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33さいの幸福論ノート③「長寿という病」

ほんのひと昔前までは、
義務教育を受けたら社会に出て、
親の意向や欲情のままに家族を作って、
ひたすら働いていたら勝手に死んでいた。

だからこそ60歳で定年退職なのに、
それを「終身雇用」と呼んでいた。

でも今の時代は、
それから平均20年ほど生活しなければいけない。
そのために、老後の生活資金や、増大する社会保障費、さらに介護離職にヤングケアラー、老老介護、人手不足、レーゾンデートルに至るまで頭を悩ませることになる。

況や自分が高齢者になる頃には、
介護も医療も年金も社会保障も
完全に機能しなくなっているだろう。

昔の人は長生きしたいと願ったけれど、
結局長生きできるようになったところで
現代人は何ひとつ幸せになっていない。

むしろこれからの社会問題のほとんどは、
長寿化により引き起こされるものである。

はっきり言って、
ただ漫然と長生きすることは
社会のお荷物にしかならない。
存在を必要とされて生きて、
生かされなければ価値がない。

社会のために奉仕して、
その過程でレーゾンデートルを見出し、
社会生活が営めなくなったら死ぬ。

それがかつては自然であり健全な姿であった。
けれどやたらと寿命が伸びて(伸ばされて)
死や老いが社会生活から遠ざけられるようなった結果、それを個人も社会も受容できなくなっている。

さすがに「棄老」なんて文化は
この時代に有り得ないが、
ベッドの上で息絶え絶えでも
無理やり生かされている高齢者や、
身寄りがなく死にたいという高齢者は
本人のためにも社会のためにも
死なせてあげる。

そういう尊厳死や安楽死のシステムは
そろそろ必要な時期に来ているんじゃないかと思う。

自分ならそうして早く楽になりたいし、
その時に家族がいたなら早く楽にさせてあげたい。
死は悲しみのみではなく、
生の苦しみからの解放でもあるはずだ。


2024.1.28の日記から

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