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旅行│吉田にて

 四月のある朝、わたしは富士吉田の駅に立っていた。富士山の北東に位置する細長い山麓のまち、吉田。太宰治が秋の月夜、富士を眺めながら散歩したのもこのまちである。わたしが訪れたその日、富士は結局いちどもその姿を見せてはくれなかった。けれども富士はこのまちに欠けてはならない重要なものとして、わたしはたしかにくもり空の向こうに富士の存在を感じた。このまちに吹くすべての風と、ながれるすべての水には、富士山の青がほんの少しだけ溶けている。
 本来ならば、わたしともう一人、友人と落ち合って吉田のまちを歩く算段だった。しかし午前九時、未だほの暗い駅舎のコンクリートには、わたしの淡い影だけが揺れている。完全なるわたしの失敗で、友人とは落ち合えなかったのだ。仕方がない。手持ち無沙汰になったわたしは、駅から離れて花曇りのまちを少し歩くことにした。どことなく白っぽくのっぺりとしたこのまちに、人影はほとんどない。予想通り、食事をとるために入ったチェーン店のカフェも、店内はがらんとしていた。窓際の席にすわり、今後のことについて考える。しかしもう友人と会える見込みはなく、このままひとりでゆっくりとぶらぶらするのが良いように思えた。
 軽い食事を終え、店を出る。また少し歩くと、よく見馴れたあの看板が忽然と私の目に飛び込んできた。全国に展開する、赤、青、黄で彩られた古本屋チェーンだった。どこか薄汚れたその店に、わたしは吸いよせられるようにして入っていった。無機質な蛍光灯に照らされた開店直後の広い店内には、わたしのほかに人の姿はほとんどない。わたしの足は自然とまんがのコーナーへ向かっていた。
 
 数分後、わたしは深く濃密なギャグマンガの海を漂っていた。朝、どこか硬質なしずけさで満たされた店内に、こころなしか店内放送もはるか遠くから響くかのようだ。そんな中でわたしは、店員の視線もいま自分が山麓のまちにいることも忘れて、深く深くギャグマンガの海を潜っていった。深く、深く、もっと深く。笑いの渦へ。
 三十分ほどそうしてしずかに立ち読みしていただろうか。ふと、まんがから顔を上げると、窓外にはすっかりその鋭さを失った朝の白いひかりを浴びた甲州の山々と、見知らぬ吉田のまちなみがあった。その景色を見て、わたしはなにかぼんやりとした充足感に全身を包まれるのを感じた。それはちょうど旅の日の朝、旅館で迎えためざめのように、トンネルを抜けた車窓に突如あらわれた水平線のように、わたしの心を満たしてくれたのだ。
 本を閉じて、店を出る。これからどうしようか。やわらかな春の風が、わたしの諦念をのせて、山麓のまちをしずかにすべっていく。私のほほを撫でるその風は、すこし冷たいくらいだった。

(2021年春執筆)

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