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完璧じゃなくていい

自分のことを書きすぎると「自己顕示欲がすごい」なんて思われるのかな。でも、何気なく書いたときに「力になりました」と言ってもらえることもある。わたし自身、誰かの生き方にエネルギーをもらうことがある。

だから、徒然なるままに書いてみようと思う。この夏から、いまのはなし。

今年の夏、仕事も仕事じゃないことも色々あって、頑張りすぎて、ひとに振り回されることもあって、ぐしゃりと潰れてしまった。その潰れ方はなかなかなもので、歩いているだけで泣いたし、お風呂でも泣いたし、原稿を書きながら泣いたし(どんだけ泣くんだ)明け方まで眠れなかったり、夕方まで起きれなかったりもした。食事も見事に乱れた。

苦しさのピークを迎えた日、誰よりも信じたい(そして信じてほしい)ひとに突き放される出来事があって、それがたまらなく絶望で、深夜に4時間大号泣した。嗚咽を漏らしながら、呼吸が荒くなるほどに泣いた。9月25日、30歳の誕生日だった。

体力も気力もほとんどゼロの中、ふらふらになりながらも「ここを抜けたらきっと、あたらしい景色が見えるはず。」そう信じて生きていた。もう、そう信じるしかなかった。いつ抜け出せるかなんて、本当に抜け出せるかなんて、まったく分からなかったけれど。

眠れない日が一ヶ月くらい続いた。そのあとも相変わらず泣いてはいた。それでも仕事はあるから頑張るしかない。原稿は待ってはくれない。昔からお世話になっている年上の友人に「苦しいです。死にたいです。」とラインを送ったこともあった。(文字にすると浅はかだけれど、そのときは本気でそう思っていたよ。)

時間の経過とともに、少し、ほんっとうに少し、力が入るようになったとき、これまた年上の友人(さっきとは違う友人)に話を聞いてもらう機会があった。考え方のヒントをもらって、見えていなかったことが見えた。話をしているうちに決めた。「いろんなことに惑わされないで、自分の人生にもっと集中するんだ」と。

10月の半ば頃だったかな。
久しぶりに前を向くことができた。

「まずは元気を取り戻そう!」
「そもそも、元気ってなんだろう?」
「なぜいつもわたしは考えすぎてしまう?」
「心身ともにもっと健康に生きたい。」

そんな疑問と決意とともに、一歩ずつ動き始めた。

まず、食生活を整え直すことに集中した。もともと自炊はしていたから料理に抵抗はないけれど、そこに「栄養の知識」を加えてみることにした。本屋さんで栄養学の本を手にしては、熟読した。何を食べてどの栄養素を取るとこういうホルモンが出るから、前向きな気持ちになれる。栄養とホルモンのそういう仕組みを学んで、実践。勉強は今も続けているし、料理がさらに楽しくなった

ホルモン繋がりでもうひとつ。「朝日を浴びるとセロトニン(別名、幸せホルモン)が出る」っていうことも知って、朝散歩もすることにした。歩くのは好きだからこれも抵抗はなかったけれど、性格上、何かを始めると頑張りすぎる傾向があるから、無理しない範囲で。自分の性格を知ることって大切だよね(笑)。

朝が寒い季節になってはきたけれど、冬独特の清々しい早朝の空気がすき。道中、スーパーに寄ってアボカドを買うとか、可愛いお花を見つけるとか、そんな目的をつくったりしてゲーム感覚で楽しめている。歩いたあとの朝ごはんはとびっきり美味しくて、それもいい。

心身ともにもっと強くなりたい。そんな願いを込めて、10月の終わり頃から格闘技も始めた(動機が単純。笑)人生初の格闘技。最初はもう、縄とびの段階で足が壊れるんじゃないかと思ったけれど、これが結構ヒットで、今はもうすっかり楽しい領域に入った。「継続」ってすごいね。副産物として友達もできた。コミュニティがひとつ増えたのもうれしい。

自分の考え方の癖に向き合った。脳科学や依存症の本を読んで、脳の仕組みを学んだ。勉強は今も現在進行。案ずるよりも他人は気にしていないし、勝手な想像で不安がったり、気にしすぎることをやめることにした。それでもね、やっぱり気になっちゃうときは「大丈夫、相手はそんな深く考えてない」「気楽にいこう」と自分に言い聞かせる。何度も。最近はどんどん気にしなくなっていて、思考もトレーニングで鍛えられることを実感する。

頼ること、甘えることを怖がらないことにした。「忙しくなったら頼らせてね」「壁にぶつかったら相談させてね」と、わざと口に出した。この夏は(というかこれまでずっと)それが圧倒的にできなかった。でも、頼れないんじゃなくて、頼らなかった自分の責任だったんだなーって。誠実にやってみて、でも誰かの助けが必要なら声に出せばいい。最初はとっても勇気が必要だったけれど、これも練習。少しずつできるようになってきた。

こういう感じで、自分ができることをとにかくやってみた。ひとつずつ、ひとつずつ。焦らず、頑張りすぎず、楽しみながら。そのうちに少しずつ風向きが変わっていった。体調がよくなって、こころがエネルギーを取り戻していった。また笑えるようになれた。いまはもうすっかり元気。

ようやく抜け出した。夏に願った、「ここを抜けたらきっと、あたらしい景色が見えるはず。」が、ちゃんと叶っている。いま。
どんなことも自分次第で状況は変えられる。逆を言うならば、何も変えなければ何も変わらないままだ。ずっと。

いいことも悪いこともそんなに長くは続かない。だから、もしかしたらまた落ち込むことや壁にぶつかることがあるかもしれない。というか、きっとある。絶対ある(笑)。でも、悪くなりそうなときの抜け出し方をこんな風に知っておくことで、生きやすさは格段に変わるのだと思う。考え方とか、自分の動き方とか。ね。

生きやすくして、自分らしく進んでいきたい。自分らしくって「誰かと比較しない」と言われがちだけれど、それ以上に「自分が自分を否定しない」ことなのかもしれない。自分が、自分を信じる。選んできたものを、進んできたこれまでを、信じる。うまくいかないときはちょっとやり方を変えてみる。あの子と比較しない、じゃなくて、どんな自分も受け容れる。

ロボットじゃないから、血が通っているから、感情があるから、うまくいく日があればそうじゃない日だってある。強く立てるときがあるし、弱くしゃがみこむときだってある。清々しい朝があるし、寂しい夜がある。それでいい。全部、わたしたちの「自分」だよね。

完璧じゃないし、完璧じゃなくていい。完璧を目指し続けていたわたしがいま、心からそんな風に思えている。この気持ちで年末を迎えられるんだなーと思うと、とてもうれしい。風通しのよいひとでいたいな。だいすきなひとたちと、気持ちよく笑いたいから。

できることをひとつずつ。自分らしく。楽しんで。深呼吸して生きていきたい。生まれ変わってもわたしでいたい、そう思えるような生き方ができたらいいな。

生きるってめちゃくちゃ最高なことばかりじゃないけれど、悪くない。悪くないじゃん。きっとそれで充分、しあわせなことなのだと思う。

いただいたお気持ちはあたらしい本に使わせていただきます。よい言葉にふれて、よい言葉を紡げるように。ありがとうございます。