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子供の優しさを感じた日~発達障害グレイゾーンについても考える~

 20歳を超えた息子が、最近自分の好きなことで成果を上げている。すごい! と、その集中力に驚くと共に、それ以外の多くのことは面倒くさがっては無難にこなせない息子に「息子らしいね」と夫と笑ってしまう。
 うまくやり過ごしたりこなしたり、できない部分があっても、そこまで本人が不自由しておらず、周りを傷つけたり困らせたりしていないのならかまわないんだよ。

 こんな風に思えるまでになるなんて、幼少期の息子で悪戦苦闘していた私に教えてあげたい。

 幼稚園や保育園での行事と言えば、多くの親が「我が子の成長ぶりを楽しみに」見に行き、感慨深く帰ってくるものなのだろうか。
 私はだいたいが悲しい思いや苦しい思いをして帰宅したものだったから。誰かのお子さんの、行事などでの成長ぶりとか読むと、なるほどそういうものなのかと、他人の子供エピソードで胸いっぱいにならせてもらう。
 そのうち入学式や卒業式などを経るとそういう気持ちもわかるようになったのだけどね。

 なにしろ癇癪(かんしゃく)の強い子だった。感慨深くなるよりその対応に追われて。多分周りの親たちより「感動!」に、年月かかったのだ。

 最近あんずさんの子育て記を読んでいると、「アスペルガー症候群(ASD)」だと診断を受けた彼女の息子さんと、親としてのあんずさんやスウェーデンでの学校の対応に感心させられる。

 私の息子は主に幼稚園時代だったけど、こだわりや癇癪が強かったと思い返す。真面目に思いつめる部分は今もあるしずっとかもしれないけど、幼い頃ほど本人が自分の真面目さに追いつめられていた。そしてやっぱり私が大変に思うのも当たり前だったと、あんずさんの文を読みながら納得する。

 こういうのって、「それを盾にするな」「それを言い訳にして逃げるな」という考えの人もいるので人に話す時は慎重になる。
 でも当時の息子や私を思うにつけ、そういう周囲の声に気をつかいすぎて孤独だった。もっと助けてもらえば良かったし、そういうシステムがないのも、我慢してきてしまった人たちがいるから。私なりに声をあげてきたけど、それでも気をつかい、できるだけ夫と私とで何とかしなければと思っていた。
 自分たちがとにかくがむしゃらに頑張って問題を解決しなければならない社会。よく知らない人同士で外側から厳しく批判しあう社会。自己責任の世の中はさびしくて冷たい。
 そんな無理に義理と人情にあふれなくても良いのよ。ただ困ったと訴えてきた人がいたら、できる範囲で声をかけて見守るだけで良いのに。本人たちに助かったとか「ありがとう」とか思ってもらえたらそれだけでも良い。

 特にこういった気質的なことについては、周りの大変さや本人の苦しさを思えば、診断を受けて人に話し、割り切れる方がその先が生きやすくなるのではと思う。
 直そうと躍起になって、周りも本人も変えられない特性に、自己否定を重ねなくて済む。一番のメリットは、周りも本人も対応の仕方を知る。そんな特性について話されても困るって人は、そこを受ける部分がないだけなので、意外と対応の仕方を伝えておくとコミュニケーション取りやすいかもしれない。
 そして自分の特性で苦しんでいる当人は、それを受けいれることで、周りの苦しみをも受けいれられるようになる。私は自分のあらゆる苦しさがHSP(highly sensitive person)から来ていたと知ったので、そういった葛藤する気持ちがほんの少しは理解できる気がしている。

 いずれにしても日々の暮らしの中で苦しい思いをしているのだし、本人が自分で自分にそれ以上、ムチ打つことない。そこへ周りが「もっとがんばれ」って言うのは残酷だよ。

 「反抗期かな。早いですね」と保育士さんに言われた1歳前から、息子にどう対応して良いのか試行錯誤した。当時は「発達障害」という言葉が世間でようやく聞かれるようになったところ。「障害」の言葉に抵抗を示す人も多く、その内容や様子を勘違い、誤解している人もまだまだ多かった。

 息子が「まだ幼くてこの先はまだわからない」のは本当だったし。きちんと診断を受けたことはなく、本を読みあさって「いわゆるグレイゾーンなのだろうな」と認識していた。

 診断する必要があるかどうかだけど、本人がどの程度、日常に不自由しているかにもよる。それによって居場所を変えた方が良い場合もあるだろうし、自分が属している場所がどの程度それに対応できるかにもよる。

 息子は困ったこともあったけど、コミュニケーションと学力では大きな問題はなさそうだったので、本格的な診断には至らなかった。中学入って間もなく、学校生活で苦しんだことがあったので何度か話し合い、「やっぱり僕は診断してもらわなくて大丈夫」と落ち着いていった。そのくらいの年齢になると本人の意志も大切。
 小学校生活6年間、スクールカウンセラーには何度も私や息子が話しに行ってお世話になり、その時に言われた「その傾向がありますね」が的確だったかなと振り返る。

 あんずさんの息子さんの話を読むにつけ、「似ている部分があるなあ」「そうか特性のせいだったのか」と思うし、こうなるほどには激しくなかったのかな、そこまではこだわりが強くなかったのかなとも思う。想像するだけで親の対応の大変さには、頭が下がる思い。
 「こうなるほどには」というのは、親側からの対応の大変さもあるけれど、何でもそうであるように「良い部分と表裏一体」で、そこは息子にも言えること。長所ともつながる。
 こだわりも、好みの傾向のわかりやすさ、そしてそれに取り組む集中力の強さに生かせる。大人になるにつれて感情をコントロールできるようになってからを考えると、やはり決して「困った」だけの部分ではないと思うのだ。
 だから例えばあんずさんの息子さんの得意なことを聞くと、その内容に「すごいなー!」と驚き感心させられる。その子の熱中できるものを見つけて挑戦していると、こだわりが強いからこそ飛躍的に上達するし、心からの楽しみになる。大事なのは、こういった子ほど、親の提案には乗らないので、好きそうなものはできる範囲内で尊重する。あんずさんは、息子さんの特性を生かせているのだなと思う場面の数々は、読む度に微笑ましく応援したくなる。私はそこまでできていなかったかもしれないなどと省みることも。

 彼らのこだわりの中で大変な一つは、「こうでなくちゃいけない」と、親たちにとっても「真面目過ぎる」考え方をするところ。「こうでなくちゃいけない」は、幼稚園や学校の先生に言われたことでもあるし、当人たちが勝手に思い描いた自分で自分を窮屈にさせてしまうものでもある。
 だから例えば、息子は行事で私がはりきって作っていったお弁当の箱が、自分の想像とちがうと、その楽しい雰囲気ぶち壊しに大号泣する。
 例えば、周りから楽しそうに過ごしているように見えていようと、本人はその場を乗り切ろうと張りつめていて、私が迎えに行くと喜びを通り越した安堵で大号泣する。

 そういう子供がそれまでにもいるのを、幼稚園の先生は見てきているから、「大丈夫ですよ。お母さんを見て安心するタイプの子なんですよ」と笑ってくれていた。
 幼稚園の先生方のやさしさにもどれほど救われていただろう。それでも周りの親から向けられる「なんでこんなに泣いているの」「泣き止ませられないの」の視線はつらかったし、子供たちにも「赤ちゃんみたい」と言われていた。

 心配だったのは、この子が自分らしさを肯定的に受け入れ、折り合いつけて暮らしていけるのか。生きづらい時に私たちはフォローできるのか。
 そして「自分たち親に対しての意味ではなく、周りの人の気持ちを思いやれるようになってほしい」のが私の願いだった。

 それは欲張りなのだろうか。
 でもあんずさんの息子さんの様子を日々読んでいると、決して欲張りなのではなく、ちゃんと両立できると思える。

 当時の私は心配で、どうにか息子がそんな風に少しでも生きやすくなってほしいと願い、対応の仕方を貫くのに必死だった。なにしろ不安だし、周りはいろいろ好き勝手に言うものだ。
 本や講座などで知識を得たり相談したりで、息子の個性にも対応を合わせていく。

 息子はとても素直で率直だったし、根が明るい。当然苦しさはあっただろうし考えこむ気難しさ、私とはちがう面での繊細さだってあるけれど、この明るさに、周りや、親である夫や私はどれほど救われただろう。
 やはり日常生活で困っているようだったのは真面目過ぎて思いつめるところだろうか。身体を動かすことや生き物に興味を示さなかったけれど、何かを知ることへの好奇心が強く、覚えるスピードも速く、それが定着しやすい。面白いと思うことにはとにかく執着が強かった。
 親の欲目はあったかもしれないけど、少なくとも私とは全然ちがった面で良い部分がたくさんあったし、理解できない部分に関して私の「子供ってこういうものよね」を押し付けてはいけないと強く思っていた。

 息子の良さをそのままに、周りの人の気持ちを、時には立ち止まって考えられるなんて、やっぱり欲張りなのだろうか。

 何も「優しい振る舞い」をしてほしいんじゃない。
 うまく気のきいた言葉をかけられなくても良い。
 世話を焼けるような人でなくてもかまわない。
 皆と仲良くできなくたって良い。
 友達に無理に好かれるように気をつかわなくて良い。
 自分を優先させたって良い。
 親に対して優しさを見せてくれなくて良い。

 ただ目の前にいる人がどんな気持ちかは考えられた方が良いなって。

 特性上、人の気持ちを想像するのが難しい子もいると知っていたから、そういう場合には、毎回話し合わなければならない覚悟も持つようになっていった。そして話し合うことで、発達のスピードこそそれぞれにちがえど、その子がいつか人の気持ちを想像できるようになるとも知っていた。

 息子に関しては、しつけが身につくのも極端に遅い。こだわりが強い反面、面倒に思うことはとことん無頓着。本人もきっと心に言いたいことは山のようにあって、自分でまだまだうまく折り合いがつけられない。
 それでも情緒だけはゆっくりでも良いから、発達してほしい。

 あらゆる感情を味わってもらおう。私たち親は、それを受け止められるよう頑張ろう。
 息子は怒っても良い。泣いても良い。それに対して私がイヤだなあと思って我慢しているのはバレバレだったと後に息子に聞くのだけど。それでもその感情自体は悪いわけではないから奥深くに抑え込んでしまわなくて良い。その気持ちを自覚し、どの程度自分でコントロールし、人前でどう表現するかを何とか体得してほしい。
 そして一緒に笑おう。いっぱい喜んで、たくさんの体験を楽しもう。
 感情を言葉にして謝ったり受け止め合ったりしよう。
 さまざまな感情体験をして、息子クンはこう思ったんだね。父さんはこうだった。母さんはこう思ったよ。この人はこんな風に思っているように見えるね。あの子はああだったのかな。
 数えきれないくらい、日に何度もそんな言葉をかけた。
 もちろんちょっとした習慣やしつけに関しても事務的に言葉をかける。「落とさないんだよ」「拾っておくんだよ」「これは捨てるんだよ」「片づけてね」。たった一つの物を自分で片付けられるようになるのにも、年単位で時間がかかった。
 幸い、それに関して私がイラ立つことはあまりなかったので(時にはあったけど)、言葉をひたすら年月を経てかけ続けた。そして今も息子がそれらをクリアしているとは言い難いけど。

 でも毎日何度も大泣きされるのは、なかなか慣れなくて。精神を削ってくるので本当に参るのだよね。

 私の接し方が間違っているのではと、何度苦しく悲しくなっただろう。
 行事やお迎えの度に大泣きする息子の手を引いて、度々私も泣きながら帰った。

 これに関しては何度も振り返っては謝ってきたけど、伝わっているだろうか。
 車の中や部屋で、泣きわめく息子を怒鳴ってしまったこと、後悔しかない。もっとうまく接することができなかったかって。今も自分がダメだったって、時々泣いちゃうよ。

 でも本当につらかったのはきっと息子なんだ。

 母さんは、キミの気持ちを受けとめきれていなかったんだろう。振り返ると反省だらけだよ。

 その日も舞台で皆と歌を歌って、息子は多くの保護者がいることにちょっぴり呆然としているのが見えた。歌えているのかな? ボンヤリしている? この後また大泣きするんじゃないかしら。と不安になりながら見守っていた。

 一同が退場してから、みんなワイワイ保護者としゃべったり壇上に上がったりしている時。
 誰だろう。息子の仲良しクンや、よく遊ぶ子たちは知っている。普段は特別に仲が良いわけでもない子のようだったけど、舞台の端っこに座ってしょんぼりしていた。
 泣いているのかな。どうしたんだろう。あの子、大丈夫かな。
 と思っていたら、となりにストンとひっつくように腰かけたのが息子だった。

 ちょっとのぞきこんで心配そうな顔をした後、声をかけるわけでもなく、ただ自然に横に座っているだけだった。時々周りにウロウロいる他の友達たちと、何かニコニコ喋ったりしながら。
 息子は、その子が落ち着いた様子になるまで横によりそっていた。

 私は何を心配していたのだろう。この子はちゃんと自分なりのやさしさを心の中に育んで、表現している。
 
 この後だって当然、何年にもわたり心配事が容赦なく押し寄せてくる。きっとそれに関しては多くの親が経る感情や経験。

 でもあの瞬間。初めて、息子の中にある、「目の前にいる人を思い、寄りそう心」を感じさせてもらった。私の接し方を「今までよくがんばってきたよ」とねぎらわれたような、ごほうびもらったみたいな息子の行動と表情。

 息子の、小さくて、私には大きなやさしさ。
 行事とも関係なく、息子が癇癪おこして泣いたとか泣かなかったとかも関係なく、初めて息子を「見に来て良かった」と胸がいっぱいになった日。



読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。