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大切なことって価値、測れんねん

めっちゃ美味しいカレーさんを現美の近くで見つけて、たらふく食べたおかげで、昨日も今日も全然お腹が減らず、ちょっとした"おろしそば"だけで過ごした今日でした。お腹が減って、お腹がいっぱいなって、食べすぎると苦しいみたいに、自分にとって大切なものが、わかりやすかったら、それは私にとってというより、周りのみんなにとっていいなと思いました。


「これもういらないでしょ?今度の粗大ゴミ出しておくから」
「えっ!いるよー!大切なものなんだから」
「大切って、こんなんすごい昔に使ってたやつやんか。もう元取れたで?」
「元とかの問題じゃなくてー」
「あーリサイクルショップか。確かに持ってたら50円くらいにはなりそうやな。」
「だからー」
「あーーーー、今度、幼稚園でバザーあるんやったわ。ちょうどええわ。」
「だからさ・・・」


もし、大切なものやことが、伝わり分かりやすかったらいいですよね・・

「お腹減ったやろ?」
「いや、もうくうてもうたん。」
「そか。残念やら今日ロイホのアーガスステーキでも食べいこか思ってたのに」
「そんなんいうたって、どうせクラブサンド頼むんやろ」
「あほちゃうか。クラブサンドもうまいねんで?」
「あーお腹減ってきた。一緒、いくわ」

なんで関西弁なんでしょうね。それもお腹が減るみたいに、体感的に共有しやすく説明できたらいいなと思うもんです。あっ、おろしそばだけと言いつつ、夜はガッツリ食べたのを忘れてました。
    



ランドリー・・・

 [ ものがたり ] 盆暮れ正月となれば、何かをするためというわけでもなく、とりあえず帰ろうとする。でも「 帰ってきた 」と、心から深くそう感じられる場所へ、ふと帰りたいと思って振り返った時には、いつの間にか、もうその場所はどこにも無いと気づくこともある。そんな時に、何気なく撮っていた一枚の写真がその役割を果たす時があるように、家のどこかでなにか見覚えのあるような道具たちも、心の帰れる場所があるのでは?と思ったのでした。みなさんにとっての「ただいま」を、感じてもらえる体験となれたらと思います。


どこか懐かしさを感じる、帰る場所としての「 写真 」「 道具たち 」を扱っております。





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