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自己肯定感

自分は以前「作品の中で女言葉は使わない」と書いたんですが、それは「実生活でほとんど使ってなくない?」というリアリティーの点からでした。

それは今も変わらずで、逆に「ら抜き言葉」は普通に書きます。実際に使われてるからです。くだけすぎてるとか正式でないとかよりもリアリティーが優先で、言葉は生き物だし刻々変わるし「これが正しい日本語」なんて考えもとりあえず今そうなだけで永遠じゃない。そのままじゃない。そんなコワバリで何か書いたりはつまんないと。活き活き書けないしくだらないと。

で、何よりリアリティーで「女言葉」を使わないんですが、ジェンダーの点からもうまくないよね、とは思います。

女と男で言葉は違うもの、というのをフィクションが躊躇なく(しかもリアルでもないのに)描き続けるのは、ジェンダー(性別での決めつけ)を助長するんじゃないか。

なのに日本では子供向けのアニメさえ普通に女言葉が使われます。

外国はどうなんでしょう。気をつけてるのかな?

「ちびまる子ちゃん」みたいな昭和の話ならまた違うでしょうが(昔はリアルに使ってたのかもネ)SFやファンタジーでさえ女言葉を使ってると、「気にしないんだな」と残念な気がします。せっかくそこらを跳び越えられるチャンスなのに。

そしてフィクションだと大目に見られるのを「アマアマだな」とも思います。

とにかくそういうものを浴びて育つので、人はただ大きくなればまともになるってものでもない、と思ってます。

それはアニメに限った話じゃなく大人向けのドラマもそうだし、ニュースで見た政治家の振る舞いや身近な人々、学校の教師や近所の大人やたまに会う親戚、自宅の兄弟姉妹、そして何より親から様々な影響を受けるでしょう。教育と呼べるようなものばかりじゃなく、否応なしに受ける影響で変に染まったり歪んだりする。

だから気をつけねば、とも簡単には言えなくて、まぁ女言葉などは「フィクションでわざわざ使うことないのに」と思いますが、良かれと思って直したことがかえって逆効果だったり、偏見の持ち主と接することが反面教師になったり、どう転がるかわからない、なかなか思うようにいかないものでしょう。

とにかく接すればお互いなんらか影響し合い、毒されてもいく。

それでいて誰とも接しない孤独もなんらかを積み上げる。

それでも人は正常たろうとするものでしょうが、意識できることは表層で簡単で、自分じゃどうにもならない屈折、気づけない偏りがあるんじゃないか。

と思ってるので昨今よく聞く「自己肯定感」というのがよくわからなかったりします。自分を基本肯定するってどういうこと?

自分は自分、他人は他人、自分はこのままでいい、だいじょうぶ、間違ってない。

そんな風に考えてた頃が自分もありましたが、いま思うとただ図々しく自惚れ屋で他人にたくさん嫌な思いをさせました。このままでいい、と思ってたから当然ですが、停滞し成長もしなかった。

勿論そうなったのは理由があって、子供だったし自信が欲しかったんでしょう。誰かに何かを認められる機会があまりになくて。

それは自分のせいとばかりは言えず、まぁ公平に見るのはなかなか難しいですが、周囲も結構ひどかった。

それでも「自分がおかしんじゃないか」「間違ってんじゃないか」と否定的になってやっと変われた気がします。

なので自己肯定より自己否定の方をアゲたかったりします。

ただ自己否定なんてのは自分に刃を向けることでしんどいし危険だしオススメできません。自分の場合はクセみたいなもんです。たくさん失敗して同じことを繰り返したくないんでしょう。

自分の感じ方、思うことにも自信が持てない。どっか違うんじゃないか、とすぐ止まる。そんな決めつけないスタンス偉いでしょ? というんでもありません。まぁまぁ困ってます。

例えば文章などは一度読んでも素直に取れなかったりする。自分の感想を「正しい?」「間違ってない?」と疑う。書いた人の意図も「だいじょうぶ?」「鵜呑みにしていい?」と距離を置く。だから何度も読み返す。時間がかかる。呑み込み悪い。

そんなのは進歩でも成長でもなく、退化かもしれません。判断が慎重なのをそうそう褒めてもいられない。

でも日々生きてたらあれこれ判断はするもので、何を支えに、元にしてるんかな、と考えると、「とりあえず今こう思うのは事実」ということでしょうか。

それだって間違ってるかもしれませんが、いろいろあった結果「今こう思う」「とりあえずこう感じる」

それだけは変えられない。誰がなんと言おうと。自分の中の、心のことだし。事実だし。

そこは揺るがない気がしてます。まず認めたうえで検証しようと。果たしてそれが合ってるかどうか。

結局自分の感覚とかを信じてるんですかね? かもしれませんね。

そして「それがすべて」で。自分の見たもの感じたものが世界。

その世界の中心にいるのは自分。自分が主人公。

自分があれこれ思うこと、考えることは少なくとも自分には意味がある。

そんな自意識。自己中。

それでなんとかやっていけてる気がします。

そしてそれだけでも十分なような。

世に言う「自己肯定感」ってこういうことですかね? 違いますよね? どうなんでしょ?

まぁでも十分じゃないかもしれません。ブレブレで困ってるんだし。

だけどこの程度の自意識なら誰でも持ってるでしょうし、ささやかなものだし、大事にしていいんじゃないかと思います。すべてはそこから始まるんじゃないか、と。原動力。

それをも曲げたり抑えたりするのは絶対違う、という気がします。



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