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随想│風土と終末

 意味のないことをつらつらと書き述べて、何の意味もない。つまらないけれど、まだそれが許されるのだから、つまらないことをつまらなく書きたい。 

 利根川東遷事業というものがあった。
 地方病というものがあった。
 インターネットなどでそんなものの存在を知るたびに、おれは風土というものを強く意識する。それから、自分は何も知らない、と恐ろしい焦燥感に駆られる。違うのだ。いくら本を読もうが、Wikipediaを眺めようが、大して変わらない。寺山修司はこう言った。「若者よ、書を捨てて町へ出よ。」町。あるいは、街。いったい何なのか。不思議な言葉だ。石と岩の違いを誰も説明できないように、おれたちは町、といものを正確に言い表すことはできない。何が違うのか。集落、部落、村、大都会。かつての日本では、ごく小さな共同体が各地に散在して狩猟・採取生活を営んでいたという。現代の日本は、ひどい。東京の凋落を見よ。だらしなくどこまでも続くビル群に、いかにして生の活力を見い出せというのか。いかにして人間の生き様を見つめるのか。生はだらだらとどこまでも続く。一瞬の花火のような輝きや劇的な結末を目にすることはほとんど、ない。ましてや自分自身が「自らの人生」を意識することは稀だ。他人の作った町に暮らすおれたちはどこまでも孤独だ。
 話が逸れた。おれは、何も知らない。そんな話だった。つまるところ、肌で感じなければならない。その地に「在らねば」ならない。ダムに沈んだ村が陽の光を浴びることは二度とない。無数の記憶は無数の風景、生活、人々と共に時の彼方に消えようとしている。残されるのは、大いなる都会、そして自然だけだ。そこに風土は存在しない。画一化された、二極化された町と自然だけがおれたちを待ち受ける。都会という名の荒廃した人生から脱落した人間を待ち受けるのは、牧歌的な風景でも、輝かしき四季の風景でもない。限りなく野生化した、もはや脅威ともいえる自然、それだけだ。
 恐ろしいことだと思う。けれどその恐ろしさに気づく機会はないに等しい。だからこそ。だからこそ一刻も早く都会を抜け出す必要がある。大いなる脱走だと思う。都会という名の小国は、あまりに豊富な情報と見せかけの豊かさによっておれたちを堕落させる。風土という名の異質な光におれたちのしろい皮膚を曝す必要があるのだ。

 ひとびとの営みはひとびとの地で連綿と続いてゆく。ささやかな生活の光はいつしかたゆたう川の流れの中に、のたりと横たわる山並みの中に溶け合って、ただ、風景として、冬を越して、春に輝いて、夏に溶けて、秋に寂しい色に染まる。夏の日の午後、死んだような山あいの集落。いつのものとも知れない清涼飲料の看板。杉林。じっとりと湿って、滴りそうな青色の山々。ひぐらし、茜色の光ののち、夜には、血液のように濃密な闇がこの集落を覆い潰してしまうのだろう。そんな景色こそが人間の生活の本質にして理想だと強く思う。
 おれは、おれはただ、そんな風景の中に在りたい。ただの観測者として。風景のひとつになることは決して望まない。多くのことは望まない。肌で感じていたい。みどりの空気。

 高山に、いた。ある夏のこと。飛騨の山々は、険しい。隔絶された盆地に、ぽっかりと人間が生活している。人々も、山々を恐れるかのようなひっそりとした息づかいをしている。そんなささやかな営みの中にいた。そのときのおれは、恐らくおれが望んでいたおれに、いちばん近かった。夕闇も、夏雲も、都会のそれとは違って、濃い。そして、近い。ひとびとの生活に、こころに、体に。近くて、今にも触れられそうな、むしろ互いに溶け合うような、そんな濃密な空気。光もまぶしい。かと思えば、杉林の木陰は、驚くほどに濃ゆい。何かが潜んでいる気がする。実際、何かが潜んでいてもおかしくない。それから、色彩も鮮烈だった。思い出してみれば、あの頃の夏空は、網膜にじかに刻まれるような凶暴な青をしていた。
 

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