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『「介護時間」の光景』(217)「自慢」。7.31。

いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。

(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年7月31日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。


 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 
 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年7月31日」のことです。終盤に、今日「2024年7月31日」のことを書いています。

(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。

2001年の頃

 個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、仕事をやめ、介護に専念する生活になりました。2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。

 母の病院に毎日のように通い、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。

 入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
 だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。

 それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。

 ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。

 周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。

2001年7月31日。

『午後4時15分頃、病院へ着く。

 不安な点があったので、でも、直接話をするのは忙しそうなので、院長に手紙を書いてきたので、それをスタッフの方に渡した。

 母は色々な話を、バラバラにしている。

 山形の話。
 残り物のこと。
 瀬戸の話題。

 実際に行った場所や、時間や、内容が時々、ずれてしまい、よくわからないこともあるけれど、でも、私でも覚えていることや、母自身が茶道を習ったりしたことも、よく覚えていた。

 そして、うれしそうに話をしていた。それが良かった。

 テレビには、プロ野球の横浜ベイスターズが映った。

 けんちゃんとかが、やっていたのよ。

 その人が誰かわからなかったのだけど、野球をしていた人がいたそうだ。

 患者さんが部屋を移ったそうだ。いったん廊下へ出てしまうと、自分の部屋がわからなくなるので、部屋の入り口のところにチューリップの花の紙を貼っていた。

 そこは、母がいつもトイレに行く部屋だから、その部屋の人がかわると、母がトイレに行ったら、そこで驚かせてしまうかもなどと焦る。

 院長への手紙は、受付に渡した。

 今は個室で、毎月、嘘のようにお金が減っていくので、できたら、4人部屋などに移りたい、という内容だった。

 午後7時に病院を出る。

 そういえば、今日は入り口のところで、私が帰る時に、手を振ってくれた患者さんがいた。笑っていたから、少しでもプラスになれば、とこちらも手を振った。これまで落ち着いた感じだったのだけど、ちょっと不安定になってきたのだろうか。

 母は、今日は昼間のレクリエーションとリハビリを兼ねた集まりで、「明日から8月1日だから、今日は7月31日」と言っていた。

 月が変わると、そういう集まりで歌う曲も変わるそうだ。

 楽しみにしているらしい。それは、良かったと思う』

自慢

 電車の中のボックス席。4人がけ。私が座っている前に、もう老人といっていい男性が二人並んで座っている。

 話題は15年くらい前の飛行機の墜落事故になっていた。一人が、話す。その事故の時、その近辺にいて、自分の子供が「あの飛行機、おかしいよ」と言った、という話だった。

 それは、自慢話の響きがある。そして、その同じような内容の話がしばらくグルグルと回っていた。まったく知らない人だけれど、その子供も、もう大人になっているはずだ、などと思った。

                   (2001年7月31日)


 それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。

 だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、ずっと在宅介護をしていた義母が、急に意識を失い、数日後に103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2024年7月31日

 すっかり夏になった。

 毎日、暑い。35度を超える猛暑日が続いていて、寝ていても、油断すると熱中症になりそうな時がある。

 昼間暑くて、急に雨が降る。

 熱帯地方の天候も続いている。

洗濯

 天気がいいと、毎日洗濯ができる。

 暑くて、汗をかくので、洗濯物も増える。

 今日も洗濯を始める。

 庭の柿の木は、これ以上、葉っぱが増えないかも、と思っていたら、さらに緑の密度が増したようで、なんだかすごい。

 それでも、洗濯を干して、さわるとあたたかく感じるほど、洗濯物がよく乾くのはうれしい。

介護者支援

 地元には存在しなかったので、介護者相談をボランティアで始めてからは、12年目になった。

 幸いにも仕事で介護者の心理的支援を始めてからは10年が過ぎた。

 どちらも始めた当時は、これだけ介護のことが話題になり、関心を集めるようになったのだから、自分が何かをしなくても、介護者の心理的支援の窓口は増えるだろうと思っていた。

 社会に必要なのは、誰もが認めていると思っていたせいだ。

 だが、10年が経ち、介護者のための相談窓口はほとんど増えていない。というよりも減少傾向にあるようだ。

 介護者支援の必要性に関しては、自分なりにできることはしてきたけれど(このnoteもそうですが)、あまりにも微力で、状況は変わらないことに、時々、絶望的な思いにもなる。

介護殺人

 10年以上前に、修士論文執筆のために、資料の一冊として、この本を初めて読んだ。

 司法福祉の研究者だからこそ、介護者が犯罪者になってしまう供述などもかなり克明に紹介されている。私自身も、まだ介護を続けながら勉強をしていたので、結果として犯罪者となってしまった介護者の、そのときの思いまでが伝わってくるような気がした。

 そのとき、本当に介護者が追い詰められたとき、できたら、その少し前に、誰かが話を聞いていれば、もしかしたら防げた事件もあったのではないか。

 それは、その当時の関係者を責めるというのではなく、介護者の辛さや大変さそのものを、もっと理解しようとする存在がいれば、変わってきたのではないか。そんな気持ちだった。

 ただの読者という安全な場所からの不遜な見方なのは自覚しつつも、家族介護者にこそ、個別で心理的な支援が必要だと確信を深められた研究成果だった。

 こうした研究者も存在しているのだから、公的な介護者の相談窓口は増えるかと思っていた。

 60歳以上の当事者が死亡し、介護疲れや将来への悲観などが原因とされる親族間での殺人や無理心中事件が2021年までの10年間で、全国で少なくとも計437件(死者443人)あったことが判明した。平均すると、8日に1件発生していることになる。日本福祉大の湯原悦子教授(司法福祉論)が、全国の報道機関が報じたものを集計した。当事者が死亡したケースを集計しており、未遂事件などを含めると頻度はさらに高くなるとみられる。

(『毎日新聞』2023年12月16日より)

 だが、介護者支援は、あまり増えないまま、そのせいもあるのだろうけれど、こうして事件は減らないままだ。というよりも、それ以前は2週間に一件という統計もあったと記憶しているので、もしかしたら、状況は悪くなっているのかもしれない。

 かなり重大なことだと思うけれど、それを問題視する言説自体にあまり目にしない。

 自分も専門家になった以上、現状の環境調整がうまく行っていないとしたら、責任はあるとは思う。ただ、個人的には、目の前にいる家族介護者の個別的な心理的支援の実践を10年以上、重ねてきた。

 介護に関して困っている人を、その人よりも理解しようとして話を聞き続けてきたのだけど、相談者の表情が柔らかく変わっていったり、言葉が明晰になっていたりする姿も見てきて、それは、心理士(師)としてもうれしいことだった。

 だけど、社会的に、その必要性を伝えることができなかったのは、自分の力不足だと思う。

『介護殺人』の著者は、7年後に『介護殺人の予防』という専門書を出版し、現在でも、先述の『毎日新聞』の記事のような場所でも、その研究成果を伝えている。

 この介護殺人を、ジャーナリズムの世界以外で、研究をする人も増えないままなので、この研究者の方の継続する力はすごいと、改めて思う。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。





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