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33さいの幸福論ノート④「だから僕は結婚できない」

現代社会の構造的問題
結婚するにしても今の時代は
高校、なんなら大学までは出とけと言われて
親の意向なんか時代錯誤も甚だしく
情欲のままに…が許されるのは
ごく一部の人間だけである。

現代の多くの人は
最低限の容姿と性格を兼ね備え、
生活能力があって、恋愛を経て、
将来設計があって、タイミングが合って
それからようやく結婚がある。

そうなると当然、
結婚は遅くなるし、自ずと僕みたく
結婚できない者も増えてくる。
(それはそれで生物学的には正しい)


おひとり様に優しくなった社会
かつてはある程度の年齢まで独身だと
男性の場合は出世できなかったり、
女性の場合は生活そのものが困難だったり
男女ともに周囲の厳しい目に晒されたりした。

けれど今の時代はそうでもない。
独身差別は法令違反だし、
(独身の方が働かせやすいという話さえある)
男女ともに結婚しなくても生活できるくらいの収入やインフラは整っているので、
何ひとつ困らない。

むしろ結婚して他人と一緒になることで、
自由が侵食されたり、悩みが増えたり、
DVを受けるリスクだってある。

さらに子供ができれば、
自分の時間が減る一方で、
出費は増え、家庭収入も減る可能性が高い。
そう考えると、
今の時代は結婚の方がリスクになりうる。

これまでは何とか
そのリスクから目を背けさせてきた
「愛」や「幸福」といった言葉の神通力が
もう通用しなくなってきている。

人間は生存リスクを回避したがる生き物だ。
現代社会で結婚が減っているのは
生存リスク回避の手段として、
結婚というリスクを回避しているだけではないかと思う。


人生を賭けたギャンブル
そう考えると結婚は、競馬で例えると
一頭の馬に全財産をベットするような選択である。
投資では当たり前の分散ができない。

多くの人は結婚相手という選択肢が
一番いいと思っている。
だからこそ全てを賭けたがる。
けれど実際は結構な率で外れる。
そのうえ外れるとなかなか取り返しがつかない。
そのことも分かった上で、全部を賭ける。

賭けなければ当たらない、けれど
賭けなければ外れもしない。
それならわざわざ
人生を賭けなくてもいいのでは?
という考えにシフトしてきているからこそ
結婚が減ってきているのではないかと思う。

それでもずっと
愛だの、幸福だのといった
大衆的なまやかしへの幻想を
今もずっと捨てきれないでいる。
諦めきれないでいる。

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