I<わたし>~真実と主観性/デヴィッド・R・ホーキンズ(2010/03/24) 【本要約・まとめ】
パワーか、フォースか
パワーとフォースの定義
ホーキンズによると、意識レベルは1から無限に至る数字で表され、200以上が「パワー」、それ未満が「フォース」と定義されます。パワーは人々に力を与え、生命力を増強しますが、フォースは逆に生命力を奪い、人を弱くします。スターウォーズで言及される「フォース」とは異なり、この文脈ではフォースが負の影響を与えるものとして扱われます。
意識レベルの具体的な数値
意識レベルの数値は、人々の振る舞いや信念の質を示しますが、知能や学識とは無関係です。200を超えるとポジティブな影響を与え、それ未満ではネガティブな影響があるとされます。意識レベルが高いほど、その人の生存や成功の確率が高まります。
意識レベルの測定方法
キネシオロジー、特にオーリングテストを用いて意識レベルを測定する方法が説明されています。これは筋肉反射テストで、特定の物や状況が人の体にとって良いか悪いかを判断するのに用いられます。
意識レベルを上げる方法
意識レベルを上げるためには、偏見のない心を持ち、高いエネルギーフィールドに自らを晒すことが推奨されます。また、既存の知識や信念に固執せず、変化を受け入れる姿勢が必要です。さらに、クラシック音楽のように意識レベルが高いとされる音楽や芸術に触れることも効果的です。
Dr. David R. Hawkinsの著書「Power vs. Force」に関するYouTube動画の内容要約です。この動画では、ホーキンス博士が筋肉テストのデモンストレーションを行い、その本を読むことが意識のレベルをどのように変化させるかを説明しています。彼の説によると、本を読むことで個人の意識レベルが約35ポイント上昇するとされ、一生の間に平均的な人の意識レベルが自然に上がるのは約5ポイントです。したがって、この本を読むこと自体が、意識についての真実を知ることによって、大幅な意識レベルの向上をもたらすと述べています。また、本を2回読むことで、より高い意識レベルを得られ、内容がさらに理解しやすくなると語っています。
★重要ポイント~内容一部紹介
第3章:霊的浄化
ハートとマインドの核心
デビッドRホーキンズの著書『真実と主観性』の第3章「霊的浄化」は、心と行為の核心について述べています。その核心とは、「明け渡しのプロセス」であり、このプロセスは意図とやる気のある態度によって活性化されます。あらゆる思考、感情、衝動を明るみに出し、それを神の元へと解放します。
幻想とプログラム
すべては幻想であり、プログラムであり、記号です。これらは本当の自己の意識を妨害しています。概念、イメージ、記憶、ファンタジーも知覚の産物であり、これらの障壁はラベル付けや価値判断を生み出します。正しいか誤りか、賛成か反対かなど、すべてはこの二元性に当てはまります。
コンテンツの無限ループ
精神の内容は止めどなく流れ続け、源を突き止めなければ無数のデータが流れ続けます。求道者はこのコンテンツの渦から逃れようとし、最終的には失望してしまいます。意識の全体的なコンテンツを調べると、これらを霊的に浄化するのは不可能であることが明らかになります。
思考と感情のプロセス
自我(エゴ)は思考のプロセスの自己防衛的な集合体であり、その根底を成しているのがプライドと自己投影です。心理学的には、エゴは生存のために必要なスキルと解釈されますが、霊的な観点ではエゴは誤りの元凶とされています。
明け渡しのプロセス
霊的探求者にとって、神への道は「明け渡し」が核心です。しかし、明け渡しの方法は明確ではありません。技術がなければ、探求者はコンテンツを明け渡すために何年も費やすことになります。
執着心の理解
執着心は信念と欲望に基づいています。頭の中のコンテンツが幸せをもたらすという信念です。執着とは、考えること自体が幸福、富、成功への道だとするものです。自己アイデンティティを失う恐怖から抵抗が生まれ、思考との間に愛憎関係が生じます。
自己への愛と明け渡し
私たちは自己を愛し、執着しているため、思考を手放そうとはしません。思考が災害や苦悩を招いても、それが自己そのものなので手放せないのです。瞑想や黙想を通じて、自分の存在の核心が明らかになります。自己を包み込む愛は無条件であり、思考や意見から自由です。
真実の自己の発見
本当の自己は太陽のように常に存在し、無条件に愛します。愛は二元性を超え、環境に依存しません。明け渡しによって、神の無限なる慈悲が現れ、すべてを無条件に愛します。覚醒とは、真理を実現する障害が取り除かれたときに現れるものであり、太陽が雲が取り除かれたときに輝くのと同じです。
第6章:悟り
神の多様性と個々の道
デビット・R・ホーキンズは、神への道が無数に存在すると述べていますが、多くの宗教団体や霊的組織は自分たちの教えが唯一の真実であると主張しています。これは主に、自己の道を唯一のものとして押し通すことで他者を支配しようとする試みによるものです。歴史上の偉大な霊的指導者たちは、それぞれ独自の方法で悟りを開いており、その過程で完全にエゴを捨て去っていることが共通しています。
神の無条件の愛と平等
ホーキンズによると、神は偏りなく、すべての人に平等に愛を注ぎます。太陽が選ばれた人々だけに輝くわけではなく、空も特定の人々のためだけに存在するわけではありません。神の愛は無条件で絶対的であり、すべての人は神から既に選ばれているとされます。誰もがそれを受け入れるかどうかは個々に委ねられています。
霊的探求の価値と進化
霊的探求者にとって最も重要なのは、自己疑いを捨て、自らが探求する価値がある人間であると確信し、神に対して心を完全に開くことです。これにより、霊的成長が促進されるとホーキンズは述べています。覚醒や悟りへの道は、個人の特性や霊的直感によって推進され、結果として心の平和を回復することができます。
自我とエゴの役割と超越
ホーキンズはまた、エゴが生物学的起源から生じ、私たちがそれを持って生まれ、社会によって強化されると説明します。エゴを超越することは可能であり、それにはエゴと自己を同一視しないことが重要です。エゴはパワーを持たず、霊的成長によってその影響を減少させることができます。エゴのプログラムにはまることなく、霊的成長を促進するためには、洞察と自己認識が必要です。
エゴの認識
質問: エゴをよく知る目的は何ですか?
回答: エゴを理解せずに克服しようとすると、罪悪感や自己非難などのネガティブな感情を引き起こします。多くの人が霊的な作業を始めることを躊躇する原因です。エゴは悪ではなく、動物的な自己中心的存在であり、それを理解し受け入れることが重要です。
エゴに対するアプローチ
質問: なぜエゴに注意を向ける必要があるのですか?
回答: 悟りは段階的なプロセスであり、霊的な成長はエゴの本質を理解することで進展します。エゴを敵と見なすのではなく、思いやりをもって理解することで溶解します。
エゴの本質
質問: 思いやりのある目でエゴを見るとどうなりますか?
回答: エゴは究極的な真実ではなく、動物的な世界から受け継いだツールに過ぎません。理解し受け入れることで、エゴを超越することができます。
エゴの防衛メカニズム
質問: フロイトとユングの視点
回答: フロイトはエゴの防衛メカニズムを解明し、アンナ・フロイトがそれを広めました。ユングは人類の共通性を「集合的無意識」と名付け、霊的な領域を加えました。
知性の役割
質問: 知性はエゴに勝るものでしょうか?
回答: 知性は意識レベル400に位置し、医学やテクノロジーの発展に貢献しますが、核兵器や毒ガスも発明します。知性は物質的な限界を超えることはできず、霊的な領域に進む必要があります。
霊的なパワー
質問: 霊的なパワーとは何ですか?
回答: 霊的なパワーは努力なく成し遂げられ、物質を変化させる触媒のようなものです。謙虚さや愛、平和が霊的なパワーの一部です。
好奇心と霊的探求
質問: 好奇心は霊的な探求に役立ちますか?
回答: 謙虚さを保てば、好奇心は役立ちます。しかし、分別のない好奇心は危険であり、霊的な教師の指導が必要です。
放棄の意味
質問: 霊的な成長のために必要な放棄とは何ですか?
回答: 放棄とは、神の真実を遠ざける幻想や障害を捨て去ることです。愛と平和、真実を選び、無知や憎しみを放棄することです。
霊的な成長にはエゴを理解し、受け入れることが重要です。知性を超えて霊的な領域に進むためには、謙虚さや愛、真実を持つことが必要です。放棄とは、不要なものを手放し、神の道を歩むことです。
第10章:神の本質
神の真実への探求
歴史を通じて、人類は神の意志や言葉、法則について耳にしてきましたが、これらはしばしば恐怖を引き起こしてきました。私たちは、人類がどのようにして神の真実を知るに至ったのかを調査し、信じるべきことや証明できることを検証します。
神に関する知識の伝統的な方法
神に関する知識は、刑事、啓発、インスピレーション、内観、試作、演繹から得られました。神学は特殊な宗教研究であり、神に対する理解を知的に発展させたもので、認識論や形而上学的な哲学に融合していきました。
宗教と神の真理
宗教は、神の理解が普通の人間には不可能であり、神の真理を経験することも到底あり得ないという前提に基づいています。歴史的に宗教は、神の属性の本質についての情報源でした。
神を悟った霊的な天才
宗教の起源となった神秘家たちは、神を悟った霊的な天才であり、自らの経験と知識を人類全体のために分かち合いました。彼らの覚醒レベルは、次のように測定されました:
キリスト:1000
モーゼ:910
ゾロアスター:860
コーランを記した当時:740
検証可能な経典の信憑性
歴史上の偉大な覚醒者や聖者の教えや経典の信憑性は、交差的な検証法により確認されました。これらの経典は、異なる文化でも一致した結果を示しています。
神の本質
神の本質について、以下のように示されています:
神は創造の全体性、無限の潜在的可能性の源である。
神は時間や空間を超越し、無限である。
神は全知全能である。
神は意識、気づき、知、直感の源である。
神は生命エネルギーの唯一の源である。
神は進化と創造の源であり、両者は同一である。
神は平和、静寂、美の源である。
神は存在するものすべての源であり、宇宙を超越している。
神は存在とその潜在的可能性の唯一の源である。
神は宇宙と万物のコンテクストである。
神はあらゆる形に内在する無形の源である。
神は知性や照明の領域に属さない。
神は覚醒の本質である。
神は自己実現の根源的な主観性である。
神は内在的で超越的である。
神の臨在は年齢、文化、地域を問わず共通している。
神の臨在は人間の意識に変容をもたらす。
神の本質は人間の欠点を含まない。
神の属性の多様性は人間の知覚や自我の障害を反映している。
神の臨在の純粋性は聖なるものの源である。
人間の意識が障壁を超えると、内在的な神が現れる。
神はあらゆる創造のカルマ的統一性の源である。
真理は同一化によってのみ実証可能である。
神の本質の検証
これらの声明は、2003年7月13日に200人以上の観衆の前でキネシオロジーテストによって確認されました。このテストは、真理に関する確かな情報を提供することを目的として行われました。
霊的な教えの意味
霊的な教えは、物理法則のように確実なカルマの法則や神の属性に従っています。聖者やアバターは、異なる方向性がどこに行き着くのかを指摘し、霊的な身体が非線形的な霊的心理の法則に基づいていることを教えます。
神の臨在と人間の意識
神の臨在を人間の意識が経験すると、主観的な変容が訪れます。霊的な情報により、魂の運命が明かされますが、その情報はしばしば恐怖や権威主義を引き起こすことがあります。霊的な教えの純粋さは、霊的心理に対する防御ができない弱点でもあります。
霊的情報の調査結果、あらゆる創造のカルマ的な統一性は神と完全に調和していると結論付けられます。
第12章:感情/プライド
プライドの正常と異常
プライドには、正常で害のないレベルがあります。それは自尊心やセルフケア、自己管理とも呼ばれ、効果的な努力と達成によって得られる満足感の一部です。このようなポジティブな自己イメージは、努力の結果得られるものであり、現実的な基盤が伴っています。
霊的な欠陥としてのプライド
一方で、霊的な欠陥とされるプライドとは、他者より自分が優れているという態度や立ち位置のことを指します。これは傲慢さや自惚れであり、何らかの成果が伴わない場合は非常に脆く、防衛しなければならないため喧嘩腰になることが多いです。
プライドの弱さと虚栄心
プライドは、風船のように膨らんだエゴであり、容易に破裂します。虚栄心は自己中心性に基づき、他者に対する思いやりや愛情に欠け、神への献身を拒否します。これは、支配権を巡って神と競い合っている姿勢でもあり、謙虚さを否定します。
真の謙虚さ
真の謙虚さは、正確な評価から生まれ、価値づけはされません。真に謙虚な人は、偉大な功績を上げても自惚れず、素直に称賛を受け入れ、深い満足感を得ることができます。
虚栄心への対抗策
虚栄心に対する解毒剤は、報恩感謝と満足感です。真の謙虚さは、プライドを介さずに事実を事実として伝えることができ、偉大な功績についても謙虚でありながら認めることができます。
自己中心性と社会の悪
肥大化したプライドは、自己中心性や幼児性と結びつき、家庭内暴力や凶悪犯罪を引き起こします。犯罪者や独裁者は、自らの欲求を正当化し、他者を苦しめることで自己を満たそうとします。プライドが悪の根源となり、社会の対立や犯罪の源となります。
霊的な成長とプライドの脱却
霊的に進化すると、プライドや自尊心は必要なくなり、価値判断から解放されます。全てはあるがままであり、進化した意識にとっては価値などどうでもよいことです。人生の目標は霊的なものとなり、内的な充実を求めるようになります。
サットバ、ラジャス、タマスのレベル
東洋の霊的な伝統では、宇宙の作用を大まかに分類し、サットバ、ラジャス、タマスの三つのレベルに分けています。タマスは怠惰や欲求の欠如、ラジャスは活動や達成、サットバは安らぎや充足のレベルです。
社会の役割
社会は、絶望や失望感の中にいる人々のエネルギーを引き出すために、興味の対象や教育、モデルとなるより良い暮らしを提供し、彼らの気持ちを引き上げる方法を模索しています。
第14章:考察
肉体の死に関する恐れ
デヴィッドRホーキンズは、肉体の死に対する恐れが人間の様々な不安を引き起こすと述べています。この恐れを軽減するためには、死についての理解を深めることが重要です。
死の瞬間の体験
死の瞬間に何が起こるか
人は死ぬ瞬間に自分の肉体的な死を直接体験することはありません。意識は苦しむことなく肉体を離れ、即座に開放感と安堵感に包まれます。死後も意識は生き続け、肉体はもはや魅力的でも望ましいものでもなくなります。新しい自分は、不死性を再発見し、目覚めた新しい可能性に夢中になります。
カルマと死
カルマによる死の設定
肉体の死はカルマ的にすでに設定されていますが、その死を取り巻く環境や条件は他の要因や選択の影響を受けます。死に対する象徴的な捉え方や人生でのリスクの取り方、健康面での選択、文化的習慣、心理的プロセス、自我の信念体系などが影響します。
意識レベルと死
意識レベルによる死の捉え方の違い
意識レベルが200以下の人は、死に対して嘆きや怒り、喪失感などの反応を示します。一方、200以上の人は、死を意識の向上の機会と捉えます。さらに高い意識レベルでは、死は意識を飛躍的に成長させる機会と見なされます。
魂の移行
魂が肉体を離れるプロセス
肉体の死後、魂が完全に肉体から離れるまでに平均で3日を要するとされています。この期間中、否定や嘆き、未練をなくすなどの段階を経て、魂は肉体からの執着を断ち切ります。そのため、埋葬や火葬は3日間待つことが望ましいとされています。
自己中心性と霊的な目標
自己中心性と無私
自己中心性は獲得と生存を目的とし、無私(自己をなくすこと)は与えることと奉仕を目的とします。これらは意識の進化の過程で異なる段階を表すものであり、対極のものではありません。動物界に起源を持つ自己中心性は、進化の過程で徐々に利己主義から協調性へと移行します。
成熟と内的な喜び
成熟した意識の特徴
成熟した意識は、外側からの獲得ではなく、内側からの自己充実感から喜びを見出します。最終的には、幸福感と安心感の源は内側にあることを学び、真の幸福感や充実感を得るために自我を捨てることが重要です。
欲望と渇望の原動力
欲望のメカニズム
過剰な欲望は不足感という幻想を生み出します。欲求の対象に対する増幅された価値が欲望を引き起こし、その対象を手に入れると次の欲求の対象に移る、終わりのないサイクルが続きます。
幸せの源
内的な自己充実感
幸せは外側から何かを獲得することではなく、内側から湧き起こる自己充実感にあります。意識が進化すると、欲望のメカニズムが静まり、内なる目的を実現することに喜びを見いだすようになります。
霊的な目的と統合
霊的な成長の道
意識の進化は、自我を段階的に捨て去り、真の幸福感や充実感を発見する道です。究極の目標は、自分と神との関係を完成させ、真の自己として立ち現れることです。
呼吸法の効果
呼吸法は、特にエネルギーが過剰に蓄積された場合に有効です。エーテル体やチャクラエネルギーシステムの基本を理解することが必要です。性エネルギーは第一チャクラに蓄積され、野心や攻撃性などのエネルギーは太陽神経層に集まります。ハートチャクラは愛と許しのセンターで、喉チャクラはコミュニケーションと創造性に関わります。
霊的エネルギーと身体の関係
霊的エネルギーは背骨を通じて体全体に供給されます。エネルギーの流れは、態度や考え方によって変えることができます。臨床キネシオロジーを通じて、どの臓器が弱っているか、どのようなネガティブな態度や信念体系が影響しているかを突き止めることができます。
胸腺とエネルギー調節
霊的エネルギーシステムのエネルギーレベルは、胸骨の真後ろにある胸腺が調節します。胸腺は身体の免疫機能を助け、ネガティブな感情やストレスによって消耗されます。
基本的な呼吸法
基本的で効果的な呼吸法は、霊的なエネルギーを背骨のチャンネルに沿って吸い上げる方法です。エネルギーが高位チャクラに流れ込む様子と同時に意識の光をイメージすることで、内なる感覚が変化します。
エネルギーシステムと呼吸法の実践
伝統的なヨガや瞑想のテクニックでは、呼吸法に集中することで霊的なエネルギーを高めることができます。キネシオロジーを使ってエネルギーレベルを測定し、自分に合ったテクニックを選ぶことが推奨されます。
霊的な実践の価値
霊的なエネルギーシステムや呼吸法は、西洋人には馴染みがないかもしれませんが、探求者にとっては実践する価値があります。例えば、セックス中毒の人や復讐心に悩まされている人は、エネルギーを引き上げることで開放感を得ることができます。
誓いと霊的な自由
誓いや誓約は、霊的な自由を妨げる可能性があります。誓いの目的が拘束であることは明らかであり、賢人はこうした拘束と罠を回避します。純粋な霊的な実践は、神と私たちの関係においてのみ成立します。
霊的指導者の意識レベルの変化
有名な霊的指導者やグルの意識レベルは、成功や称賛を受けるうちに急落することがあります。初期の書物の測定値は変わりませんが、指導者の意識レベルが変わることで、追随することが有害になる場合があります。
霊的な理解と気づき
霊的な理解や気づきが不足している人は、エネルギーを第三の目に注ぎ込むことで視野を広げることができます。霊的な実践には敬意を持って臨み、事前によく調べることが重要です。
霊的浄化の解決策
霊的な浄化のためには、すべての背後にある立ち位置や幻想の原動力を見抜き、それらを明け渡すことが重要だとホーキンズは述べています。これにより、問題に見える多くのことが崩壊し、自己中心性や虚栄心が問題ではなく、それらに伴う快楽が問題であることが明らかになります。
自我と快楽の関係
自我は快楽を求め、それが問題の根源となっています。復讐や憎しみも同様に、これらを実行することで得られる快楽が問題であり、物理的な喜びは一過性のものであるとされています。中東の兵士たちも、争いから得られる満足感や快楽を求めて戦い続けています。
社会的紛争の中毒性
歴史的にも、自我は争いを好み、中毒状態に陥っていると述べられています。メディアが注目することで、自我はさらに増長し、社会的紛争は終わりなき暴力を生み出し続けます。このようなメロドラマは、一般大衆やメディアを食い物にし、終わりのない惨劇を引き起こします。
虚偽のゲームと内なる統合性の欠如
虚偽のゲームは自己永続的な性質を持ち、内なる統合性を欠いているため、最終的には自己破壊の道をたどるとホーキンズは述べています。虚偽のゲームから得られる快楽は一時的なものであり、真の満足感を得ることはできません。
真理の追求
真理を追求するためには、快楽の正体をはっきりと認識し、それを神に明け渡す決心が必要です。自我は自己欺瞞やカモフラージュを駆使し、私たちの意識からその試みを締め出そうとしますが、真理の追求は唯一信頼できる安全な指針です。
メディアと社会の操作
現代のメディアは、映像を通じて視聴者を誘惑し、支配しています。映像は理性を素通りし、視聴者の心を簡単にプログラミングすることができます。このような操作は、真実が重要でないことを示唆しており、非統合的な人間にとって平和や誠実さは単なる利用すべきイメージに過ぎません。
社会現象と歴史の参考性
社会現象や歴史は、自我が集団的に活動する場として非常に参考になります。私たちは社会を観察し、研究することで、内なる過ちを理解することができます。自我は人間の条件に過ぎず、私たちがそれを私だと定義しない限り、個人的なものではありません。
第18章:無心(ノー・マインド)
私たちの肉体には、エネルギーで構成された「エーテル体」というもう一つの体があります。このエーテル体がスピリットを形成し、主観的体験の中心となっています。エーテル体は脳に情報を送り、神経回路を刺激する役割を果たしています。対外離脱とは、このエーテル体が肉体から分離する状態を指し、この状態では自由に動いたり、見たり、聞いたり、考えたりすることが可能ですが、肉体は完全に急死状態にあります。
人間の霊的エネルギーシステム
人間には、エーテル体の他に、感情アストラル体、高次のアストラル体、そして具体的な思考を含む提案のアストラル体があります。これらの体は、通常の形としての体ではなく、エネルギーフィールドを指します。これらのメンタル体の上にはスピリチュアル体があり、古くからさまざまな名称で呼ばれてきました。これらは意識の進化とともに変化し、意識は有給の時をかけてその時々の様相を地上に権限させています。
原人からの進化
初期の原人はメンタル体を発達させ、思考を形成し、言語を編み出すなど具体的な学習を行いました。しかし、メンタル体の発達の度合いは個人差があり、知的障害者から天才まで千差万別です。人間の霊的なエネルギーシステムの発達度合いも多様で、各々の遺伝的・カルマ的傾向を反映しています。多くの人々の霊的感受性は未発達で機能していませんが、霊的なことに興味を持つことで目が開かれることもあります。
霊的な教師の重要性
歴史上の偉大な人々は霊的な仲間を求めるよう助言してきました。霊的な情報はメンタル体に記録されますが、進化した霊的な教師の臨在に触れてエネルギーフィールドが活性化されるまで、真に体得することはできません。
無心(ノー・マインド)の伝達
高次のエネルギーフィールドは言語的な静寂のうちに伝達され、それは古来、恩寵と表されてきました。ブッダが沈黙のもとに伝達したのは「無心のマインド」でした。この無心のマインドは、臨床的にもアルコホリックアノニマスなどの自助グループで見られる現象と関連しています。グループのエネルギーフィールドにさらされることが、奇跡的な回復につながるのです。
意識の成長と霊的な目覚め
意識の成長と霊的な目覚めへの扉を開くのは謙虚さです。プライドは明け渡すことによって取り除かれます。精神活動も因果のプロセスに従い、思考のプロセスは非言語的な沈黙の空間から起こります。思考が浮かび上がるエネルギーフィールドに焦点を合わせることで、完全な理解が可能になります。
真の理解と無心の実現
思考の間の静寂の空間に注目することで、無心の状態を捉えることができます。静寂なる気づきに注目することで、自らを不変の特性として認識し、悟りのレベルに達することが可能です。覚醒への道は、ゆっくりとしたプロセスを経るものと一瞬で達成されるものがあります。
質疑応答
心を超えると何が待っているのか?
主観的な気づきだけが待っています。それはどこまでも静寂で、安らかで揺るぎない存在です。自我を取り除く方法は?
真実の自分は心ではないという事実を受け入れることです。心を「私」とする代わりに「それ」として見ることで解放されます。自我を克服するのが困難な理由は?
人は自我に中毒し、そのコンテンツに気を取られてしまうからです。心とそのコンテンツを本当の自分だと信じるのは誤りです。自我を取り除くことの意味は?
霊的探求を始めた人はネガティブな性質や反応に困惑しますが、それは単に人間性の一部であり、気にしないことが重要です。
この章では、霊的成長と無心の状態について詳述されています。エーテル体やメンタル体、霊的なエネルギーフィールドについて理解を深め、静寂なる気づきに注目することで、真の覚醒に至る道を示しています。
無心の重要性
内的な満足感とその危険性
ホーキンズは、内的な満足感が自己憐憫や怒り、罪悪感などを増強することを指摘しています。これらの感情から得られる快楽は一時的であり、最終的には害を及ぼします。このような内的快楽を手放し、神からのみ喜びを求めることが重要です。
自己分析と真実の発見
内的な快楽を否定することなく、厳密な自己分析を行うことで、自分が無意識にこれらの感情に依存していることに気づくことができます。自己分析を通じて真実を見つけ、内なる平安を得ることができます。
自我(エゴ)とその報酬
内的快楽と自我の強化
自我は自己報酬システムを通じて強化されます。例えば、怒りや犠牲者意識から得られる快楽が自我を補強し、それを手放すことが難しくなります。自我を手放すためには、内的な快楽を認識し、それを神に委ねることが必要です。
社会的報酬と感情
社会や法律は、金銭的報酬や法の規定を通じて、感情を強化します。例えば、職場での冷遇やストレスを感じることで、保証金を得ることができます。しかし、これらの報酬が価値を失うと、感情も消滅します。
自己超越と霊的成長
霊的な成長の重要性
霊的な成長は、自己超越のために必要です。自我を超えたところに喜びと幸福の源があることを理解し、霊的な情報を探求することで成長します。これにより、歪んだ快楽から解放され、真の喜びを得ることができます。
内なる光とターニングポイント
人生のどこかでターニングポイントが訪れ、内なる光が差し込みます。この時点で自我の存命期間は残りわずかとなり、霊的な成長が始まります。
神への明け渡しとその意味
コントロールの放棄
神に明け渡すことは、コントロールと自我の立ち位置から得られる満足感を放棄することを意味します。愛と神に向かうことで、生命と喜びの源を見つけることができます。
霊的な気づきと成長
霊的な気づきは、道を照らす鍵となります。意欲を持ってすべての障害を神に明け渡すことで、霊的なエネルギーが高まり、人生に新たな意味がもたらされます。
心(マインド)の幻想と真実
謙虚さと悟り
心の幻想を見抜き、謙虚さを持つことで、真実に到達する扉が開かれます。心は意味を求めますが、真実には意味がなく、万物はただ存在するだけで完璧です。
観察の視点
人生は一連の静止画像のようであり、観察する視点が変わるだけで、万物は常に完璧で完成しています。心の投影する装飾に惑わされず、真実を見つめることが重要です。
成功の定義
Q: 世に言う成功とは何ですか?
デビットRホーキンズによると、英語の自我は獲得や支配を成功とみなします。しかし、気づいている心は充足感、完了感、平穏、そして平和と愛の喜びに目を向けます。自我は外側の獲得を求めますが、スピリットは内側の喜びを見出します。
気づきの心の情報取得
Q: 思考活動もなしに、気づいている心はどのように情報を得るのですか?
気づいている心は論理よりも直感に頼り、特定の立場を持たないので変更や撤回を厭いません。ゆったりとした姿勢を持ち、特定の視点にこだわらないので変化を受け入れます。
気づきの知識の源
Q: 気づきの知っている状態はどこから来ているのですか?
事故の臨在は真実の十全性を照らします。万物は無限の指向性において等しく存在し、選択薬分はなく、すべては等しく価値があります。一方、自我の焦点は選択的で、常に問題を探しています。
自我と気づきの違い
Q: 自我と気づきの間にはどのような違いがありますか?
自我は外部の詳細に焦点を当てますが、気づきは全体性と本質を見ます。自我は問題を探し、気づきはあらゆる状況を等しく楽しみます。
キネシオロジーテストの重要性
Q: キネシオロジーテストの役割は何ですか?
キネシオロジーテストは、真実を見極めるための重要なツールです。このテストは、直感を確かめるためにも利用でき、迷いや疑いの中にある時も効果を発揮します。ただし、信頼できる結果を得るためには、意識レベルが200以上である必要があります。
気づいている心と自我の戦い
Q: 気づいている心と自我の間には戦いがあるようですが?
自我は憎しみや報復から得られる喜びや満足感を手放そうとしませんが、気づいている心はそれを超えた平和を求めます。人間は習慣に執着し、優越感や報復心に固執しますが、気づきはそれを手放すことの重要性を説きます。
自我の影響と社会的詭弁
Q: 自我の影響は致命的ですか?
自我は正しく見えることだけに興味を持ち、その結果として重大な判断ミスを犯しやすいです。社会問題の多くは自我のエネルギーに依存しており、困難な問題はポジティブエネルギーによってのみ解決されます。
結論
デビットRホーキンズの視点から見ると、真の成功や充足感は外部の獲得や支配ではなく、内面的な平和や愛の喜びにあるとされています。また、直感とキネシオロジーテストを活用することで、真実を見極めることができると述べられています。
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