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私達がうんざりするのは、生ではなく役割である

 順風満帆な人生、何不自由ない生活、常に安心して生きていられる自信。そのような、生き方の質は人それぞれ相対的なものだが、どんな人でも、どうしてもこの世が生きにくいと感じる時がある。
 絶対的な生きにくさ、息苦しさ、そういうものを感じる時、私達はその生をそう感じているのではなく、往々にして自分に当てはめられた「役割」を、苦々しく思っているのだ。

 役割の力は大きい。それはまるで自分自身を定義する強固な型である。にもかかわらず、それは概して私達の生とは関係がない。つまり、生まれた時からある役割を全うしたり、そのために生きている人はいないということだ(王族など、周囲がそのように扱うということがあるが、それを本人が自覚し、しかも生まれた時からそれらしく振る舞うことはない)。
 にもかかわらず、生きれば生きるほど役割というものは私達に生の苦しさを教える。だからそれを嫌に思うのだ。あたかも、生そのものを嫌に思っているかのように。

 生き物なのだから、人間がその生に嫌になることなどない。あるとするならば、それは勘違いである。私達は単に、与えられた(あるいは思ってもみなかった)役割に、うんざりするのだ。そしてそれは一時である。ずっとではない。うんざりする気持ちのままずっとそれが続くのかと思うからこそ、ますます気が滅入る。
 だから、気にしてはならないのだ。そして生を諦めてはならない。私達が諦めるべきは役割だ。それも不当な。望まない。自分の生に関係のない。もちろん、簡単にそれから離れられるわけではないかもしれない。しかし生を諦めるよりよほど簡単であり、正当なのだ。この「役割」は、私達の生をいつの間にか支配してしまうものだから、自分事として生きていくためには、その絶対性は見直されなければならない。

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