キングダム第771考察・雪辱戦
さて、久々の考察です。
時は紀元前232年、秦と趙による番吾の戦いが描かれようとしています。
壁の視点
キングダム本誌では、史書にはない面白い構図が1つ形成されています。皆さんご存じの、秦将・壁。彼が捕虜として使役させられているのが、番吾という設定になっているのです。
その壁曰く「ここ(番吾)にはすでに李牧の罠が仕掛けてある」というコマがあり、壁はその罠の存在に気づいている模様です。他のコマもくまなく見たのですが、それがどんな罠なのかはまだ分かりません。この史書にない設定は、後々の伏線になると見ています。
秦軍の視点
秦にとっては、今回の戦は桓騎軍が殲滅させられた「肥下の戦い」の雪辱戦という形です。
李信も王賁も、番吾には何かあると察しているようです。桓騎を軍もろとも葬り去ったあの李牧のことです、また秦軍を罠にはめて殲滅するくらいの策は何重にも用意していることでしょう。番吾を攻めることに李信は大きな不安を抱いており、王賁に確認しています。
李信「大丈夫なんだろーな。お前の父ちゃんは」
王賁「当然だ。父は勝つ戦しかせぬ人だ」
総大将・王翦は、総勢25万の兵を番吾に向けて出陣させました。
趙軍の視点
ここから4年前の朱海平原の戦いにおいて、李牧は王翦に敗れています。李牧にとっては、その雪辱戦というわけです。
李牧「秦軍に対し趙軍が有利な部分があまりに多い。地の利、数の利、そして軍容の利」
李牧は、秦の軍容、つまり誰がどんな将で戦い方も既に知っていることは趙にとって有利であると言っています。一方、趙にはまだ手の内を見せていない将が控えていることが、軍容の利になるということです。その将とは、青歌の司馬尚、カン・サロ、ジ・アガの3人です。この軍容の利によって、趙は秦に圧勝すると李牧は予想しています。
なぜ番吾が描かれるのか
ここからは個人的な見解です。
まず、番吾の戦いは史実では情報量が極めて少なく、それほど重要な戦とは思えないため、キングダムで描く必要もないのでは…と思っていました。
紀元前233年、肥下の戦いは重要でした。李牧が桓騎を討ち取り、武安君に封じられたからです。一方、番吾の戦いは李牧がどの秦将を破ったか分かりません。結果的に「領土を奪還した」という部分だけが分かっているのですが、あえて描くような場面でもないのかなと。ただし、李牧の功績であることは間違いなく、李牧が大好きな原先生にとっては描きたい場面だったのでしょう。
一方、「勝てない戦をしない」という設定がされている王翦は、史実でもキングダムでも非常に重要な秦の総大将です。実際に、戦では負け知らずだったようなので、この番吾の戦いで「設定崩し」が行われるとも思いません。嬴政(始皇帝)からの信任も厚く、結果的に趙を滅ぼしたのは王翦なのです。
このような状況から判断して、番吾の戦いにはいくつかの要素が含まれると考えています。
①李牧の強さがより強調される
②王翦はほとんど戦わずして「負け」を演出する
③趙が奪還した土地に王翦が既に何かを仕込んでいる
④王翦が趙の全軍容を知るために司馬尚の戦い方を観察する
⑤壁・救出作戦の最中、秦将の誰かが趙将に殺され、その趙将と李信の間に新たな因縁が生まれる
考察
①は読者なら誰もが認めていることです。史実においても、「守備」の戦ではほとんど負けたことがないほどディフェンシブな戦略家だったと思われます。実際、匈奴との戦では負け知らずでした。そのディフェンシブな李牧が今回、秦の領土を奪取しに行くわけで、もしかしたら史実においても珍しいことだったのではないでしょうか。
李牧にとって珍しいその領土奪取は、実は②③の通り王翦の企みによるものであって、実は李牧をわざと「勝たせた」のではないかと。または、王翦はこの番吾の戦い開始からほどなくしてこの戦場を離れ、趙・南部の邯鄲に向かったのかもしれません。このいずれかでないと、王翦の設定「勝てない戦はしない」が崩れてしまいます。
個人的には、王翦が今回仕込んだ何か③によって、最終的に李牧も趙も運命が尽きる…という時間差の勝利を王翦が成し遂げると思っています。その時に、「やはり王翦は勝てない戦はしない」という設定が生き残るわけです。
④は趙との決戦本番に備えて、王翦が敵の全陣容を把握するための戦いに徹した可能性です。ただ、両軍の被害(少なくない被害だったようです)を考えると、無駄な消耗戦になってしまいます。
⑤は壁・救出作戦があってもおかしくないと考えました。
さて、どのような展開になるのか今から楽しみですね。
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