イライラは疲労の叫び
双極性障害と睡眠障害を抱えている院生のかぐらです。更新頻度が低下していて反省しています。
双極性障害との付き合うということは、感情のコントロールをいかに自分のものにしていくかということだと思うんです。特に負の感情が襲ってきたときこそ、体と心が飲み込まれないようにする必要があります。なぜなら私の場合、感情によって身体がうけるダメージが大きくなったり、身体がダメージを受けているのに感情がそれに伴わなかったりするので、私の意識しない内に限界を超えて寝たきりになってしまうからです。
希死念慮、イライラ、泣きたい感情があふれてきたり、冷静になれば被害妄想としてしか考えられないことをずーーーっと想像して落ち込む、などなど…このような負の感情が頭を離れなくなる日があります。うつ状態になるとそれは連日続きます。
とくに、イライラは慢性化してしまっています。比較的体調も気分も良くても、イライラが収まらない日もあり、そんなときはイライラに気が囚われてせっかく楽しい日でもなんだかモヤモヤが残ったり。
何も起きていない・原因のない怒りのようなものにうんざりして、どうしたらよいのかずっと悩んでいました。しかし、原因のない現象というのはないのですね。ちゃんと原因があったんです。
それは、疲労のサインでした。
私は疲労の感覚を最近知りました。
「疲れたなぁ」と思えるようにはなっていますが、それはもうヘトヘトに疲れているときで休むことが必要になっているとき。疲れている状態を気付けるようにはなりましたが、自分が疲れかかっていたり小休憩をいれたほうが良いタイミングは分からないままです。
つまり、「元気」と「疲れている」しか私の感情にはないので躁鬱の波がより激しくなってしまうのです。そもそも双極性障害になった原因が今までの無理した生活なので、疲れている状態から始まっているし、今も連日外出になるとすぐ疲れてしまうから、疲れやすい体になっているとは思います。
疲れやすいからこそ、「元気」と「疲れている」の間を自分で把握して生活できれば、躁鬱の波をできるだけ小さく穏やかにしたいと思っていました。そのポイントがイライラでした。
体調も悪くないのにイライラがとまらないときは疲弊するほどではないけど、疲れているサインだったのです。イライラがひどいので電車に座って音楽に集中したり、陽のあたるところでじっと動かないでいるとその後イライラが小さくなって過ごしやすくなることが多いことに気づきました。
イライラは単に人混みや電車に対してではなく、身体の悲鳴だったのです。「だんだん疲れていってるよ〜〜」というメッセージをイライラとして私に伝えているのです。
イライラは私にとって嫌いな感情のひとつでした。イライラなんて消えればいいのにって、正直今でも思ってしまいます。怒り、暴力につながりかねない感情が私の中にあることが恐ろしいのです。心の中にとどめておくのも苦しくて爆発しそうになることもあります。
街中でたまにいる常にイライラしているような人も、もしかしたら怒りたくないのにイライラの感情に飲み込まれてコントロールしきれなくなっているのかもしれませんね。私のように疲れてどうしようもなくなってるのかもしれないし、はたまは他のメッセージをその人にイライラを通して伝えているのかもしれません。
そんな迷惑で好きになれないイライラの感情。消えて欲しくてたまらなかったけど、私の疲労を教えてくれるサインになるのなら、私は自分のイライラを受け入れます。
これからは、イライラを受け入れて疲労としてコントロールしていきたいなと思っています。そしていつのまにかイライラではなく、疲労を疲労感として体に伝えてくれるようになっていきたいです。
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