薄曇りの川辺、早足。

薄曇りの川辺、早足。

最近の記事

読書│読書ノート(2024年2月)

 2月1日 『峠』司馬遼太郎  読み終えた際の率直な感想は、継之助の生き様への素直な感動に尽きる。彼の精一杯に生ききる姿に胸を打たれた。同時に、それを描ききる司馬遼太郎の余裕ある筆力も、まさに歴史の大河を眺めるかのようで素晴らしい。ただし、読み終えてから継之助について調べてみると、長岡人でも評価は分かれるらしい。たしかに、小説では描かれなかった、北越戦争に巻き込まれた市井の人の心情は察するに余りある。ともあれ、彼を育てた長岡の風土を感じてみたいと思った。 2月1日 『夫婦

    • 読書│『人間の大地』『三人姉妹』にみる生き方の問題

       2月も終わりという頃に読んだこの2冊の本(サン=テグジュペリ『人間の大地』、チェーホフ『三人姉妹』)は、社会の大海原を目睫にひかえた18歳の僕にとって、きわめて多くの示唆に満ちていた。  それは、生きるとはどういうことなのか、という本質的な問いへのひとつの解答だ。西洋的ともいえるその考え方は、いままで生き方の問題への明確な答えを出せずにいた僕にとって、新たな思考の側面を切り開いてくれた感がある。だから、この文章は、その視点が失われることのないように、未来の自分に宛てる備忘録

      • 読書│生まれて初めて織田作之助を読んだ。

         こんばんは。単刀直入に言うと僕は、昨日生まれて初めて織田作之助を読んで、感動した。なんだこの小説は、と思った。  僕はまあ一丁前に太宰治なんか読んで、ふーん、なんつって、分かったようなふりをしていた。または坂口安吾の『堕落論』を読んで、なにも理解できずに、ネットで拾った薄っぺらい知識——すなわち、坂口安吾のカレー百人前事件—―なんかを得意げに家族に、学を衒っていたわけですよ。いわゆるデカダン、新戯作派というやつです。それかもっと昔の話をするならば、町田康も相当はまっていて

        • 日記│十一月十七日

           ブラームスの第一番を聴いていたが、こんな夜に音楽を聴いて帰るなんてもったいないと思い、そっと外したイヤホンを胸辺りまで引き上げたジッパーのところでジャケットの内側から外側に垂らして、歩くたびにそれがが揺れるのをそのままにしておいた。そんな中途半端なぶらぶらすら心地よく思えるような快い夜道だった。なにしろ、出がけから昼過ぎにかけて降り続けていた雨が止んで、町並みを霞ませる蒸気が夕日の光線を赤く散乱させたのも束の間のこと。私が帰る今になって、みずみずしい時雨の匂いを濃厚に残した

        読書│読書ノート(2024年2月)

          随筆│夏の影

           朝、八時ごろに目が醒めて、たいして寝不足の感はなかったにもかかわらず、十時ごろにまただらしなく寝床に潜り込んでしまった。  初夏の風が本のページを繰って、はじめはいちいちそれを直して、また片手で本を持ち上げて斜めに読んでいたのだが、段々とそれも億劫になって、ぱらぱらぱら、しろいページが脳裏によぎって、それきりわたしは浅い眠りの中に入ってしまった。  夢の中でわたしは、しろい畦道をひとりで歩いていた。逃げ水がゆらゆら、けれど遠い山並みからみどりの滲んだ風が吹きつけて、

          旅行│吉田にて

           四月のある朝、わたしは富士吉田の駅に立っていた。富士山の北東に位置する細長い山麓のまち、吉田。太宰治が秋の月夜、富士を眺めながら散歩したのもこのまちである。わたしが訪れたその日、富士は結局いちどもその姿を見せてはくれなかった。けれども富士はこのまちに欠けてはならない重要なものとして、わたしはたしかにくもり空の向こうに富士の存在を感じた。このまちに吹くすべての風と、ながれるすべての水には、富士山の青がほんの少しだけ溶けている。  本来ならば、わたしともう一人、友人と落ち合って

          日記│七月十二日

           ついさっき英語読解の授業が終わって帰ってきたところ—―と書こうとしたけれど、時計を見てみればもう四時間前のことだった。つまり今は十一時半で、帰ってきたのは八時半だ。だから”ついさっき”じゃない。それで何を書こうとしたのかというと、マンションの裏手にある駐車場のことだ。つまり、今朝工事が始まるのを目にして、帰ってきてみたらあっけなく看板も、ゲートも何もなくなっていて、はげかけた白線だけが暗がりに浮かんで虚しく名残を留めるまったくの空き地になっていたのだ。    思えば、旅立ち

          旅行│雨中盛岡行

           一  先づ初めに盛岡へ行こうと思ふ。  とは内田百閒著、『東北阿房列車』の書き出しだが、私もその台詞を使うこととする。  つまり、私も盛岡へ行ったわけである。その目的は、まあ阿房列車ならば行くこと自体が目的、よって目的は無いようなものだが、特段この文章に阿房列車と題していないだけあって、一応目的はある。そも不要不急の云々が云々と云われる昨今、阿房列車のような旅行はもっての外だろう。とにかく目的などはおいおい明かすとして、とにかく始める。  先ず初めに盛岡へ行こうと思

          日記│写真撮影

           わたしは高校生なのだが、今日は卒業アルバムに載せる部活動の集合写真を撮った。わたしは、軽音楽部と地学部と生徒会総務部(わたしの学校ではなぜか生徒会も部活動扱いになっている)、それに文芸部に所属している。昼休みの時間(わたしは基本四時間授業なので実質放課後だが)と放課後を順々に使って撮影した。  はじめの地学部は特に何事もなく撮影を終えたのだけれど、その次の文芸部の撮影になって困ったことが起きた。顧問の先生が来ないのだ。しかしながらわたしはその先生の顔を知らなかった。そして

          随想│風土と終末

           意味のないことをつらつらと書き述べて、何の意味もない。つまらないけれど、まだそれが許されるのだから、つまらないことをつまらなく書きたい。   利根川東遷事業というものがあった。  地方病というものがあった。  インターネットなどでそんなものの存在を知るたびに、おれは風土というものを強く意識する。それから、自分は何も知らない、と恐ろしい焦燥感に駆られる。違うのだ。いくら本を読もうが、Wikipediaを眺めようが、大して変わらない。寺山修司はこう言った。「若者よ、書を捨てて

          随想│風土と終末

          生活│飲みかけのヤクルト

           歩くことが、好きだ。だいたい電車で2駅分くらいなら歩いて用事をすましてしまう。歩くことの何がいいかというと、それはやはりすぐに立ち止まれることだろう。たとえば自転車だとまわりの歩行者の具合などによってはとっさに停まりにくいし、自動車は言わずもがな。電車に至っては毎日乗る路線で毎回気になる景色があっても見にゆくことはなかなかむずかしい。それに、歩いてゆけばいつか目的地に着く。ただ右足と左足とを交互に出してゆけばよい。こんなに簡単なこと、ほかにはないだろう。  というわけで私

          生活│飲みかけのヤクルト

          小説│川辺のエロス

           モチヅキがそれを拾ったのは、日曜日の午後、図書館へと向かう川沿いの道でのことだった。日の光がやわらかくなって、アスファルトに落ちるガードレールの影も、街の輪郭も少しずつ淡いものになりつつある時季だった。さわやかな風が町全体に秋の色を運んでいた。  借りていた本の貸出期限をすっかり忘れていて、そのうえ日曜日の図書館は五時には閉まってしまうから、モチヅキは相当焦っていたはずだが、なぜ彼女がそれを発見するに至ったのかはわからない。それは小さな、決して目立つ大きさではないひとつの

          小説│川辺のエロス