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介護books⑤「介護が終わったのに、介護が終わったような気がしない人へ(出来れば)おススメしたい5冊」

 臨床心理士/公認心理師の越智誠と申します。
 元・家族介護者でもありますが、介護を始めてから、「家族介護者の心理的な支援」の必要性を強く感じ、臨床心理士を目指し、今は、家族介護者に対して「介護相談」の仕事もしています。


(詳細は 「介護離職して、介護をしながら、臨床心理士になった理由」を読んでいただければ、幸いです)。


 介護の終わりのことを考えて、どうしてもジレンマを感じるのは、介護中は、いろいろな関係者と関わらざるを得なくて、人と会う機会も多いのに、介護が終了してしまうと、介護関係者は、一斉に姿を消してしまって、寂しさや虚脱感も感じられている家族介護者の方も、かなり多いのでは、ということです。

 家族介護者の方は、介護が終わってしまったとしても、まだいろいろな整理がついていない状況で、それが落ち着くまで時間がかかり、その経過を大事にできないと、極端な場合は、病気になることも少なくない印象です。できたら、介護終了後も、1年ほどは、「介護相談」などの心理的な支援が必要なのでは、と時間がたつほど、思うようになっています。

介護が終わった気がしない体験

 介護が終わっても、終わったような気がしない、という状況は、個人的な経験に過ぎませんが、この2年ほど、少し味わったように思いました。

 2018年の12月に、19年間の介護生活が、誰にでもそうであるように、突然終わりました。義母は103歳まで生きてくれて、その日も、いつものようにデイサービスに出かけ、昼食前に意識を失い、病院に運ばれ、3日後に亡くなってしまいました。

 妻と2人でみてきて、私は夜間担当になりましたが、義母の状態に合わせて、だんだん遅くなり、2018年には、午前5時半頃就寝の毎日になっていました。

 義母が亡くなっても、早く寝るのが怖い感じが続きました。
 もう介護もしなくていいのに、早く眠ったら、悪いことが起きるんではないか、と理屈ではなく体で感じていて、1年くらいたってから、やっと午前3時くらいに眠れるようになりました。
 思った以上に、介護中のずっと続く微妙な緊張感を抜くのは難しいと感じました。

 1年半がたつ今は、やっと午前9時頃には、起きられるようになって、夜も午前2時には眠くなるようになってきました。こうした生活自体が、20年ぶりでした。
 ある意味、恵まれているとは思うのですが、介護が終わってから1年は、リズムを戻していく期間に当てようと思っていたのですが、ちょうど、コロナ禍とだぶってしまい、さらに外出を控えるようになりました。同時に、介護中とは違うのですが、緊張感のある、いつまで続くか分からない不安の中で、再び生活するようになったのは予想外のことでした。


 介護が終わったのに、介護が終わった感じはしない。その終わらなさの感覚も、介護者によって、違うと思いますが、もし、そういった時に、自分の気持ちの落ち着かなさなども含めて、読んでみると、少し気持ちが整理されるかもしれない5冊を紹介します。
 人によって、相性もあると思いますので、ご自分の今の気持ちに少しでもフィットする作品があれば、幸いだと思います。

(なお、紹介文の長短は、その作品のおすすめ度とは直接関係がありません。私としては、タイプの違う作品として5冊紹介しています)。


『“介護後”うつ 「透明な箱」脱出までの13年間』

 介護後うつ、という病名は基本的にはありません。
 ただ、この著者の経験を読むと、介護が終わっても、そういってもおかしくない状態が続くのも、ある意味では、自然に思えてきます。そして、こうしたことに触れている書物は思ったよりも少ないことにも気がつきます。

 実母を介護している時のことも当然書かれていて、その大変さも含めて、とても率直に表現しているので、貴重な記録として残してもらったように思います。

娘たちの前で、母親である私の箸の上げ下ろしにまで、まるで意地悪な姑のようにいちいち文句をつけるので、踏みにじられた気持ちをこらえきれず、呪文のように、
「クソババァ!早く死ね!」
トイレの中で、いったい何百回、何千回、罵ったことでしょう。 

 そして、本当に介護で無理を重ねていたことも書かれているのですが、それは、その時には、そうするしかなくて、当時の選択肢としては、間違っていないことも分かりますし、それこそ、よくなんとか生きて乗りきったという印象が残ります。

家族がいても、私はひとりぼっち、生きている価値がない、誰もこの辛さは分かってくれない。
「ああ、あれで首を吊ったら楽になれる」
 という衝動にかられるのです。「死」を考えるという訳ではなく、とにかく、今、自分が置かれている状況からフッと消えてしまいたかったのだと思います。
でも、そこで私が思いとどまった一番の理由も家族でした。

 そうした体験も含めて、おそらくは介護中が辛すぎたゆえに、介護後も、そこから、ずっと抜けられない感覚が続いたようです。

2006年の春に母を見送り、60歳間近の私の介護生活もこれでひとつのゴールを迎えるはずでした。ところが、長年の介護生活は、そう簡単に私の心と体を自由にしてはくれなかったのです。見送って安堵した後がむしろ危険な時期だと言われたりしますが、まさに、私自身がそうでした。                 
 (中略)
 看取った後の数年間は、なんとも言いようのない虚しさと無気力感に心が覆い尽くされていました。  
介護の終わりが、介護うつの終わりではないという事を、身をもって知りました。

 著者自身が、「抜けた」という実感を持てたのが、2017年なので、「介護後うつ」といえるような状況は11年続いたことになります。

 孤立感の危険性は、著者も語っていますが、介護後も、けっして、すぐに元気になれるわけでもないし、それだけ大変な時間を過ごしてきたのですから、元に戻ること自体がとても困難な作業でもある、ということも伝わってきます。もし今、似たような状況にある方でしたら、自分だけではない、と思える本ではないでしょうか。


「悲しみにある者」


 介護と直接関係ある話ではありませんが、年末に、夫を突然亡くした著者が、それから、まだ1年がたつ前から、この本を書き始めて、亡くなって1年がすぎる頃までを書いています。

 ふとしたことで、死者に関する思い出に巻き込まれて行くように、次々と蘇り、逃れられなくなったりすることを、自ら「渦巻き効果」と名付けたりしていますが、それはとてもリアルな情景です。
 
 介護を終えた方にも、共通することがあるのではないか、と思いました。もし、少しでも共感できるのであれば、やはり、どこかで感じている孤立感といったものが、微妙に和らぐかもしれません。


 著者は小説家でエッセイストであるので、もっとこうしておけば、といった後悔や、まだ亡くなったと思えないような気持ちなどが、生々しく正確に書かれています。それは、おそらくはあとから振り返ったら、「普通じゃない」感覚でもあるのは間違いないのですが、この「死んだ気がしない」のは、もしかしたら、国や民族を超えて、誰にでも共通することではないか、と読み進むにつれて、より強く感じるようになります。

 たとえば、夫を亡くしたあと、部屋の片づけの場面には、こんな思いが書かれています。

 私は部屋のドアのところで立ちどまった。
 私は残りの靴を捨てられなかった。
 私はそこにしばらく立っていた。それからなぜかを理解した。彼は帰ってくるとしたら靴が必要になるだろう。
 こうした思考回路を自分で認識したからといって、それを少しでも断ち切ることはできなかった。 

 そして、次の年の夏を迎えた頃(亡くなってから半年ほど)の自分自身についても、かなり冷静な見方もしています。

 私はまだ仕事に取りかかる集中力はたくわえていなかったが、家のなかを整頓することはできたし、いろいろなことを片付けることもできたし、開けていないメールの処理もできた。
 私の頭には、今となって哀悼(モーニング)の段階に入っているところなのだ、という考えは浮かばなかった。
 それまで私は悲しむことができただけで、哀悼することはできなかったのだ。悲しみは受動的だ。悲しみは生じてくる。だが、悲しみを処理する行為である哀悼には注意力が必要だ。それまでは、(他の状況なら払うことのできただろう)注意を払わずにおき、考えを追いやり、その日その日の危機に関わるために新たなアドレナリンを呼び覚ます ———— そんなことのための緊急の理由がやまほどあったのだ。  

 悲しむから、哀悼へ。そして、1年がたつ頃には、日本では「一周忌」がありますが、その時間の意味を改めて分らせてくれるような描写もあります。少し長いですが、引用します。(「ジョン」は夫の名)。

 私は今年、二〇〇四年を終えたくなかったのだ。
 狂気は身をひそめつつあるが、かといって明瞭さが取って代わったわけでもない。
 私は解決を求めるが何も見出せない。
 私が今年を終えたくなかったのは、日々が過ぎてゆき、一月が二月になり、二月が夏になってゆくと、いろいろなことが起きるのがわかっているからだ。亡くなった瞬間のジョンのイメージは、今起きたばかりだという印象を薄め、生々しさがなくなるだろう。昨年に起きたことでなく、もっと前の年に起きたものになってゆくだろう。ジョン自身についての、生きているジョンについての私の感覚も、遠いものとなり、「マッジー」になってしまい、和らいだものとなり、何にせよ彼なしの私の人生にいちばん役立つものへと姿を変えてゆくだろう。実際にこれはもう起きかけているのだ。この一年間はずっと、私は昨年のカレンダーで時を測ってきた。昨年の今日は私たちは何をしていただろうか?(中略)私は今日初めて、昨年の今日の記憶なるものがジョンとは関わりがないことを理解した。昨年の今日は二〇〇三年一二月三一日。ジョンは昨年の今日を知らなかったのだ。彼はもう亡くなっていたのだ。 

 夫が亡くなったのは、12月30日。
 こうして、日々を数えたことは、家族や大事な人を亡くした方なら、覚えがあることかもしれません。
 少なくとも、私自身には、思い当たることがありました。
 
 こうした時期を、かえって辛いかもしれませんが、感情を味わうように正直に過ごさないと、それこそ、きちんと悲しめないし、次へ進むことはできないのかもしれないとも、思いました。
 だから、介護が終わったような気がしない時期も、必要で、それは少なくとも1年は続くのかもしれないと、思えました。


「遺族外来  大切な人を失っても」

 2007年なので、すでに13年前から、「遺族外来」を設置しているので、かなり先駆的な試みをされている医師が書いた本です。

 介護をされていた方ばかりではないのですが、家族を亡くされて、そのあとも、体調が優れない方、気持ちの調子が悪い方が訪れ、その中で診察の時間があり、場合によっては薬も処方され、その時間の中で、本当に悲しむことができ、そして、自然に次の生活へ少しずつ踏み出していく方々のことが書かれています。

 こうした「遺族外来」に通院することによって、その辛い期間が短縮されたり、辛い程度が軽減されているのが分かり、こうした関わりの重要性を改めて感じました。


 それにしても、改めて思ったのは、家族を亡くされているのに、周囲の方々の関わりが、かなりひどいと言えることがあることでした。その言葉を投げかける方々にとっては、悪意がないのかもしれませんが、そのことで、遺族が、必要以上に傷ついてしまっているのに、と思うと、何かとても残念な気持ちにもなります。

葬儀の翌日、夫が亡くなった悲しみに打ちひしがれ、頭はぼんやりとして身体も鉛を入れたように重いので、家で呆然と過ごしていると電話が鳴ります。受話器をとると親族からいきなり、「おい、ふざけるな!葬儀の時の俺の席が、なぜ後ろのほうなんだ。謝りに来い。謝罪しろ。そうでなければ親戚づきあいはしない」と一方的に言われます。

  こんな経験も、書かれています。

四十九日が過ぎてからは気持ちが少しずつ落ち着いてきたようです。ところが、そのころ、夫の友人と称する数人から呼び出されました。何かと思って行ってみると、「あんたが一緒に住んでいて、面倒見ていなかったのか?」といきなり罵倒されてしまいます。田村さんはご主人をとても大切にしていたのですが、罵倒されてから「自分に責任があったのか?」と考え込むようになってしまいました。 

さらに、遺族に言ってはいけない言葉として「落ち着いた?」「気持ちの整理はつきましたか」や、「元気そうね」や「あなたの気持ちは分かります」があげられていて、その理由も述べられています。

 そのことを知るだけで、自分が微妙に嫌な経験をした意味が明確になり、少しでも気持ちが楽になる可能性も感じます。


 それに加えて、もしも同じような経験がある方ならば、読むと納得できるのではないか、と思われるような描写もあります。夫が認知症になり、介護をして、看取った方が、それまでの楽しかった結婚生活の記憶がなくなってしまうという、厳しい状態になっていた方の例です。

聡子さんから失われたのは、辛い介護の時期ではなく楽しかった結婚生活二五年分の記憶です。この点は普通の解離とは異なります。なぜ、このようなことが起きたのか考えてみたのですが、ご主人の認知症発症から死別に至るまでの時期は聡子さんの人生にとって辛い体験であり、この時期に幸せな時代を思い出すことは認知症の介護から死別に至る時期をますます辛いものにしてしまうと無意識のうちに考えたため、楽しい時代の記憶が意識から切り離されてしまったのではないかと考えています。

 分かったからといって、すぐに回復していくものではありませんが、でも、こうしたことを理解しようとしてくれる人がいる、というだけで、私まで、少し救われたような思いにはなりました。


「うれしい生活」

 写真集です。
 夫婦2人と、まだ幼いといえる娘が2人の家族。
 妻が写真家で、家族や、自分にとって大事な人たちを撮影しています。そして、それを続けています。
 生活の中の、身近で自然な風景が並んでいますが、その1枚、1枚が、かけがえのない瞬間であって、被写体になっている方々も、その一瞬に生きている感じが、写っているような印象があります。

 夫はラッパーです。言葉をリズムに乗せて、気持ちを人に伝える仕事です。
 その夫が、病気になり、当たり前ですが、それでも生活は続き、夫が亡くなり、家族が1人いなくなった光景までが、収められています。

 何かを大声で主張しているような派手な写真はないのですが、何度か見返すと、そこに写っている人や、風景は、見ている自分とは、関係がないはずなのに、生活の中で、あまり写真に撮ろうとは思わないような瞬間が、生きている中で、かなり大事なのではないか、といった気持ちになったりもします。


 夫が亡くなっても、生活は続き、娘2人は成長し、そして、もしかしたら、ここにいる人の中には、写真家と、今は関わることがなくなっている可能性だってあるけれど、その一瞬は、確かに嬉しかったり、楽しかったりすれば、それでいいのかもしれないし、どんなことがあっても、人との関わりは続いていく。といったようなことも、感じたりもします。


 いろいろな好みもありますし、写真集にはなじみがない方もいらっしゃるかもしれません。それでも、文字を追うには、まだしんどいときなど、目から入って、心に届くような写真を見ると、いい意味で気持ちが動くようにも思います。

 夫が病気になり、亡くなってしまい、そのあとまでも、おさめられてる作品集に「うれしい生活」というタイトルがつけられていることにも、写真集を見たあとだと、不思議な納得感が訪れるかもしれません。


「いのちの花、希望のうた」

  最後は、画詩集です。
  岩崎健一(いわさき・けんいち)が兄であり、絵を描いています。
  岩崎航(いわさき・わたる)が弟であり、詩を書いています。

 2人は、筋ジストロフィーを幼い頃に発症し、介助や介護を受けつつ、作品に取り組んでいます。そんな風に短くまとめられないほど、そして、想像が難しいような困難さもあるに違いないのでしょうし、この画詩集をみて、読む時には、そうした作者の背景を忘れることも、知ってしまったら、どうしてもできません。

 さらには、わずかに動く指先の力でパソコンのマウスを動かして、絵を描いている、といった話も、どうしても思い出しながら、見ることになるのですが、その絵は、はかないようで、静かなのに、中にぎっしりと力がつまっているような、不思議な美しい印象が伝わってきて、思った以上の存在感を感じるようになります。

 詩は、家族に関しての言葉は、いろいろな背景を抜きに読めなくなっているものの、それでも、虚飾のない魂の言葉であるのは間違いないし、絵を見て、詩を読んでいると、ふと、強くそのページに入り込める瞬間もおとずれます。

 生きることそのものを、やっぱり考えてしまいますし、介助を受けていて、そして作品を作り続けていることを思うと、絵も詩も、また違う意味を帯びてしまうかもしれません。だけど、もしも手元において、時々、みて、よんで、を繰り返していると、もっとこの作品集の美しさを純粋に分かるかもしれませんし、繰り返し見ても、印象の消耗が少ないように思います。


 こうした作品にも、読む側との、相性がありますので、この紹介文を読んで、興味を持てたら、手にとっていただけると、幸いです。


 今回は以上です。
 次回は、「介護books⑥ 介護を、もっと広く深く考えたい方へおススメしたい本」の予定です。


(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。クリックして読んでいただければ、ありがたく思います)。

介護books④「家族介護者の気持ちが分からなくて、悩んでいる支援者へ(差し出がましいですが)おススメしたい6冊」

介護の言葉① 「介護離職」

介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと

家族介護者の気持ち③「死んでほしいは、殺意ではない」

『介護時間』の光景① 「母娘」


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