見出し画像

随筆│利根川・木更津

 最近はめっきり本を読まなくなった。聴く音楽も変わった。だんだんと私という人間が穏やかな方向に進んでいっているような気がして悔しい。青春パンクとか、ミステリー小説とかは刺激が強すぎるようになってしまった。それよりはもっとアコースティックで素朴な小説や音楽を好むようになった。そう考えると、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はよかった。派手な戦のシーンは少なく、むしろどろどろとした陰謀や讒言のシーンが続く。それでいてエンターテインメントとして十分すぎるほどに面白かった。

 といっても大河ドラマの話をしようというわけではない。話を戻そう。小説の話だった。最近、といってもここ二年くらい小説をあまり読まないので、小説に対する私の貪欲な嗅覚はもう失われてしまったのかもしれない。などと思いつつも惰性で古本屋などは覗いてしまったり他人から借りたりしてしまうので、部屋には読まないままの本がどんどんと溜まってゆく。これは精神衛生上きわめてよろしくないことであって、純粋に今すぐ読みたい本があっても積まれた本を見るとその本すら読む気が失せてしまうし、課題に手を付けようとしても課題などやっている場合ではないという気になる。そうすると悶々としたまま日々を過ごして俺のような、私のような怠惰な屑が生まれる。

 そんな有様なので有隣堂などに行ってもわざわざ新刊を買う気にもなれずに、入り口の花の販売ブースでいつもやる気なさげに座っている鼻マスクのおばさんに親近感のこもったまなざしを向けて手ぶらのまま帰宅するのが常だった。

 しかしその日は珍しく新刊で本を買った。それもハードカバーの単行本である。これが乗代雄介の『旅する練習』だった。買ったのに大した理由があったわけではない。町田康が解説を書いていたので買った。(私の本を買う由来は大抵町田康だ。)そうして、数日放置して、読み始めた。数日積むことによって内容に対する期待が高まりまるで本が熟成するような気がする。したところ、これがきわめて面白かった。どのくらいきわめて面白いかというと、毎晩欠かさず読み進めて結末では虚脱、絶叫、号泣したほどである。というのは嘘。ちょっと泣きそうになったくらい。本当に面白かったので二周目を読んだ。しかしここで疑念が生じた。果たして読者はこんなにも素直に感動してよいのだろうか、と。

 むろん小説家が本を書く動機など多様でしかるべきだが、二周目を読んだところでこの作品が単なるお涙頂戴の娯楽小説ではあってはならない気がしてきたのである。異様なまでの文体への執心。神経質かつやたら近代文学じみた地の文。そしてそれにそぐわないような漫画的な会話文。作品の性質をまるっきりひっくり返してしまうような結末。つまりもういちどよく吟味してみればそれは私にとって感動とはまた違う、今までに味わったことのないような(町田康や内田百閒以来の)異質な読書体験だったわけである。

 あまりに心を動かされたので作品の舞台を訪れることにした。それが利根川である。それが去年の七月のことだった。作中に登場する叔父と姪は利根川を河口方面へとたどる旅に出る。その道すがら二人は会話や練習を重ね、物語は結末へと進んでゆく。そのルートをたどったわけである。私はバイクに乗れるからバイクで行った。何もなかった。ただ川と道があった。曇り空のもと川は悠々と流れ、洗いたての鮮やかな草木はほとばしるような若さを存分に見せつけていた。小説の二人のように歩いている人は誰もいなかった。そうして二人のたどったルートを一通りなぞって私はどこまでも広がる水田の中でバイクを止めた。水郷という名にふさわしい景色だと思った。私はただ雄大な水の、土砂の、人々の、そして歴史の流れの、そのほんの端の方をうごめいているに過ぎないのだと思った。私がその小旅行で得たものは、こんなにも何もない場所でも小説家はその腕によっていくらでも物語を豊かにできるという知見である。さて、幾分というには長すぎるほど時間は経ってしまったが(これを書いているのは2023年の1月である。)ここでその時撮った写真を片手に、乗代雄介に倣って風景の「スケッチ」をしようと思う。


11:53~12:07
 見渡す限りどこまでも青々とした水田だった。世界の果てのように思えた。きっとこの水田の果てにはまたどこまでも広がる海が輝いているのだろう。水田のあちらこちらには数軒の民家が散在している。ふとその家で過ごす新月の夜を想像してみるとなんとなく夜に溶けてしまうのではないかという気がした。空の低い位置に綿雲がぷかぷか浮かんでいて、太陽の姿はない。しかしそのためか七月という季節の割にはさらりとした風が肌を撫でていて、私はかすかに夏の息吹を感じるくらいだった。この辺りは水郷と言われるだけあって複数の川が付近で合流しているから、もしかしたら川風かもしれない。その風は青い稲穂をも撫で、それは水田に美しい波模様をもたらしている。

 気づくと水田を縫うように流れる用水路のひとつに白い優雅な鳥が姿を見せていて、しばらくの間私はそのすらりとした形に目を奪われた。その鳥が飛び立ってしまうとまた辺りには茫漠とした水田がただ広がっているだけだった。

 視線を右側に転じてみると、川にかけられた赤い鉄橋とそこから延びる土手道が風景を区切っている。交通量は決して少なくないが、幾台もの車が行き来する割に辺りは静かだった。雲は先ほどとはまた形を変え、この雄大な川の流れを上流から河口へとゆっくり旅してゆく。


 それからまた乗代雄介の『十七八より』を読んだ。あまりに婉曲や含蓄に富んだ内容にたじろぎはしたが、読み終えてみるとその文体そのものが物語を形作っているのだと気づかされる。乗代雄介の作品はどれも一人称だが、やはりだからこそ描ける複雑な文章の階層があるのだろう。そして何より思うのは、身も蓋もないことだが、彼の文章――ことに風景描写がほんとうに私の好みなのだ。誰よりも文章らしい文章、一歩間違えれば堅すぎるような文体で柔らかな風景をありのままに文字にして、その場所に吹く風や光の繊細な具合まで読者はみずからの頬で感じることができるのだ。読むたびに心ときめき、あたかもその場にいるような体験と共に日本語の美しさや面白みを存分に味わうことができる。

 『十七八より』に明確な舞台は示されていなかったからどこにも行かなかったが、その次に読んだ『パパイヤ・ママイヤ』では千葉県のとある干潟を舞台に物語が進んでゆく。まるで演劇の舞台のように多様な人物が干潟にあらわれては消えてゆく。そして何より主人公の女の子ふたりのみずみずしい姿が干潟を背景にして鮮やかに描かれ、そしてまた結末で私は、情けないことに感動させられてしまった。

 無論行くしかない。ひとりで干潟を訪れた。12月某日。冬も深まり吹く風は頬を裂くような冷たさをまとっていたが、雲ひとつないその日、人っ子ひとりいない干潟には穏やかな日が差していて、きらきらと輝く水面に刺すような冷たさは感じられなかった。辺り一面に生えそろった葦は一様に枯れてくすんだ褐色のまま時折吹く風に揺れていた。私はここでやっと乗代雄介の作品というものから離れて、自分自身が今ここに存在することを感じて、やたら興奮したような気分でいた。つまり、ようやく自分自身の言葉で自分というものを形容することができたように感じたのである。


12:28~13:24
 入り口のフェンスから干潟に足を踏み入れると、人の背丈の二倍ほどもある草木に囲まれた細い小道が現れる。しかし秋も過ぎ去り、冬の静けさの中で生物の生き生きとした活力は感じられない。むしろ漂うのは色あせたような乾いた空気である。しばらく小道を行くと、にわかに視界が開け、見渡す限り一面の白く乾いた葦原が広がる。足元は砂利道だが、おそらく葦原に足を踏み入れれば湿った土とも沼ともつかないような地面が広がっているのだろう。太陽はぴかぴかと照り付け、目にする風物すべてがパリッとした白っぽい雰囲気を纏っている。

 先ほどから遠くに見え隠れしていた灰色の構造物は近づくにつれその輪郭を冬の日のもとに明瞭にして、それが何らかの廃墟であることが見て取れた。傍らからその全貌を眺めると、平屋建ての家より少し低いくらいの高さのコンクリート建造物がこぢんまりと風景に収まっている。風化しつつあるその姿は終末を思わせる佇まいで、色あせた葦原と抜けるような青空に恐ろしいほどよく似合っていた。すこし眺めたのちに廃墟を背にしてまた歩き始めるが、いまだ海の気配はない。ただ視線の先に広がる大空から広がっているであろう海に対する漠然とした期待感を抱いて歩み続けると、突然きらきらと輝く海が広がっていた。砂浜に一歩踏み出すとさらりとした海風が前髪を揺らす。東京湾を挟んだ対岸の半島は遠く彼方に霞に覆われたままのっぺりと延びていて、半分海と空に溶けたような曖昧な色をしている。よく見ると工場地帯がそのシルエットを霞に溶かしていて、この干潟にそぐわない無機質な人工物はすべて海と霞によって輪郭を失っている。視界の右側の海上を走る東京湾アクアラインには時折ぴかぴか光る車の流れがあったが、それもどこか遠く離れた世界の景色を見ているかのようで、無人の浜には奇妙な静寂が流れていた。

 しばらく浜辺を歩くと、やがて湿った砂地から無数の短い木の根のようなものが飛び出ているのを見つけた。おそらく干潟独特の植生によるものなのだろう。行く手の浜には葉を落とした木々がすぐ海辺まで迫っていて、一見マングローブのようにも思える。その木々に囲まれた場所が今日の目的地、『パパイヤ・ママイヤ』でいうところの「木の墓場」である。

 その少し開けた場所には流れ着いた大きな流木から小さな流木まで、それからこまごまとしたゴミがまさに墓場のような様相を呈していた。私はそのうちの座りのよさそうなひとつに腰掛け、しばらく陽光に輝く海を眺めていた。こうしてみていると、海辺に近い砂浜には波による砂紋が延々続いていて、それが日の光に光って大層美しい。広がる遠浅の海と霞んだ半島を眺める。それから『パパイヤ・ママイヤ』で描かれていた人々をこの景色の上に並べてみる。とたんにこの場所がかけがえのない懐かしさと共にいとおしく思えて、私は満足するまでその場所に腰掛けていた。

 帰り道、ふと気になって廃墟に登ってみた。空がどこまでも青い。海は半島と溶け合い、半島は空と溶け合い、微妙なグラデーションがこの白い葦原とよく映えている。ふと下を見下ろすと、ちょうど生き物の採集にでも来たのか、誰もいなかったはずの小道に歩く六歳ほどの少年とその両親の家族連れの姿があった。心地よい休日の午後、私は彼らが通り過ぎるまで息を殺して廃墟の上で寝ころばねばならなかった。

(2022年秋 執筆)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?