読書│読書ノート(2024年2月)
2月1日 『峠』司馬遼太郎
読み終えた際の率直な感想は、継之助の生き様への素直な感動に尽きる。彼の精一杯に生ききる姿に胸を打たれた。同時に、それを描ききる司馬遼太郎の余裕ある筆力も、まさに歴史の大河を眺めるかのようで素晴らしい。ただし、読み終えてから継之助について調べてみると、長岡人でも評価は分かれるらしい。たしかに、小説では描かれなかった、北越戦争に巻き込まれた市井の人の心情は察するに余りある。ともあれ、彼を育てた長岡の風土を感じてみたいと思った。
2月1日 『夫婦善哉』織田作之助
衝撃的な読書体験だった。人間の生きざまというものが、生々しい実感をもって描かれている。noteに詳しくこの感動を記したから長々とは述べないが、この感動の底には、町田康を読んだ経験があると思う(これはnoteに書かなかった)。悲喜こもごもの市井で、人々が下降し、上昇していく様は、町田康作品ともつながる。『夫婦善哉』の結末は、決して破滅的ではないが幸せに満ちている訳でもない。しかし、そんな人間のあり方を、あくまでやわらかに肯定しているあたたかい眼差しを、この作品に感じた。
2月5日 『六白金星・可能性の文学』織田作之助
前に続き織田作之助を読んだ訳だが、やはりそれだけ心の琴線に触れるものがあったということだ。元来僕は人情だとかそういったものを低俗と捉え、やたら美的なものや、均整のとれたもの、形而上学的なものばかりを追い求めてきたように思う。だが、僕自身が市井に暮すひとりの人間である以上、織田作のような態度は欠かせないと感じた。併せて、彼の創作態度を記した『可能性の文学』は、太宰とも共通した貪欲なまでに改革性をもとめる態度(?)に心動かされた。
2月9日 『芽むしり仔撃ち』大江健三郎
初の大江作品だったが、素直に「閉鎖⇔開放」、「暴力⇔自由」といった主題を捉えられた(こういう現代文的な読み方は好きではないが)。それにしても、硬質な文体にも関わらず、閉鎖的な雰囲気と自由な雰囲気とのめりはりが際立っていて、読んでいてその世界観にひたることができた。印象深いシーンを挙げるならば、やはり、結末の、自由への逃走だろう。読者に無限の想像をかき立て、奥深い余韻を残すが、そこに漂う破滅的なムードは、この物語の不条理性を際立たせ、読んでしばらくは奇妙なこの物語が頭からはなれない。
2月18日 『個人的な体験』大江健三郎
まったく、残り数ページというところまで、本当に気持ち悪い小説だった!逆に言えば、作者のこの綿密な文章が、読者の嫌悪を誘うのに十分すぎるくらいの効果をもたらしていたということだ。ラストシーンの評価は分かれたというが、大江がまさに鳥(バード)と同じような状況にあったと考えると、小説としての体裁がくずれようとも必要だったと思う。僕も読んでいて救いを得た気さえした。
——しかし、この現実世界を生きるということは、結局、正統的に生きるべ
く強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつのまにか、それを拒むほかなくなってしまう。そういう風ですね。
2月19日 『どくとるマンボウ青春記』北杜夫
今の自分に、一番必要な本だった。数年来北杜夫から離れていたけれど、この快活さのカタマリみたいな文章に勇気をもらった。もう余す高校生活は、実質2日というところだけれど、今思えば僕の想像していた/理想の青春というのはこの本の中にあった…。校庭の真ん中で弁当食べたり、まったく下らないことばかりだったけれど、はたして数十年後の僕は「あの頃」を省みて何を思うだろうか。
——Nur wer die Sehnsucht kennt weiß was ich leide.(ゲーテ)
——若者よ、自信をもち、そして同時に絶望せよ。(本文より)
2月19日 『桜の園・三人姉妹』チェーホフ 神西清訳
なにせチェーホフどころか戯曲すら初めてなので、慣れるまで時間がかかった。
[桜の園]読了後に書評をみて、太宰の『斜陽』の題材であったことを知り、なるほどと膝をうった。あの退廃的な雰囲気はたしかに似通っている。もっとも、チェーホフが「喜劇」と主張したような空虚な楽天や陽気さは異なるが。織田作に続いて、ここにも運命の下の人間の姿を見た。
——過去をあがなうには、道は一つしかない、――それは苦悩です。世の常ならぬ、不断の勤労です。
[三人姉妹]これが喜劇であってたまるか、とは思ったが、底ぬけの明るさが根底にあるようにも思う。いつまでも実現することのない幸福のために、よく学び、よく働かねば。そしてやはり、ソリューヌイのことが嫌いになれない。
——でもまだ当分は、こうして生きて行かなければ…働かなくちゃ、ただもう働かなくてはねえ!
※ブーニンは、『桜の園』の主人公は「時」だという。
2月23日 『人間の大地』サン=テグジュペリ
未だかつて、こんな本は読んだことがなかった。そう思えるくらい、この本は、明快に人間の本質、生きることの本質を解き明かしていた。最終章「人間たち」を僕は深夜1時にふとんにもぐりこみながら読んだ。読み終えてしばらくは、呆けたように天井をにらんでいた。そして、目を閉じた瞬間、まぶたの裏に孤独な星がまたたいたような気がした。この本を読んだ僕からすれば、その刹那の光こそが生きるということだ。僕は必ず再読せねばならない。そして、前のチェーホフと通じる点として、「職業」「生業」「労働」に生きがいを見出している点がある。僕が大学で見出すべきは、自分が目指すべきひとつの役割だろう。
——愛するとは、互いに見つめ合うことではない。一緒に同じ方向を見つめることだ。
——精神の風が粘土の上を吹き渡るとき、初めて人は創造される。
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