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春の味覚と、料理を楽しめるようになった体調に感謝

 息子の春休み、一ヵ月近くの滞在を終え、札幌に戻る前。
 一人暮らしで無頓着なりがちな、季節のものを食べてほしくてがんばった。更年期症状の重さも少しずつ改善されてきているおかげもある。

 たけのこご飯は一度作ったし、もう一度作っても良かったのだけど、スケジュールを考慮して炒め物に。

 つくづく料理の記録を投稿している人に感心してしまう。いちいち手を止めてスマホを向けるのが面倒だし、何よりうっかり忘れてしまう。

さあ作りながら写していくぞ! と意気込んだ最初

         ↓↓↓

あれっ途中を写すの忘れてたのではと慌ててスマホをチェックする。
何も残っていなかった

 過程を写すのを忘れてたー!
 他の料理も作ったり、写したりもしていたので気づかなかった。

 たとえばふきのとう。

高かった

 買った量が少なく、ふき味噌を作る。

炒めている間の写真ばかり、やたらに撮っていた

 私が子供の頃、あんなにえづいて食べられなかったふきを、炒めると美味しいと知ってから、買えば炒めてしまう。
 それにしても苦手だったはずが細かく刻んでいるとただよう香りに「うわぁ良い匂い!」と吸い込むようになるなんて。
 ご飯のおともにとても美味しかった。

 そしてたらの芽。

 天ぷらにする!

ああ影になっている

 もう少し写し方とかタイミングとか、載せるのであれば気にしないとなあと多少情けなさに包まれる。

 そして春の物が並んだ食卓の様子も写せば良かった。食卓に並べたら「うわあー美味しそー!」と自分で絶賛した後、「食べたーい!」と自分で盛り上がり、めちゃめちゃ気がはやる。「いただきまーす」と言いながら早くお箸を手に取りたくてぐねぐね動いてしまう。

 いやあ美味しかったなあ。

 大人になったから美味しさがわかるとか、そんなのよくわからないよ。ひたすら美味しい! 香りが鼻に抜けて、苦みがほどよい。
 なんであんなに苦手だったのに美味しいと思えるんだろうねー。夫に話しかけると「毒だと感じる感覚が鈍くなるんじゃなあい?」と言う。
 結局年齢によるものなのかあ。
 他には毒ではないと知った安心感から楽しめる意識もあるそうだ。

 息子にも「美味しい?」としつこく聞いたため「うん。美味しい」と言っていたけど、春の空気を感じてくれたかなあ。

**

 幼少期の息子は、どんな対策を講じても寝ない子だった。
 こうすれば。ああすれば。周りは色々言うよね。本にも、今ならネットにも色々書いてある。なんなら親のせいとかまで。親の生活を変えようとかテレビが良くないとか。今ならスマホとかも言われるのだろうな。
 でも何をやっても、何かをやめても、そうした習慣を続けてみても、とにかく寝ない子は寝ないのよ。努力して眠れるようになったとか、何人兄弟姉妹がいても眠れるタイプの子ばかりとか、そういう子の親は色々言ってくるけど、寝ない子の親御さん、どうか気にしないでね。そういうタイプの子なのだから。
 子育ては、がんばってもがんばっても報われないことなんて山のようにある。

 そもそも妊娠もそうだったと思い出す。息子を授かったのはもうそれだけで奇跡みたいなものだ。
 「努力したら必ず結果が出る」なんて、そんな感動的に現実はできていないことだってある。その人それぞれの暮らしも本質的なところも知らないで努力していない、がんばっていない、取り組んでいないみたいに言わないでほしい。
 子育てもそうだし、自分を振り返ってもわかるだろう。こころがけても、努力しても、変えられない部分がある。

 そんな息子に翻弄されて、私の睡眠時間は削られ、元々起こりがちだったメニエール症状は、頻繁に起きるようになった。

 夕食を作る時に頭がスッキリしていたら、もうたったそれだけでありがたいと思える日々。だいたい一日中、頭が膨張したような感覚で過ごす。
 だから家族にはできるだけ栄養を考えつつ、その料理が美味しくなるようには努力しつつ、合理的に手早く済ませられるものにしてきた。
 ちゃんと眠ってくれるようになった幼稚園生の頃も、夕食を作る時には「少しは一人遊びするかテレビを観てくれ」と願ってしまうほど、ずっと話しかけてくる。「晩ご飯を作るから待っててね」なんて事前に何度声をかけておいても通用しない。
 とにかく話し相手をしなければならなかった。
 しかも上の空で返事をしていると、すぐ見抜いて、しっかり返事をするまでしつこく話しかけてくるのだ。

 息子が小学生になると、私が早起きするのがつらくて、毎日ヨロヨロだった。
 昼寝をしてどうにか体力を持たせるも、やっぱり夕方になるとフラフラになって、凝った料理などできない。
 それがずっと続いた。

 中学生以降もそう。手の込んだ料理はごくまれにできたけど、私の体質、体力では続けては不可能。
 栄養満点で、味さえそれなりならば、って料理が続く。1シーズンに2回、手の込んだ料理ができればって程度かな。家族の中の誰かの誕生日とか何かの記念日とかに。
 栗ご飯やたけのこご飯も毎年のように一度は作ったけど、ギリギリの体力で必死だったなあ。

 息子が高校三年生の頃には更年期症状がひどくなって、いよいよ簡単な料理ばかりになり、時にはダウンして晩ご飯自体を作れない日も。

 noteでは当時、料理に手間をかける方の記事がうらやましかった。私の「できない」を刺激するのか、見るだけなのに自分で作っている気分になるのか、読むだけでグッタリ疲れるようになってしまった。
 決してイヤな気分がするのではない。
 エネルギッシュな方やテンションの高い方の投稿は、読み始めの楽しい気分と裏腹に読み終わると何だかヘトヘトに疲れるのだ。時々は見られるけど、それが並び、それを中心にしたタイムラインにはできなくなった。

 それがだんだんここ最近、元気が戻るにつれて、フォローしていない方の投稿でも「わーおいしそー」を以前より楽しめるようになっている。

 本当は息子が一緒に暮らしている間に、日々工夫した料理を出したかったなあ。
 息子は一人暮らしを始めて何年も経ってしまっている。でも帰省した時には、以前こちらで暮らしていた頃よりずっとしっかりした料理を作っている。息子の好きなメニューは昔から「ええ……そんなもの?」と料理の腕に関係のない物の方が多いけどね。

 母さんの手料理を食べる機会が減ってしまったけど、栄養満点の料理だって変わらず作れるからまた食べに帰っておいでよ。
 これから数年は作りに行く機会もできそうだね。


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