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【小説】神社の娘 (第1話 豪雪の桜)

●第1章 豪雪の桜 

 関東なのか東北なのか。
 北海道なのか九州なのか。
 だれも詳しく答えられない。

 そんな場所にあるのが橘平 きっぺいの住む村だ。
 村の四方は高低さまざまな山に囲まれ、その中心には円形の広い森が鎮座している。そして森を囲うように人家が広がっていた。
 現代において、そんな不確かな場所にある村は限界集落、もしくは人口の大幅な減少に歯止めがきかない…と思われるかもしれないが、この村の人口は平安だか江戸だかわからないが、とにかく、大昔から今も変化はない。
 気持ち悪いほどに。

 その日は珍しく、深く積もる雪が降った。大昔は毎年大雪だったらしいが、橘平が記憶する範囲では、ぱらぱらとしか降っていない。積もっても5センチくらいがせいぜいだし、降ったか降ってないか、のような雪もあった。
 橘平はそんな雪が珍しくて、夜の12時頃、家族みんなが眠ったことを確かめてから散歩に出かけた。「どこに行くの?」「誰と行くの?」だの聞かれるのが面倒であるし、親にだまって夜中に出かけるという、ちょっと悪いことにときめく年頃なのだ。
 橘平がこれまで経験してきたどんな冬の日よりも寒かった。高校の指定ジャージの上に、しっかりしたアウトドア系ダウンコート、ネックウォーマー、ニット帽に毛糸の手袋、長靴。といういでたちでも歯が立たない。
 それでも、図書館で見た季節の絶景写真集に載っているかのような美しい雪は、まるでこの夜空の星が降ってきたんじゃないかと思え、寒さも我慢ができた。「俺らしくない感想だなあ」とは思いつつ、橘平はふと雪の写真を撮ってみようという気持ちになった。

 学校の女子など周りの同級生たちはよく、友達同士もそうだし、かわいいとかキレイとか言ってお菓子や犬猫などなど、写真や動画を撮りまくっている。
 しかし橘平は特に撮りたいとは思わないタチで、彼のカメラロールには家で飼っている柴犬の写真すらない。
 そんな橘平が、この日の雪は「撮りたい」と思った。
 暗い夜空に雪がきらきら、っと星のように光って見える写真が撮れないかな。角度はこうかな。と、スマホのカメラで何度も撮ってみる。寝転んだり、しゃがんだり、いろいろな態勢で撮ったりもしてみた。手袋を外しているため指がすでに痛いほど冷えているが、写真に夢中でマヒしていた。
 空と雪の次は森と雪を撮ってみようと、背面のカメラの向きを上から水平に移した。すると、画面に人が映し出された。
 月からの光、足元の雪に反射した光。上下の光が映し出す幻想的な場面に浮かび上がるのは、橘平と同じくらいの16、7歳の女の子だった。大き目のメガネにダッフルコート、もこもこっとしたマフラーと手袋、ニットガイドを身に着けている。

「あう!?」

 まさか人がいるとは思わなかった橘平は、変な声をあげ、思わずスマホを落とした。
 女の子も一瞬、ぴくっと驚いたようだったが、橘平に構わずさっさと歩き出した。

「え、ちょっと!」

 村人の顔はなんとなくだがだいたいわかる。同年代ともなれば、小学校からずっと一緒。しかし、その女の子を全く見たことがない。
 こんな夜中に女の子が、しかも見たことがないということは「よそ者」の可能性が高い。最近、女子中学生の自殺のニュースが世間を騒がせていたこともあり、橘平はそれを彼女に重ねた。
 これはただことではない、自殺か家出か。それを見逃したとしたら後味が悪い。

「待って!」

 橘平は落としたスマホを急いで拾い、なれない雪に足がとられつつ、ざくざくと女の子の後をついていく。雪はひざ下まで迫っている。女の子は意外とさくさくと歩いていて、橘平は距離を縮められないでいる。

「夜中に危ないだろ、女子一人で出歩くなんて」
「あなた様も夜中に出歩いておりますが、男子なら危険はないのでしょうか」
「いや、俺は家がすぐそこだし!よそ者だろ?どうやって村に来たか知らないけど、知らない村に来るなんて何考えてんだよ」

 女の子は橘平を無視し、ずんずん進む。彼女が向かう先には、村の中心にある円形の森。もう目の前だ。
 これは自殺か何かしかない。そう考えた橘平は、寒さも忘れてついていく。
 女の子が突然歩みを止めた。

「なぜ、付いてくるのでしょうか」
「言っただろ、よそ者には危険だって」
「…私、よそ者ではございません。この村の者です。おそらく、村の誰よりもこのあたりの地理は熟知しておりますゆえ、ご心配なさらぬよう」
「え、村の人?えーあなた?君?のこと、全く知らんけど。学校で見かけたことがないし」

 女の子は顔に比して大きなメガネをくっとかけ直し、また前を向いてさっさと歩き始めた。

「そっちは森なんだよ、森!すっげえ暗くて怖いんだぞそこ!危ないって!」
「森が私の目的地です。あなたこそ危ないですよ、お帰りになったほうがよろしいと存じます」

 同級生が使わないような堅苦しい言葉遣いが、橘平のカンに触ってきた。そう年齢は変わらなそうなのに、妙に偉そうでつんけんして。彼の親切な注意を、全く聞き入れる様子はない。

「ケガしても知らねーぞ!!」

 そう叫んで注意しても、女の子はずんずんと雪道を進んでいく。
 追いかけるのに必死になっていたら、もう森の中だった。
 橘平は「しまった」と恐怖を感じた。親や祖父母、先祖の誰かに「入るな」と言われたわけでもないのに、村の人々は絶対に森には近づかない。橘平は好奇心で一度だけ足を踏み入れたことがあるのだが、恐ろしさに一瞬で引き返してしまったのだ。
 何が待ち受けているのかも分からない未知の場所。真っ暗闇。無事でいられるのか、ここから出られるのか。見通しが全くつかない。
 しかも、今日は稀にみる大量の雪。五体満足で帰れる自信はないが、女の子をどうしても放っておけなかった。手のひらに子供のころに教わったおまじないを書き、心を決めて女の子を追う。
 ほんの少しの救いは、女の子が持つ懐中電灯の光だった。それを頼りに後ろをついていく。

「俺は八神橘平!えーあなた?君?は」

 橘平が名乗ると、女の子は立ち止まり、橘平の方を振り返りぼそりと呟いた。

「八神家…南大家の方ですか」

 村の中では名字ごとにだいたい家の場所が固まっており、八神は村の南側の中で一番多い名字ということで「南大家」と呼ばれている。この呼び名を知っているということは、やはり彼女は村人なのだろう、と橘平は判断した。

「一宮桜です」

 そういうと、桜はまた前を向き歩き始めた。

「いちの…一宮!?一宮ってお伝え様んち?!」

 お伝え様とは、村にある唯一の神社のことである。総じて、一宮家のこと、そこの神職のことも指す。昔から村をまとめている家であり、みなから頼られ、敬われている。家のもめごとから村の運営に関わる事、何か問題があればお伝え様に相談する。村議会ですらお伝え様の一言を大事にしていた。そういう習わしになっていた。
 村の同年代とはみな知り合いのはずだが、やはり桜のことは全く分からない。そもそも、一宮家に同年代の娘がいたことすら、今初めて知った橘平だった。

「そうですよ」

 桜は黙々と歩みを止めない。疲れた様子も見えない。体力はあるほうだと思っている橘平だったが、慣れない雪道と履きなれない長靴のせいで、足がぐったりしている。一歩を出すのもつらくなってきた。
 それでもなんとか気合で桜に食らいついていくと、真っ暗闇の森の中に突然、桜の木が現れた。


 何千年、何万年もそこに生きているかのような風格で、真冬のはずなのに花は満開。桜の周りだけ草木は生えておらず、広場のようになっていた。雪が降っているはずなのに、それも皆無。絵画か映画のワンシーンか。月明かりが大劇場の舞台照明のように、主役たる桜を照らしている。
 幻想的な風景というのは、これのことか。
 橘平はその情景に見とれたが、彼女は全く何も感じていないように桜の木をめがけて進む。もう少し全体の雰囲気を見ていたかった橘平だが、彼女の背を追いかける。
 ぴたりと、桜は木の下で立ち止まった。橘平も立ち止まり、彼女が見ているものを彼も観た。目線の先には、神社のミニチュアのような置物があった。

「なんだこれ、おもちゃ?神社の?」
「神社ですよ。見た目通りです」

 橘平はしゃがみこみ、神社のミニチュアをまじまじと眺めた。とても精巧につくられており、確かにお伝え様の拝殿にそっくりである。屋根には二重丸のような模様が描かれていて、じっと見ていると誰かに見つめられているようだった。

「ふーん、ミニ神社か。にしても、不思議だな。冬なのに桜。そういや寒くもないし、ここだけ春なのか?」
「そう、不思議ですよね。ここだけ世界が違うなんて…」

 バキっ。
 橘平の目の前で、神社のミニチュアが破壊された。破壊したのは桜の右足である。

「は?」

 桜は右手でメガネを上にずらした格好で、潰れた神社を見下ろす。

「粉々になったかな。まだ足りないかしら」

 といい、何度も足で踏みつける。いきなりの出来事に放心していた橘平だが、すくっと立ち上がり、桜の左腕をがちっと掴んだ。

「おい、何やってんだよ!ちっちゃくても神社だぞ、破壊するなんて頭おかしいんじゃないのか!?」

 名前とは裏腹に真っ黒な桜の瞳が、橘平の極薄茶色の瞳を刺す。
 雪の中を平然と歩き続ける体力もそうだが、同級生と比べそう大きくない自分よりもさらに小柄な体に、どれだけの破壊力が潜んでいるのかと、橘平はつばをごくりと飲み込んだ。桜の腕をつかんだ右手が緩む。

「…おかしいのは、村をおかしいと思わない村人のほうです」

 と、桜が橘平の腕を振り払った時、二人の左右から何かがせりあがり、跳躍した。
 はっと、跳躍したモノの方に目を移すと、桜の木と同等の高さと空を覆いつくほどの体躯を持った怪物が、二匹、轟音とともに着地した。
 その勢いで、二人も30センチほど浮いた。

「っあー!!!!お、おにー!?!?!ようかい!?!?」
「な、なにこれ、聞いてないわ!」

 左の怪物は角が一つ生え、目と鼻は無く、口は真一文字に引き締まっている。右の怪物も目鼻はないが、角が二本、口は大きく開いており、今にも二人を食べようとしているように見える。ともに上から下まで、ありえないほどの筋骨隆々さと重量感を持っている。
 怪物はのっそりと二人の頭上に顔を揺らし、二匹同時に腕を振り上げた。
 橘平はとっさに桜の手を取り、全速力で前方へ走った。かろうじてその衝撃からは逃げられたが、腕はまた襲ってくる。

「に、逃げるわけには」
「ごちゃごちゃ言うなよ!」

 橘平は桜の背と膝に手を添えてさっと持ち上げ、走り出した。広場を抜け、森の中に戻る。真っ暗闇の中、同じように見える木々と積もった雪のせいで、どこを進んでいるのか分からない。足も思うように進まない。
 ただ、この森は村の中心にある。進んでいけば、東西南北、どこかの地域には出られるはずだ。そう信じてひたすら走った。

「降ろしてください八神さん!」

 反論に答えるほどの余裕も体力も、橘平には残っていなかった。
 顔も耳も目も限界まで真っ赤、内臓という内臓がいまにも破れそうに苦しい。それでも桜を抱えて走り続けた。
 そうすることができた。


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