          養蚕技術~日本に伝えたのは一体誰だったのか

          本誌・キングダムでは「勝てない戦はしない」王翦が、まさかの敗戦濃厚な展開になっていますね。「王翦…逃げるにしてもちょっと鈍臭くない?」と思った方も多いと思います。 史実では王翦が李牧に負けた記録は無かったと記憶してますが(秦軍は確かに李牧に大敗しています)、原先生が最も思い入れのあるキャラである李牧の強さを際立たせる効果と、このあとの展開における「王翦の凄まじさ」と「李牧の無念」をドラマチックに展開させる仕掛けがあると思っています。 さて、GWを利用して福島県会津若松市に

          養蚕技術~日本に伝えたのは一体誰だったのか

          南朝論を主張した徳川光圀

          かつて、天皇家が北朝と南朝に分かれて対立したことがあったのは、学校の歴史の授業で学びました。では、現在の天皇(徳仁天皇)が北朝か南朝か問われた時に、答えられる日本人はどれくらいいるのでしょうか。 答えを先に書くと、北朝です。 上記の天皇系図は、宮内庁が公開しているものです。北朝初代天皇の光厳天皇まで遡れば、良く分かると思います。現在の天皇家が北朝の子孫であることは、議論の余地の無い事実なのです。 「大日本史」を編纂した水戸・徳川光圀のことを知らない人はほとんどいないと思

          図解|太行八陘から見る趙包囲ルート

          新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。 昨年は「歴史から消された呂不韋の真実」を出版して、このブログで書いてきたことの1つの集大成となった気がしています。皆様に応援いただいた結果でもありますし、本当に感謝してます。 まだ読まれていない方は、ぜひお手に取ってくださると嬉しいです。まだ書き加えたいこともあるのですが、それは次回のお楽しみということで、引き続き歴史の探求をしていきたいと考えています。 キングダムで展開される「秦の趙攻略戦」

          図解|太行八陘から見る趙包囲ルート

          出版|歴史から消された呂不韋の真実

          今まで呂不韋について執筆してきた考察をさらに深掘りし、まとめたものが出版されましたのでお知らせいたします。 以下のブックストアで購入できます。電子版よりも紙本のほうをおすすめいたします。 BBCCK AMAZON 紀伊國屋書店 ソニー・ストア 私は学者でもなければ作家でもないので、エンタメ要素を持たせつつ、できる限り史書を引用しながら執筆しました。歴史が好きな方にも、そうでない方にも、楽しんでいただける本になったと思っています。ぜひお手に取って読んでもらえたら嬉しいです

          出版|歴史から消された呂不韋の真実

          キングダム第771考察・雪辱戦

          さて、久々の考察です。 時は紀元前232年、秦と趙による番吾の戦いが描かれようとしています。 壁の視点キングダム本誌では、史書にはない面白い構図が1つ形成されています。皆さんご存じの、秦将・壁。彼が捕虜として使役させられているのが、番吾という設定になっているのです。 その壁曰く「ここ(番吾)にはすでに李牧の罠が仕掛けてある」というコマがあり、壁はその罠の存在に気づいている模様です。他のコマもくまなく見たのですが、それがどんな罠なのかはまだ分かりません。この史書にない設定