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「完璧に」振り払うことなどできない完璧主義

 完璧主義とは難儀なものである。なぜなら完璧とは達成できない目標で、満たすことのできない願望だからだ。少し考えれば「完璧」など、この世にありもしない妄想だとわかるはずなのに、しかし私たちは油断すると「完璧主義」の影を引きずるようにして歩いてしまう。
 そして、問題なのは、それだけではないことなのだ。
 完璧を求める心が、それだけであるのならまだマシである。輪をかけてなおたちが悪いのは、それを止めようとするときにも完璧主義が顔を出すことである。つまり完璧主義を患ってしまったが最後、それから離れるべきだと思っても、「完全に求めない」「絶対にやめる」「必ず欲しない」という思考にとらわれて苦しむことになってしまうのだ。

 これは「完璧主義の呪い」。がんじがらめの状態だ。その人自身は気づかないかもしれない。でも自覚できないのなら、これほど厄介なものはない。完璧主義を完全に止めようとしてしまう心ほど。
 完璧主義とは恐ろしい。完璧に進もうとしてしまうこと以上に、完璧に逃れようとしてしまうことから抜け出せない。完璧主義を問題視する際に私たちは特に、このことに気をつけねばならない。
 完璧を完全に跳ね除けようとするあまり、むしろ完璧主義に戻ってしまっていないかを。その癖を。その傾向を。視野の狭さを。省みる必要があるのだ。

 人は知らず知らず、完璧に誘惑される。それは確かに実現できれば偉業であるが、残念ながら、存在しないものである。そしてなお、そのことに納得して諦めようとする時ですら、「完璧に」そうでなくてはならないと、ふと思ってしまうのだ。
 そのように、心に差す完璧の影は、現実にありえないものだからこそ振り払うことはできない。それは私たちが作り出す幻覚のようなもので、きっと死ぬまで付き合い続けねばならない「完璧な」存在なのである。

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