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秦による韓攻略戦~史実vsキングダム予想

今日は秦による韓攻略戦について、史実に照らし合わせながら書いてみたいと思います。

史実

まずは、いつもの通り史実の流れを掴んでおきたいと思います。…と言いつつ、実は韓攻略戦についてはほとんど情報がない(薄い)のです。

●紀元前234年 韓王安は韓非子を秦に送ったが、間もなく死んだ。
●紀元前231年 韓は南陽の地(現在の河南省にある太杭山脈以南、黄河以北の地域)を秦に献上した。土地を受け取った秦は、そこを進撃の拠点とし、韓への攻撃に備えた。
●紀元前230年 内史・騰が秦軍10万を率いて黄河を渡り、韓を攻め、韓の王都・新鄭(現在の河南省新鄭市)を占領。安王を捕らえ、韓の全領土を占領して滅ぼした。
●紀元前226年 新鄭で韓の元貴族たちによる反乱が起きたが、秦軍に鎮圧される。このとき韓王安も処刑された。

ここで注目すべきは、南陽の割譲です。

南陽は新鄭の目と鼻の先にある

紀元前231年に、韓は自ら南陽を秦に明け渡しています。このことから、韓は既に「秦の軍門に下る決心」が出来ていたのかもしれません。紀元前230年の騰による韓王都・新鄭への侵攻も、激しい戦闘が行われたのではなく、ほとんど韓の抵抗もなく陥落したように思えます。10万もの兵力を注ぎ込んだようですが、それも威圧たっぷりだったのでしょう。つまり、強引な侵攻ではなく実質「併合」に近い形だった気がします。

結局、秦としては韓王安をしばらく生かしておいたわけですが、反乱の見せしめとして処刑することになったのではないでしょうか。「無能な王」は、ほとんど役に立つこともなかったと思われます。

韓非が秦に送られた理由は、韓側から見ると「秦が韓をそれまで緩衝地として利用してきた」方針を転換し、韓を滅ぼす方針にかじを切ったからではないでしょうか。その韓非も亡くなってしまっては、韓としては万策尽きたのでしょう。

韓滅亡後は、秦は中華統一へ突き進むことになります。「中華のへそ」を獲得した意味は大きいので、重要な一戦だったと思います。

キングダム本誌の展開

史実においては前述の通り、それほど激しい戦闘があったような感じはしないのですが、キングダムではどう描かれるのでしょうね。

史実から見れば、恐らくこの韓攻略戦が将軍・騰の最後の戦闘になりそうなんですよね。個人的な想いを込みで書きますと、やはり騰の「ファルファル」をもう一度見たいんです。あの涼し気な顔で馬を駆り、まるでタンポポの綿毛のような軽さで敵を刈り取る姿を焼き付けたいわけですよ。

一方の韓は、なんとも頼りない陣容と言いますか…将軍・洛亜完(らくあかん)と副官・ヨコヨコが伏線として登場してます。

キングダム本誌・第757話より引用

ヨコヨコって…ファルファルが縦型だとするとその横版なのかな?とかつまらぬ妄想をしてしまいがちな名前なのですが、風貌からは「元・桓騎配下の野党か?」とも思ってしまいますよね。ここに数名の将軍を登場させて、恐らく戦闘に入る流れだと予想します。李信はここで武功を挙げ、大将軍の椅子に近づく…という流れですね。

謎多き騰の伏線回収、李信の武功、ヨコヨコの正体…色々と楽しめそうな韓攻略戦がいよいよスタートします。

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