「思い込み」試論①~“思い込み”をゆるくする!~
昨年末あたりから、これまで利用者さんといろいろと取り組んできたプログラムやワークシート(教材?)を整理している。
利用者さんからみて、けっこうよかったよ、という評判のよかったもの選び出して、再構成することで、一般の方も楽しめるようなことができないかと思ったのが、そのきっかけ。
というのも、ここ数年の間、精神科へは通院されていなかったり、障害者手帳をお持ちではない方からのご相談がとても増えているから。
実際にお話をお伺いしてみると、確かに精神疾患や障害といったことではなく、具体的な生き方においての苦悩との印象を受けることが多い。そしてその苦悩を生じさせている根っこが、ご本人にとって動かしがたい、なにかこう絶対的ともいえるような「見えざる言説(思い込み)」なのである。
「見えざる言説(思い込み)」とは何か?
ここではあまり細かいことには踏み入らないようにしよう。
これまで両親や学校の先生、または友人など、周囲の人(主として大人だけど)から幾度となく言われ、刷り込まれてきた、「~すべき」「~しなければならない」がつめこまれた引き出しのようなものを思い浮かべてほしい。
ふだんは何が入っているのかはよくわからないが、日常のふとした動きでふいに引き出しが開けられ、そこからこれまでに刷り込まれてきた「~すべき」「~しなければならない」がうじゃうじゃとあふれ出してくる。
相談に来られた多くの方は、この「見えざる言説(思い込み)」に、心身ともにまとわりつかれ、動けなくなってしまっている状態なのである。
こんな話をすると、“ああ、自分もそうだったなぁ”と、とある利用者さんが相槌をうつ。
“いまじゃ、ずいぶんと「ゆるく」なった気もするけど”。
ゆるくなるきっかけになったことって、覚えてる?
“うーん、こんな感じにかんがえられるようになったあたりかな…”
ということで、その「あたり」に該当しそうなプログラムやワークを掘り起こしてみる。
利用者さんにいくども確認していただきながら、「見えざる言説(思い込み)」がちょっとでもゆるくなる方法を試行錯誤。
そうこうしながら、見えてきました、その方法が。
より正確に言えば、方法ではなく、「論理=ことばの使い方」が。
その論理とは、じつはギリシア哲学ではソクラテスープラトンーアリストテレスが重視し、仏教論理学では大乗仏教の祖ナーガールジュナ(龍樹)が説き、現代数学でも有力な論証法として名高い、かの「論理=ことばの使い方」なのであった。
む、難しそう!と勘違いしないでほしい。
この「論理=ことばの使い方」は、ちょっとばかり練習すれば、どなたでも、楽しく習得できるもの。
それは風の丘の利用者さんが実証済みです。
いま、いろんな方に試していただきたいと思っています。
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