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【小説】神社の娘(第4話 橘平、吐きそうになる)

 橘平は土曜日の事で頭も心もいっぱいだった。

 彼らに会うのが待ち遠しいのか、彼らの秘密を知ることにドキドキするのか。期待と不安が入り混じり、自分でもはっきりしなかった。

 授業中も上の空で、先生の話なぞ右から左、注意されても「はあ、はい」、体育では頭にボールが当たる。

 そんな一週間だった。

 この村では小学校から高校まで村立のものがあり、村の子供は全員そこに通う。18歳まで顔ぶれは変わらず、全員幼馴染と言って間違いない。その幼馴染たちは、橘平の心あらずな様子に「初恋か?」などとからかったが、彼は相手にしなかった。頭の中はそれどころではないからだ。

 あの出来事は本当だったのか。

 桜と電話したけれど、本当に一宮桜は存在するのだろうか。

 まだ夢の中の気分だった。

◇◇◇◇◇

 約束の日がやってきた。

 金曜の夜に向日葵から「おうちまで迎えに行くね~!」という電話があった。家に来られると親への説明が面倒だと感じた橘平は、南地域の公民館で待ち合わせることにしてもらった。

 ちなみに、昨夜スマホの画面に〈美人でかっこいいおねえさん〉と現れたときは、「誰!?ウイルスに侵された!?」とびっくりしてしまい、橘平は電話に出なかった。基本、電話帳に登録されていない人の電話は出ないからだ。

 しかし、何度も何度もかかってくる。名前が出るということは知り合いなのかもしれないが、橘平の周りに〈美人でかっこいいおねえさん〉はいないはずだ。

 恐る恐る出てみると向日葵だった。通話終了後、橘平はすぐに電話帳の登録名を〈きんぱつ〉に変更した。

 公民館の門の前で待っていると、真っピンクで、フロントに大きなヒマワリ柄のキラキラステッカーが貼られている軽自動車が見えた。

「村でこんな派手な車に乗ってる人いたっけ?」と呟く。

 軽自動車が橘平に近づく。すると、窓から大きな声とともに女性が顔を出した。

「きーくーん!!待ったー?」

 橘平は目を見開いた。その女性は、車に負けないほどの、きらきらしたばっちりヘアメイクの向日葵だったのだ。

「ってか私わかるー?こないだノーメだったじゃーん?別人だよね~やばー」

 田んぼ畑ばかりの何も遮るもののない村に、よく響く派手な声。自分の家まで聞こえそうで、橘平は誰かに聞かれたらと思うと恥ずかしかった。

「あ、は、はい、わかりますよ。こ、こんちには向日葵さん。えと、さっき来たところですが、も、もー少しお静かに…」

「何よー静かにって。学生はもっと元気にするもんよー」

 向日葵は公民館の前に車を止め、運転席からでてきた。雪だるまのようなファーコートを着た彼女は「はい、乗った乗った」と、橘平をぐいぐいと助手席に押し込んだ。その力強さに、橘平は骨折するんじゃないかと心配になった。

 あの日は暗かったし、眠くて疲れていたので、橘平は彼女の車のことなぞ気にもしていなかった。

 昼間に改めてみると、向日葵の車は外観だけでなく、車内もずいぶんカワイイ。座席シートは黄色、ティッシュケースなどはデコストーンがぎらぎらに輝いていた。後部座席には、人気アニメにでてくる猫キャラのビッグぬいぐるみが鎮座している。

「か、かわいい車っすね」

「だっしょー?わかってんじゃん、いいね~君。アオバカは目がつぶれるっていうし、さくらっちは落ち着かないって言うの。センスねーよなー。頭がっちんこなの超そっくり、やべーよあれ」

 本当は橘平も二人と同じ気持ちだ。でもあの力強さをしっかり覚えているため、反抗しないと決めた。彼女は橘平の足や腕くらい、簡単にぼきぼきにできるだろう。

 ドライブ中は学校や友達の事などを話した。腕っぷしには恐ろしさを感じるが、彼女はとても明るく親しみやすく、話しやすかった。

 年齢は多少離れているし、住む地域も違うためほとんど交流したことはなかったが、橘平の周りにはいないタイプの女性で新鮮だった。

 初めての家族以外の女性と二人きり。橘平は向日葵とのドライブデートを満喫した。

 

 楽しいお喋りのおかげで、あっという間にあの夜を過ごした小屋に着いた。

 小屋は森の出口に近く、坂を上がったところにあった。その後ろにもまた、木々が生い茂っている。

 橘平は坂を上った記憶すらなく、あの状況でよくここを上れたものだと感慨深くなった。

 昼間に改めて眺めると、小屋というより家、いわゆる古民家だった。

「けっこー大きい小屋だったんですね、ここ。小屋っていうか家っていうか」

「家だよ~。もともと一宮もので、今は葵のアホが一人で暮らしてるんだわ」

 引き戸の玄関がガラっと開き、「橘平君、この間はどうも」と、中から葵が出てきた。

「聞こえたぞ、向日葵。アホって」

「うわ、キモイ耳!もてねーぞ!ばーか!」

「声でかいのが悪いんだよ」

 刃物のような鋭い人、でも優しさもある不思議な人。

 橘平はそう記憶していたが、向日葵となんやかんや言い合っている姿は、意外とありふれた青年であった。

 ただ、パーカーとジーパン姿の橘平と同じような服装なのに、それはありふれた姿ではなかった。美形はラフでも決まると学んだ橘平だった。

 家の中も外見から想像できるような古民家然としている。葵に勧められるまま橘平はシンプルなスリッパを履き、この間の部屋に通される。促されるまま、あの夜と同じソファに座った。

 桜がお盆に湯呑を載せ現れた。真っ黒な長い髪を後ろで一つ結びにしている。

「ご無沙汰しております、八神さん。粗茶ですが」橘平の前に渋い緑色の湯呑を置いた。

「あ、ありがとうございます」

 橘平は湯呑を手に取った。まろやかで優しい味の緑茶だった。

 昼間の室内で見る桜は、箱入りお嬢様といった風情で、一見すると、力強い瞳をもった女性とは思えない。名前の通り、桜の花のような可愛らしさと、そして危うげな儚さを感じた。

 桜は橘平とテーブルをはさんで反対側の椅子に座った。ソファの橘平の隣には向日葵が座る。

「では八神さん、早速お話いたします」

「は、はい」

 橘平は湯呑を置き、緊張した姿勢で彼女の話を聞き始めた。


 桜は橘平と目を合わせ、しっかりした口調で語り始めた。

「まずあの夜のことです。私の目的はお察しかもしれませんが、森に入り、あの小さな神社を破壊することでした」

「お家の近くから入ればいいのに、なんで反対側へわざわざ」

「あの森は南側からしか入れないのです」

「森なんてどこからでも入れるんじゃないの?」

 桜はさらにしっかり橘平の瞳を見据え、少しの間を置いて尋ねた。

「…どこからでも、あの森に入ったことはありますか?」

 その質問に、橘平は一度だけ森に立ち入った日の事を思い出す。

 あの時も、桜と出会った日と同じ、南側から入った。

「どこからでも……ないっす」

「そうですよね。そもそも村人たちは、『あの森には絶対近づかない』と思うようになっていますから」

「そうなの?どういうこと?」

「はい。それは…」

 桜はふと目線を下げる。それについて今、話すべきなのか迷っているようだ。「後程お話します」と、桜はゆっくりと視線を戻した。

「とにかくあの日、森に向かうところも入るところも、誰にも見られたくなかったんです。そのため、私は用心して夜を選びました。より人と遭遇する可能性が低い雪という天候は幸運だと思いましたが、まさか八神さんと出会うとは…」

 それは橘平も同じ気持ちだ。誰にもバレないよう、そっと家を抜け出てきたのに、まさか見知らぬ女の子と巨大なバケモノに出会うとは思わなかった。

「私の目的は先ほどの通りなのですが、満開の桜の木の下には…なんといえばよいのでしょう…」

 またも言い淀む桜を次いで、葵が説明する。

「まあ簡単に言えば、この村には大昔に封印された悪神、つまり悪い神『なゐ』が眠っている。俺たちの目的は、封印を解いて、悪神そのものを消滅させることなんだ。あの小さな神社を破壊すれば、封印が解けると聞いていたんだよ」

「あのバケモノが悪神ですか?十分悪そうでしたし」

 その問いには桜が答えた。

「違います。『なゐ』は人の姿をした化物だそうです。おそらく、あの怪物は封印を守る門番のようなものだと思われます」

「えーと、じゃあ、あれを倒さないと封印が解けないってこと?どうやって倒すんすか?あんなでっかいの」

「…それに関しては」

 桜は本当に申し訳なそうに「葵兄さん、ひま姉さんのお力を借りようと思っています…」と、今にも消え入りそうな声で答える。

 いままで大人しくしていた向日葵が、テーブルにばんと手をつき、その勢いで立ち上がる。

「もー!!何しゅんとしてんの!私らに遠慮しちゃダメでしょ、さっちゃん!!」

 向日葵は桜の椅子の傍らにしゃがむ。ハリのある声から一変して、母親が赤子に話しかけるような柔らかなトーンで語り掛けた。

「悪神は弱体化してるから、私一人で大丈夫って言ってたけどさ」

 桜の手をにぎり、向日葵は潤んだ瞳で桜の顔を見つめる。

「やっぱり一人じゃ無理だったのよ。桜は強くて賢いから、その時は信頼、いや、言いくるめられちゃったけど」

 落ち着いた力強い声で「もう絶対、一人にはさせない」と言い、桜の両手をぎゅっと包み込む。

 葵は諭すように「次は絶対、俺と向日葵も行くから」と、桜に伝えた。

 小さな子供に語りかけるような様子に、桜が二人から大切にされていることが伝わる。まるで、3人は親子のようだった。

 それなのに、なぜ彼女はあの森へ一人でやってきたのだろう。二人はそれを許したのだろうか。橘平はその疑問をぶつけたかったが、今はそんな空気ではなかった。

「……ありがとう」

 二人の言葉に、桜は涙声で答えた。

 三人の結束は深まったようだったが、橘平は話を聞く前よりも疎外感を抱いた。

 聞けば聞くほど訳が分からないことを、彼らはしかと理解しているのに、橘平だけ何も分かっていない。封印とか悪神とか、彼らは漫画かアニメの話でもしているのだろうか。

 しかし、バケモノに遭遇した事、冬の桜を見てしまったことは現実で事実である。とすれば、三人の話も嘘ではないだろう。

 それにしても現実離れしすぎていて、橘平は簡単には受け入れがたかった。

「あの、アクジンってことは悪い奴なんですよね?消滅させると何かいいことあるんですか?」

 その質問に、今にも泣きそうだった桜の纏う空気が一変する。

 すべて飲み込むような深く黒い瞳で、桜は橘平を見つめる。

 この目を橘平は知っていた。神社のミニチュアを破壊した時に、橘平を睨んだあの瞳だ。

「八神さんは、高校をご卒業されたら進学ですか、就職ですか?」

「へ?えーっと、就職のつもりだけど」

「ご希望はありますか」

「警察とか」

「ああ、たしかこの村の警察官さんがあと数年で退職ですね。この村生まれの方なんですよ。ほかにございますか?」

「は?ほかに?えーと…県庁」

「そういえば、この村には県庁から派遣されている方がいますが、なぜか長年居座っておりますよね。その方はこの村のご出身で、確かそろそろ退職なのです」

 橘平は、ため息のような声で「はあそうですか」と反応する。正反対に桜はクリアな声でまた質問した。

「外へ行きたい、という希望はないのでしょうか?」

「そと?」

「はい。例えば大都会に住んでみたいとか、海外で働いてみたいとか」

「だからケーサツとかケンチョーとか。外じゃないですか」

「そこに就職されたら、間違いなくこの村に配属されます」

「……は?」

「ほかも同様ですよ。この村に縁もゆかりもない関係のない民間企業でも、外資系でも、国内海外どこに行っても。なぜか、どういうわけか、この村に戻ってきてしまいます。村か村の近くにでしか働けないのです」

 さらに橘平は混乱する。どんな仕事に就こうと、どんな場所に居ようと、村に戻ってきてしまう。どういうことだろうか。

「村の引力からは逃れられないのです」

 その言葉にはまじないのような不気味さが感じられた。桜はさらに続ける。

「おかしいと思いませんか?こんな小さな村、人口減少が起こってしかるべきなのに、遥か昔から人口がほぼ変わらない。増えたら減り、減ったら増える。それが自然に、自動的に行われる村」

 この村の人口について、橘平は何の疑問も抱いてこなかった。言われてみれば、日本中の小さな自治体が人口減少に苦慮している中、この村では人口が問題になったことがない。議会でも、人口を増やそう、移住者を受け入れようなどという議題は上がったことがない。

「この村の人間は、村にかかわる事しかできない、村のことしか考えられない。この村から一生出られないのです」

 村への疑問。村の人たちへの疑問。今の暮らしへの疑問。村と世界への疑問。

「でもさ、結婚は?親戚のお姉さんがお嫁に…隣町に住んでる…旦那さん都会で働いてるはずが…」

 橘平は目をぎゅっとつむる。他に村から出た人はいないか、記憶を探る。 

「あ、担任の息子さんが都会の大学行って弁護士……になってこの村に帰って来たな…?」

 橘平はこれまで、村の何かをおかしいと感じたことはなかった。だが思い出してみると「外へ行って帰ってこない人」がいないのだ。

 外へ出たままの人が、いない。

 どの家も昔から「その場所」にあり、必ず「その家の者」が住み、正しく家が守られている。

「ご自宅の住所、正しく答えられますか?」

「何言ってるんですか、そんなの言え」

 はて、自分の家の住所は何村の何番地だっただろうか。村の南地域にある八神。それしか頭に浮かばない。

「村の名前はご存じですか?」

「村の…」

 住所も分からなければ、もちろん、自分の住む村の名すらも、橘平は口にすることができなかった。質問されて緊張しているにしても、おかしい。

「答えられませんよね。そう、誰も分からないのです。この村がどこにあるのか。不思議ですね」

 年賀状を書いたことがあるし、郵便局もある。宅配だって。

 生きてきた中で、必ず一度は住所を書いているはずなのに。橘平はどうしても思い出せなかった。

「それもまた不思議なのです。だれもご自分の住所が分からないのに、住所は記入できる。でも何を書いたか分からない。送った方も同様です」

 ますます、橘平は訳がわからなくなった。

 一体なんだ、どういうことなのか。

 彼の頭の中で、今までの村の景色と桜から与えられた新しい村の景色が入り混じる。

 いままでの価値基準が、自分が信じてきたものが崩落していき、全て新しいものに入れ替わっていく。

 その過程で橘平の脳は揺れ、視界もゆらゆらする。

 吐き気を催した橘平は手を口に当てた。

「あ、きっちゃんも揺れはじめたね」

 橘平を介抱しようと向日葵は立ち上がるも、それより早く桜が反応した。

 素早く立ち上がった桜は、橘平の隣に座り、丸まった橘平の背に手を置く。

「吐きそうですか?お手洗い、いやバケツ」

「葵、バケツとか桶ってある?」

「外にバケツが」

「お、おかいまなお…うっ!」


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