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噂話

とある山奥に住む、とある方は、とある野菜を作ることに長けていたようで、とある業界では、数百万もの価値がつくと言われていました。とある企業が目をつけて、おばあさんを起用しようと思いついたのですが、とある人によって、それは阻止されました。何年か経ち、とあるお店でその野菜を見つけたとある人は「これは・・・!」と、とある店員へ感動を伝えると、とある雑誌で紹介されることになりました。とある記者によって書かれたとある記事は、世界中を回り回って、とある難病患者を助けることとなりました。とある方は、とある日に亡くなったそうです。

さて、みなさんの頭の中にある「とある」を埋める光景はどんなものだったでしょうか?男性、女性、若い人、老年の人。どんな雑誌で、何の野菜?おしゃれな店?そこに浮かぶ光景は、自分の思い込みの景色であって、何も考えずに浮かんだ時点で、それはちょっとした自分のフィルターの強さや、思い込みや、被害妄想かもしれません。


誰にでも、思い込み的なものはあると思うのですが、私もすごく思い込んでしまうほうです。自分の身の回りの見聞きしたものと関連付けてしまうのが早いのと、けっこう人間ってのは大きく4種類くらいにカテゴライズされているもんじゃないかと思って、だいたいあっこの人はこういうジャンルの人だ、と分かると、ボックスに入れて整理をして、それで色々と自分もそれに合わせて変えていくわけですが、どうやっても手が届かないところへのアプローチには、ある意味で頑張る必要はないみたいに思う時も。そういう時には、共通の目的ってのはかなり有効的だと思っているんですが、それも特にないとなると「お天気いいですね」「楽しいですね。」「美味しいですね。」「では。」と。

でも、つまるところ、どれも何も響かない人だと、何も気にせず自分のままでいられるような気もしていて、「とある」と想像して見えてくるのは、自分自身の"こうありたくない / こうありたい" の相手に見せたい投影の姿でもあるんだろうなぁと。

   


ランドリー・・・

どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。

 [ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。




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