見出し画像

実際、「時間がない」わけだし。言い訳に聞こえても

「時間がないは言い訳に過ぎない」というのは正論である。しかし、正論にだって文句は言いたくなるものだ。実際、時間はない。「こうしよう」と決めた途端に、あれもこれもと用事がやってくる。やる気を出して腰を上げたのに、座っていろと言われてしまう。そもそも、日々のこまごまとしてことが多すぎて、新しいことなどやりようがない。

 なぜそんなに忙しいのか。そんなことを考える時間もない。そして重要なのは、時間は改善しようがないのだ。時間が過去から未来へと流れていくのをどうやって説得するのか?過ぎ去っていく時間をどうやって呼び止めるのか?「ちょっと待ってよ時間」と言って、そうしてくれるのならどんなに良いか。
 だから、時間がないのは言い訳、と言うことは、ある種の諦めなのだ。どうしようもないからこそ、そう言って納得したい。時間がどうしようもない存在だとして、それをただ受け入れるのは人間としてのプライドが許さない。だから言ってやりたいのだ。わかっているつもりになりたい。

 それを言い訳とするのにはあまりにも、時間は大きすぎる。多分、時間の方は人のことをなんとも思っていないに違いない。でも、人は自らの時間を持っている。それを少なからずコントロールできるし、そうするだけの(わずかでも)時間を持っているはずだ。
 それをやりくりするしかない。言い訳と言わず、やってみようと思うことは大切だ。時間は、そういう意味で作り出すものである。自らにとって必要なものとして再構築すること。
 それが人間に残された、容赦なく進んでいく時間との向き合い方である。

※このテーマに関する、ご意見・ご感想はなんなりとどうぞ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?