ホテルは非接触・非対面・省人化されるべきなのかについて考察する
パナソニックがホテル経営のDXを推進する技術を開発しているというニュースを読んだ。
パンデミックという非常時において一定の非接触への配慮や推進は安全に宿泊をするという視点で大切だと思う。
もちろん、今回のこの新型コロナが収束を見せたとしても新たな危機はまたやってくるのであろうと予測できることから備えは大切なのだと思う。
これとホテルが省人化しなければならない理由は別の問題である。
ホテルは経営の構造上、売上に占める固定費の割合が高い。
その中でも多くを人件費が占めている。
ここの慢性的な経営上の問題と非接触は分けて考えられるべき問題なのかとは思う。
私はホテルに関わる仕事をしている。とは言ってもホテルの機能のほんの一部のエンタテインメントに関わる部分だけに携わっている。
そんな立場であるからこそ経営的な視点は置いておいてホテルラバーとして考察してみたい。
ホテルにチェックインする際、もし非接触の対応であってもスムーズにチェックイン出来るのであればテクノロジーに頼るのも良いかと思う方ではある。
ところがホテルへ宿泊し何を体験出来るかはとても大切で、ずっと非接触であるべきだとは思わない。
旅は新たな人と出会い、新たな土地と出会うのが醍醐味であると感じている。
宿泊を通し、やはり新しいコミュニケーションが生まれるのは大切だと感じている。
世界的ホテリエは日本の旅館のおもてなしに感銘
瀬戸内の海の民アズミ族からその名を取ったと言われるAzumiは、あの高級ホテル“アマン”の創業者エイドリアン・ゼッカ氏がパートナーとしてオープンしたホテルである。
ゼッカ氏が日本に旅行した際に旅館の”おもてなし”に感銘を受けたと書かれている。
世界的ホテリエすら一目置く日本の宿泊文化。
その”おもてなし”を日本に加速度的に建設されていくホテルはいかに捉えながら非接触・非対面を進めていくのか。
これが大切になるのだと強く感じている。
変わるべきは変わり、残すべきは残す。
これが今回の問いの答えなのだと思う。
このAzumiの共同パートナーである岡雄大さんは「宿は人なり」という哲学を持つ。
まさにそれであろうと私も感じる。
私はホテルを感じる喜びは会員制フィットネスクラブにおける会員さんとの日々の関わりやそこにいくことで多様な職業の方からその考え方を学ぶこと。
そしてホテルにはメインバーがある。
そのメインバーにおいてバーテンダーに「今日もお疲れ様です。」とキープしているボトルを出してもらうことだ。これがホテルで感じる喜びである。要は人と接することだ。
表題の”ホテルは非接触・非対面・省人化されるべきなのか”という問いに対し、私が表現するホテルはカテゴリーが違うと思われるかもしれない。
少し特殊なカテゴリーで話をしたがこれはラグジュアリーやシティホテルに限った話ではなくむしろ私はビジネスホテルというカテゴリーにおいてこそホテルはこうであるべきではないかと思うのだ。
一人で何も知らない地に出張へ行った際、仕事を終えてホテルへチェックインすると宿泊するビジネスホテルが全ての起点になる。
全く知らない地で誰とも接することなくコンビニで買ってきた弁当を食べ、寝るだけ...
これでは少し寂しすぎないかと思うのだ。
まだお金のない社会人駆け出しにも優しいビジネスホテルのコミュニケーションの形はないのだろうか。
そんなことを思ってしまう。
最新のテクノロジー、新しいことは全ての価値なのか
最新のテクノロジーを備え、感染症の時代にフィットする新しいホテル。
それは価値なのだろうか。
それはきっと価値ではあると思う。
ただ、新しいものが価値であるということが行き過ぎると文化は保存していけない。
それは宿泊というビジネスの業界において観光資源を失っていくことにも繋がる。
”古いものこそ価値がある”は言い過ぎであろうとは思うものの...
前述のAzumiも築140年になる地元の豪商の邸宅を引き継ぎ、その風情を残したまま改装した温かみのある旅館だ。
Azumi Setoda (Retail & Leisure Internationalより)
日本の歴史や文化を温存したまま新たな価値を生み出す。
その中にテクノロジーの恩恵があったとしても人が生み出す”おもてなし”はどのように残していけるか。
これがホテルに対する今回の問いの答えなのではないだろうかと感じている。
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