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キングダム考察と呂氏

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キングダムの考察と、呂不韋の氏族(呂氏)の歴史を辿っています。妄想が凄いので御理解の上、お読みください。
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キングダム関連インデックス

キングダム関連インデックス

記事のインデックスページです。

ヤングジャンプで連載中のキングダム考察をまとめました。ネタバレ情報がかなり含まれていますので、読む際にはご注意ください。一応記事内にネタバレ注意と記載してあります。

キングダムに登場する人物等についての考察をまとめました。

キングダムと直接は関係ありませんが、間接的に関係してくるトピックスをまとめました。

考察については、私の妄想がふんだんに盛り込まれていま

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韓「南陽割譲」の新解釈と「騰=辛勝」説

韓「南陽割譲」の新解釈と「騰=辛勝」説

鶴間和幸先生の著書「始皇帝の戦争と将軍たち」を読み終えました。

大変読み応えのある内容で、特に始皇帝の「近臣集団」、つまり秦の将軍や文官たちが始皇帝に与えた影響や始皇帝との関係性について、良く理解することが出来たと思います。まだ読んでない方は、ぜひ読んでみてください。

今日は、キングダム本誌で活躍中の騰(とう)について少し書いてみたいと思います。まずは前述の鶴間先生の著書から引用します。

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第807話考察・南陽城

第807話考察・南陽城

今回もネタバレ注意です。

前回の考察記事は下記をご覧ください。

第807話で、韓・南陽城が無血開城しました。

以前考察しました通り、南陽は史実では秦に割譲されてますので、実際に激しい戦闘は無かったと思われます。

史実では割譲、キングダム本誌では無血開城、ニュアンスは少し異なりますがほぼ史実通りなのではないかと感じます。

韓は、王都・新鄭に南陽の兵を集結させる予定です。今後は新鄭城での攻城

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第806話考察・三つの選択

第806話考察・三つの選択

いつもお読みいただきありがとうございます。

本題に行く前に、御礼を。このブログですが、最近アクセス数が上昇しておりまして…1日あたりのPVが1,000PVを超えております。相当マニアックなキングダム考察ブログなので、私自身がびっくりしています。お付き合いいただき、本当に感謝しております。

今日の本題に行きましょう。

ついに、秦が韓の領土内に侵攻を開始しました。李信将軍の6万に、騰将軍の10万

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鶴間和幸先生の「呂不韋像」

鶴間和幸先生の「呂不韋像」

鶴間先生の新著

今日は最初に、今月12日(2024年7月12日)に発売された鶴間和幸先生の新著を紹介させてください。

始皇帝の戦争と将軍たち 秦の中華統一を支えた近臣軍団 (朝日新書) 新書

鶴間先生には拙著(「歴史から消された呂不韋の真実」)を読んで頂いた上に感想まで頂戴し、本当に感謝してます。私もこちらの新著を購入して、読んでいるところです。ぜひ本ブログに訪れた皆様も、手にとって頂けると

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秦による韓攻略戦~史実vsキングダム予想

秦による韓攻略戦~史実vsキングダム予想

今日は秦による韓攻略戦について、史実に照らし合わせながら書いてみたいと思います。

史実

まずは、いつもの通り史実の流れを掴んでおきたいと思います。…と言いつつ、実は韓攻略戦についてはほとんど情報がない(薄い)のです。

ここで注目すべきは、南陽の割譲です。

紀元前231年に、韓は自ら南陽を秦に明け渡しています。このことから、韓は既に「秦の軍門に下る決心」が出来ていたのかもしれません。紀元前2

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キングダム第801話考察・二つ目の柱

キングダム第801話考察・二つ目の柱

こんにちは。夏本番ですね。キングダム本誌も熱くなりそうな感じです。下記は前回の記事です。

大変ありがたいことに、PV数(週間)が凄いことになってました。

今回もネタバレご注意ください。

前回、昌平君が「秦の中華統一」のために三つの柱を立てる必要がある、と言ってました。その1つが、「戸籍」です。

やはり、前回の考察記事の予想の通り、戸籍作りは徴兵のためであることが今回判明しました。具体的には

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キングダム第800話考察・三つの柱

キングダム第800話考察・三つの柱

前回の記事から少し時間が経ってしまいました。

今回もネタバレご注意です。

趙に大敗し、打ち砕かれたように見えた秦の中華統一。もはや万策尽きたのか…と全員が思っていたところで、昌平君が考えに考え抜いた策。それは3つあるようで、そのうちの1つが明かされました。

恐らく、この戸籍作りというのは徴兵が目的なのでしょう。ではあと2つは一体何なのでしょうか…始皇帝の治世で主だった政策を挙げるとすれば、以

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養蚕から分かる邪馬台国の場所

養蚕から分かる邪馬台国の場所

先月、養蚕技術について少し記事を書きました。

本日は、養蚕技術がもたらした絹について少し深堀りしてみたいと思います。

秦始皇帝の時代に日本に伝わった養蚕

つまり、布目順郎氏は「養蚕は弥生前期末以前のある時期に、華中から九州北部にもたらされた」と主張しており(図4)、これは私が立てた仮説と完全に一致する。

ちなみに、布目氏が主張する「弥生前期」とは紀元前5〜紀元前2世紀であり、布目氏と私が考

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徐福の墓〜童男山古墳

徐福の墓〜童男山古墳

福岡県八女市。ここに、童男山古墳(どうなんざんこふん)と呼ばれる古墳群があります。一説では徐福の墓と言われており(物的証拠は無い)、行っておくべきだと思ったわけです。

福岡市から車で久留米市を通り、八女市へ。京都の新井崎神社のように、徐福の看板があるわけでもなく、ほとんどアピールも見ないまま、小高い丘を登った先に古墳群がありました。

駐車場完備。

6世紀頃の古墳群だそうで、徐福が生きていた時

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養蚕技術~日本に伝えたのは一体誰だったのか

養蚕技術~日本に伝えたのは一体誰だったのか

本誌・キングダムでは「勝てない戦はしない」王翦が、まさかの敗戦濃厚な展開になっていますね。「王翦…逃げるにしてもちょっと鈍臭くない?」と思った方も多いと思います。

史実では王翦が李牧に負けた記録は無かったと記憶してますが(秦軍は確かに李牧に大敗しています)、原先生が最も思い入れのあるキャラである李牧の強さを際立たせる効果と、このあとの展開における「王翦の凄まじさ」と「李牧の無念」をドラマチックに

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南朝論を主張した徳川光圀

南朝論を主張した徳川光圀

かつて、天皇家が北朝と南朝に分かれて対立したことがあったのは、学校の歴史の授業で学びました。では、現在の天皇(徳仁天皇)が北朝か南朝か問われた時に、答えられる日本人はどれくらいいるのでしょうか。

答えを先に書くと、北朝です。

上記の天皇系図は、宮内庁が公開しているものです。北朝初代天皇の光厳天皇まで遡れば、良く分かると思います。現在の天皇家が北朝の子孫であることは、議論の余地の無い事実なのです

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図解|太行八陘から見る趙包囲ルート

図解|太行八陘から見る趙包囲ルート

新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

昨年は「歴史から消された呂不韋の真実」を出版して、このブログで書いてきたことの1つの集大成となった気がしています。皆様に応援いただいた結果でもありますし、本当に感謝してます。

まだ読まれていない方は、ぜひお手に取ってくださると嬉しいです。まだ書き加えたいこともあるのですが、それは次回のお楽しみということで、引き続き歴史の

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出版|歴史から消された呂不韋の真実

出版|歴史から消された呂不韋の真実

今まで呂不韋について執筆してきた考察をさらに深掘りし、まとめたものが出版されましたのでお知らせいたします。

以下のブックストアで購入できます。電子版よりも紙本のほうをおすすめいたします。

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紀伊國屋書店
ソニー・ストア

私は学者でもなければ作家でもないので、エンタメ要素を持たせつつ、できる限り史書を引用しながら執筆しました。歴史が好きな方にも、そうでない方にも、楽しん

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