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著作権侵害と見て見ぬふりと「なあなあ」の文化

「なあなあ」は気持ちが良いので、創作物と相性が良い。正確には創作物の「扱い」を、人間は「なあなあ」にするのが得意だ。「なあなあ」とは、なんとなく、曖昧で、どことなく、都合よくしてしまうということだ。つまり「なあなあ」にするというのは、その権利をないがしろにするということである。

 権利。それも創作物のというと、私達はなんとなくそれを避けて通りたくなる。しかし一方で、もしそれが自分の権利だったとしたらそうではない。自分の権利は守りたいが、他人の権利はどうでも良いというのが顕著に出てしまうのが、創作物にまつわる権利の現実である。
 なぜそうなるのかと言えば、創作物は、その評価があいまいだからだ。それが良いものなのか悪いものなのか、即ちお金になるのかならないのか、役立つのか、求められているのか、その期待があるのか、そういったことが、わかりにくいものなのである。
 だから、それの権利者に、つまり創作者に、特別な地位を与える根拠がみえにくい。でも、創作物があることは事実だから、否定することもはばかられる。なので、「なあなあ」は生じる。

 そのようになんとなくにしておくことで、保険になる。創作物の評価を認めたような認めないような状態であることが、都合が良いのである。はっきりと決めないことで、とりあえず自分に有利なように扱うことができる。決まっていないのだから、反対されるいわれもない。そのような理論で。
 実際にはそれがすんなり通ることはないが、しかし、社会の基本認識として、創作物の権利ということに関しては、「なあなあ」だ。
 そうであることが当然に了解されている。
 だから、その侵害について、多くの場合に見て見ぬふりが起こる。自分の権利ではなく、他人の権利のことであれば。そして「創作者」はマイノリティである。その声は小さく、抑圧されがちで、ともすれば見えないことが多い。
「なあなあ」であるがゆえに。

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