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鬱は心ではなく身体の問題である。

双極性障害と睡眠障害を抱えている院生のかぐらです。

今回は、書きためているノートではなく、突発的な思いのままに書こうと思います。とにかく、今書きたい!となったので。

双極性障害と診断されてから、3か月。自分のことや病気のことも少しずつ分かってきました。といってもまだまだ分からないことがいっぱいで不安になることの方が多いのですが。

ただ一つ、確信していえることは「鬱は心の問題ではない。身体の問題だ。」ということです。このことは既に他の方々が色んなメディアを媒介して言われていることで、珍しくはないことかもしれません。

しかし、実際の生活—現実においては、まだまだ心の問題として扱われていたり、そう思っている方も少なくないんだろうなぁと思います。とはいっても、心の浮き沈みがあったり、感情のコントロールができなくなっているので、心の病気と言われるのも分かるんです。

心の問題だけであれば、気持ちの持ち様でポジティブに変換して終わる話のようにいえますよね。そうではないのが鬱なんです。そもそも、人間の身体には「心」は存在しませんよね。生きていく上で、いろんな感情や欲望をもっているから、「心」があるのであって、物理的に「心」があるわけではないんです。

脳と神経と血液や筋肉をはじめとした身体の関係性によって、心が沈んでいくと同時に「身体」が自分の意に反して動かなくなる、コントロールがきかなくなっていくのが鬱なんだと思います。

常に慢性的な疲労と全身痛が私を襲っています。この疲労感や痛みがたまると、イライラや落ち着かない気分になり、身体がフラフラと安定しなくなり動けなくなります。吐き気や嗚咽がとまらないときもあります。

イライラや落ち着かない気分も辛いのは事実です。しかし、疲労感や痛みを緩和しなければ、気分は改善されることはないんです。好きなことをしてイライラを抑えても、身体の不調が治らない限りはまたイライラが自分の意識とは関係なくやってきます。

そして、「身体が不調である。疲れた。痛い。」と思えているのは私が軽度だからなのでしょう。軽度といっても日常生活は困難ですが。重度の方は起き上がることさえ難しいと聞きます。こうやって物を書くことも不可能な状態なのです。

「身体がおかしい」と自分に教えることも脳が止めてしまっているんだと思います。それに続いて、感情や興味をなくしていってしまうんだと。

鬱は、「身体が痛いよ、自分は今辛いんだよ」というメッセージを脳や身体に伝えることができないことを言うんだと、私は思います。

私はこのメッセージを受け取ることができなくて、双極性障害になりました。躁状態のときは、疲れていても体が痛くても、それが自分に伝わらず活動したい欲求が生まれます。

しばらくして、身体が疲れ切ったときにやっと「自分は疲れたよー」とメッセージが届きます。もうそのときには、イライラもするし、吐き気や嗚咽、身体の痛みがとまらないのです。

これが私の病気で、薬でなんとか日常生活を送っています。双極性障害は、私にとって心の問題ではなく、身体の問題です。身体が自分と一致していないことが最も苦しいです。こんな自分にまだ慣れないけれど、うまく付き合って仕事や趣味を謳歌できる日を夢見ています。

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