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南朝論を主張した徳川光圀

かつて、天皇家が北朝と南朝に分かれて対立したことがあったのは、学校の歴史の授業で学びました。では、現在の天皇(徳仁天皇)が北朝か南朝か問われた時に、答えられる日本人はどれくらいいるのでしょうか。

答えを先に書くと、北朝です。

上記の天皇系図は、宮内庁が公開しているものです。北朝初代天皇の光厳天皇まで遡れば、良く分かると思います。現在の天皇家が北朝の子孫であることは、議論の余地の無い事実なのです。

「大日本史」を編纂した水戸・徳川光圀のことを知らない人はほとんどいないと思います。もしかしたら若い方は「黄門様」と聞いても分からないかもしれませんが…我々の世代より上の年齢の方は、「水戸黄門」でお馴染みの徳川光圀です。

この水戸光圀、なんと「南朝説が正しい」と主張した人間でした。本来、「北朝と南朝のどちらが正統か」などという議論は起こるはずがないのですが…近代になってもそれが議論になったのです。南北朝正閏論です。理由は光圀が編纂した「大日本史」です。

「逆説の日本史」でも有名な井沢元彦氏も、この「水戸光圀&大日本史」が展開した南朝説の意味不明さについて解説しているので引用します。

『大日本史』は膨大な内容であり江戸時代には出版もされなかったが、その史観の強い影響を受けしかも公刊されたことにより誰でも読めたのが、幕末の大ベストセラー『日本外史』である。読みやすく面白い、『大日本史』の見事なダイジェスト版で、注意すべきは明治維新を達成した志士たちは皆このベストセラーの愛読者だったことだ。字の読めない人間でも中身を教わることはできる。桂太郎も志士の末席に連なる人間だった。ましてや西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった大物の心のなかにも「南朝正統論」が焼き付けられていたということだ。

「日本史でしか起こりえない南北朝正閏論という議論」より


こうした出鱈目な主張をしたのが徳川光圀なのですが、「水戸黄門」という作り話の時代劇ドラマによって、お茶の間の人気者になってしまったわけです。

で、改めて考えなければならないのが、「大日本史」です。そもそも大見栄を切って日本史に「大」をつけてしまったことこそが、怪しき所業です。「大日本帝国」も軍国主義の勘違いから他国への侵略をしてしまったわけです。

話を戻しますと、「大日本史」は、宮内庁も肯定する「北朝系統」を否定した大問題作。なぜこのブログで光圀と大日本史を取り上げるかは、次回以降に分かると思います。

長くなりそうなので、本日はここまで。お読みいただきありがとうございました。


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