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「介護時間」の光景⑭  「たぬき」 6.27.

 毎度、古い話になり申し訳ないのですが、今回は、16年前の話から始めたいと思います。

 母親に介護が必要になり、私自身も心臓の発作を起こし、仕事をやめ、母親には病院に入院してもらいました。その病院に毎日のように、片道2時間くらいかけて通い続け、母親は、何度も症状が悪くなったり、よくなったりして、4年ほどがたち、少し安定してきました。その病院に通いながら、家に帰ったら、妻と一緒に、妻の母親の介護も、同じくらいの年数続けていました。

 その頃、見た光景ですが、今振り返ると、ある意味では、ショッキングな出来事のはずなのに、すごく冷静、というか、冷淡な反応しかしていないことに、自分のことですが、少し驚きます。

 私自身も心臓の発作時には、命の危機を感じたり、この生活が続くならば何度か死にたいと思ったり、母親にも死んでほしいと思ったり、といった時間をやっと通り抜けかけてきた頃でした。

 それは、タフな状況に慣れてきた、という言い方もできますが、自分自身をかばうようで、恥ずかしい気持ちもあるのですが、どちらかといえば、介護生活の中で、気持ちが疲れて、感情が動きにくくなっていたのかもしれない、とも思います。


たぬき

 病院のそばの道。
 両側を林に挟まれていて、帰りの夜は、本当に暗い場所。
 20メートルくらい前に、知っている病院のスタッフの人が歩いていた。
 細い道で、そのわりにはクルマの交通量が思ったより多いのに、急に、はじかれるように、とてもきれいに、道路の真ん中の方へ向けて、そのスタッフの人が、少しジャンプしたのが分かった。
 でも、何事もなかったように、また歩いていった。
 その場所まで歩いたら、たぬきらしき動物が、たぶんクルマにひかれて死んでいた。
             
                    (2004年6月27日)



 それから、ちょうど16年たちました。


 コロナ禍の日々が続いていて、ほんの半年前とは、すでに、社会が、すっかり変わってしまっています。
 緊急事態宣言解除後は、危機感と、開放感の微妙なせめぎ合いも続いていて、不安と緊張が日常的な感情にもなってきました。

 朝9時でも、すでに気温が高く、土曜日でも、ここ何週間かで、電車に乗る人は、かなり多くなってきたように思います。

 ホームにも人がいて、それぞれ、微妙に「距離」をとりながら、電車を待っています。

 ほぼ全員がマスクをつけているので、していない人は、目立ちます。
 本当は責める必要はないのですし、それぞれの事情もあるに違いないのに、自分の視線が、勝手に厳しくなっているような気もします。

 電車を待っている人の中で、ホームの一番前の位置に、1人の若い男性が立っています。その前は線路です。
 背も高く、スマートで、背負っているリュックも最新版のように見えます。
 さわやかな顔立ちで、健康そうで、マスクはつけていません。

    電車がホームに入ってきました。
 スピードが落ちて、電車が止まる寸前に、その若い男性は、どこからか、きれいに折り畳まれたマスクを取り出していました。
 そして、ドアが開く前には、最小限の動きで、静かにスムーズにマスクをつけ、電車に乗り込んでいきました。

 とても美しい動きでした。
 すでに「新しいマナー」が、できているのかもしれません。


                    (2020年6月27日)




(他にもいろいろと介護のことを書いています↓クリックして読んでいただければ、ありがたく思います)。


介護books③「介護に慣れてきたけど、希望が持てない人に(もしよろしければ)読んでほしい6冊」

介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと

「家族介護者の気持ち」②「いつまで続くか、分からない」と、「先を考えられなくなる感覚」

介護離職して、10年以上介護をしながら、50歳を超えて臨床心理士になった理由①

「介護相談」のボランティアをしています。次回は、2020年 7月22日(水)です。



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