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マネージャーは実は「偶然」生まれる

 マネージャー(管理職)と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか。それはよく知っている人だろうか、知らない人だろうか。それとも仕事のこと、働き方、あるいはもっと漠然としたイメージだろうか?
 思い浮かべられたそれがポジティブだろうとネガティブだろうと、きっとそれは何かしら「特別なもの」であるはずだ。

 私達にとって、それは普通ではない。マネージャーとは大変で、限られた人しか就くことができず、特別な技術すら必要だと思われている。
 しかしそれは少し違う。マネージャーというのは役職の名前であり、言ってみれば偉いとか偉くないとかの立場ではなく、単に結果的なものである。
 つまり本質的にマネージャーとは、なろうとしてなれるものではなくなってしまうものである。そしてその理由は才能や技術ではない。かなりの割合を運が占める。

 なぜなら、マネージャーに必要な人間的な特性とは「好きなことを言えること」だからだ。意思表明に気後れしないとも、自然と意見を求められるポジションにいること、とも言える。
 要するに周りの、その人への認識や扱いの問題なのだ。マネージャーとは本人の意識によるものよりは、ある程度の偶然性――組織にどのような人間がいるか、コミュニケーションのタイミング、本人のライフイベント、出会い、成功体験など――に左右されて成立する。
 それらは、その職場において、その人のコミュニケーションのとりやすさ、心理的安全性(意見のいいやすさ)を大きく変える。個人個人それぞれ、いいやすさが異なるのはほとんどの場合はタイミングである。さらに、人間は意見受け入れられればそうするほどに、意見を言いやすくなる傾向がある。だから、1度この心理的安全性を手に入れたなら、それはどんどんと強固になって崩れない。

 そういった理由により、マネージャーという他者のケアや管理、コミュニケーションなどを職務とする役職は成立させられる。マネージャーにとって心理的安全性はもっとも大切なものであり(本人にとっても、管理される側にとっても)、この安全性があることこそマネージャーをうまく進めさせる中心的な要因だ。そしてこの心理的安全性は、ある程度は本人の意思で改善できるものの、ほとんどの場合は偶然である。

 即ち、マネージャーとは特別なものではない。心理的安全性さえあれば、それは誰でもできる職務である。もし、マネージャーが上手くできなかった経験がある人がいるのなら、それは心理的安全性が足りなかったからと言うことができる。
(念のため断っておくが、ハラスメントなどの他者への加害行為が原因による「上手くいかない」はまた別の問題である。往々にして、何を言ってもいいということを勘違いしてしまう要因が、本人にせよそれ以外にせよ潜んでいるからである)

 なんにせよ、マネージャーとは特別な能力や立場を示す言葉ではない。それは意見の表面が自由にできるということ、遠慮なく発言できること、のびのび働けることなどの偶然のギフトが与えてくれる役職なのである。マネージャーの本質はそこにある。何かしらの卓越した操作は必要なく(マネージャーの王になりたいのならその限りではないが)、偶然によるものだと思う時、あなたにとってマネージャーはより身近になる。
 あるいは自身のマネージャーに対して変な気負いや距離感が生ずることも減っていくはずだ。

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