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【小説】神社の娘(第4話 小規模大地震)

 土曜日がくるまで、橘平は気持ちも態度もそわそわ、ふんわりしていた。
 この村では小学校から高校まで村立のものがあり、村の子供は全員そこに通う。18歳まで顔ぶれは変わらず、全員幼馴染と言って間違いない。大学、専門学校に行くということがなければ、外の学校に行く人はいない。
 そうした幼馴染たちは、橘平の心あらずな様子に「初恋か?」などとからかったが、橘平はそれを相手にしなかった。頭の中はそれどころではなかった。
 あの出来事は本当だったのか。桜から電話はあったが、まだ夢のような気がする。

 約束の日がやってきた。金曜の夜に向日葵から電話があり、家まで迎えに来てくれるということだったが、家の目の前に来られると親への説明が面倒だったので、南地域の公民館で待ち合わせることにしてもらった。
 ちなみに、昨夜スマホの画面に〈美人でかっこいいおねえさん〉と現れたときは、「誰!?ウイルスに侵された!?」とびっくりしてしまい、橘平は電話をとらなかった。知らない人からかかってくることはあまりないし、そもそも、電話帳に登録されていない人の電話は出ない。
 しかし、何度もかかってくる。名前が出るということは知り合いなのかもしれない、と恐る恐る出てみると向日葵だったのだ。通話終了後、即、電話帳の登録名を変更した。〈きんぱつ〉。
 公民館の門の前で待っていると、真っピンクで、フロントに大きなヒマワリ柄のキラキラステッカーが貼られている軽自動車がやってきた。橘平は「村でこんな派手な車に乗ってる人いたかな?」と思い眺めていたら、窓から車に負けないくらい、きらきらヘアメイクばっちりの向日葵が顔を出した。

「きーくーん!!待ったー?ってか私わかるー?こないだノーメだったじゃーん?別人だよね~やばー」

 田んぼ畑、山ばかりの何も遮るもののない村に、よく響く派手な声が広がる。八神家まで聞こえそうなほどで、誰かに聞かれたらと橘平は恥ずかしかった。

「あ、あー、わかりますよ、はい。こ、こんちには向日葵さん。えと、さっき来たところです」

 公民館の前に車を止め、運転席からでてきた向日葵は雪だるまのようなファーコートを着ており、「はい、乗った乗った」と、橘平をぐいぐいと助手席に押し込んだ。内臓がつぶれそうだった。
 あの日は暗かったし疲れていたので気にもしていなかったが、向日葵の車はずいぶんカワイイものだった。中のインテリアは黄色で統一され、ティッシュケースなど、物によってはデコストーンがぎらぎらに輝いていた。後部座席には、人気アニメにでてくる猫キャラのビッグぬいぐるみが鎮座していた。

「か、かわいい車っすね」
「だっしょー?わかってんじゃん、いいね~君。アオバカは目がつぶれるっていうし、さくらっちは落ち着かないって言うのセンスねーよなー。頭がっちんこなの超そっくり、やべーよあれ」

 本当は橘平も二人と同じ気持ちだったが、あの力強さはしっかり覚えているため、反抗はしないと決めている。骨なんて簡単にぼっきぼきにできるだろう。怪我はしたくない。
 ドライブ中は学校や友達の事などを話した。腕っぷしに恐ろしさを感じるが、彼女は基本的に親しみやすく、話しやすかった。年齢は多少離れているし、住む地域も違うためほとんど交流したことはなかったが、自分の周りにはいないタイプの女性で新鮮だった。
 短時間ではあるが、家族以外の女性と二人きり。楽しいドライブだった。
 ほどなくして、あの夜を過ごした小屋に着いた。森の出口に近い、坂を上がったところにあった。小屋の後ろにもまた、木々が生い茂っている。橘平は坂を上った記憶すらなく、あの時よくここを上れたな、と感慨深くなった。昼間に改めて眺めると、小屋というより家、いわゆる古民家だった。

「けっこー大きい小屋だったんですね、ここ。小屋っていうか家っていうか」
「家だよ~。もともと一宮もので、今は葵のアホが一人で暮らしてるんだわ」
「へー」

 引き戸の玄関がガラっと開き、中から葵が出てきた。

「橘平君、この間はどうも。中へどうぞ。聞こえたぞ、アホって」
「うわ、キモイ耳!もてねーぞ!ばーか!」

 刃物のような鋭い人、でも優しさもある不思議な人。橘平はそう記憶していたが、向日葵となんやかんや言い合っている姿は、意外とありふれた青年であった。ただ、パーカーとジーパン姿の橘平と同じような服装なのに、それはありふれた姿ではなかった。
 家の中も外見から想像できるような古民家然としている。葵に付いて玄関から入って左に進むと、この間の部屋だった。促されるまま、これもまたあの夜と同じソファに座った。
 桜がトレイに湯呑を載せ現れた。真っ黒な長い髪を後ろで一つ結びにしている。

「ご無沙汰しております、八神さん。粗茶ですが」
「ああ、ありがとうございます」
ちょうど飲みやすい温度の緑茶だった。

 昼間の室内で見る桜は、箱入りお嬢様といった風情で、一見すると、力強い瞳をもった女性とは思えない。名前の通り、桜の花のような可愛らしさと儚さを感じた。

「では八神さん、早速お話いたします」
「あ、はい」
「まずあの夜のことです。あの森は南からしか入れないようになっています。森に入るために私はあの場におりました」
「え、そうなの?森なんてどこからでも入れるんじゃないの?」
「どこからでも…入ったことはありますか?」
「どこからでもは……ないっす」
「そうですね。あの森には入らないよう、村人の思考はできていますから」

 村人の思考。
 いまいち理解できなかったが、橘平はまず話を聞こうと姿勢を正した。

「森に向かうところ、入るところを誰にも見られたくないために、用心して夜を選びました。雪が降ると知り、より人と遭遇しない天候は幸運だと思いました。が、まさか八神さんと出会うとは…」
「まあ、そうですよね…」
「私の目的はお分かりかと思いますが、あの小さな神社を破壊することでした。満開の桜の木の下には…なんといえばよいのでしょう…」

 どう言おうか悩む桜を次いで、葵が説明を始めた。

「まあ簡単に言えば、この村には大昔に封印された悪神が眠っている。俺たちは封印を解いて、悪神、『なゐ』っていうんだけど、ソイツそのものを消滅させようとしているんだ。あの小さな神社を破壊すれば、封印が解けると聞いて」

 橘平はますます意味が分からなくなってきたが、わかる範囲で解決していこうと質問した。

「ええと、あの鬼みたいな怪物がその『なゐ』じゃないんですか?」

 この問いには桜が答えた。

「違います。『なゐ』は人の姿をしております。おそらく、あの怪物は封印を守る門番のようなものだと思われます」
「えーと、じゃあ、あれを倒さないと封印が解けないってことだよな?どうやって倒すの?あんなでっかいの」
「…それに関しては、葵兄さん、ひま姉さんのお力を借りようと思っています」

 いままで大人しくしていた向日葵が、沈黙の分を取り戻すような大声で割って入ってきた。

「ってかさー!!やっぱり一人じゃ無理だったのよ!『なゐ』は弱体化してるから一人で大丈夫ってさあ。さっちゅんは強くて賢いからそのときゃ信頼しちゃったけど、もう一人にはさせないかんね」
「桜さん、次は一緒に行くから。絶対」
「…ありがとうございます」

 三人の結束は深まったようだったが、橘平は話を聞く前よりも疎外感を持った。聞けば聞くほど訳が分からない。封印とか悪神とか、漫画かアニメの話でもしているのか?といぶかしむが、バケモノを見てしまったこと、冬の桜を見てしまったことは事実である。
 おそらく、三人の話も嘘ではないだろう。にしても現実離れしすぎていて、簡単には受け入れがたかった。

「あの、悪神ってことは悪い奴なんですよね?消滅させると何かいいことあるんですか?」

 和気あいあいとしていた三人が、すっ、とその空気をひっこめた。桜は橘平のほうを向き、こう尋ねた。

「八神さんは、高校をご卒業されたら進学ですか、就職ですか?」
「へ?あー、就職のつもりだけど」
「ご希望はありますか」
「警察とか」
「ああ、たしかこの村の警察官さんがあと数年で退職ですね。この村生まれの方なんですよ。ほかにございますか?」
「は?ほかに?えーと…県庁」
「そういえば、この村には県庁から派遣されている方がいますが、なぜか長年居座っておりますよね。その方はこの村のご出身で、確かそろそろ退職なのです。外へ行きたい、という希望はないのでしょうか?」
「そと?」
「はい。例えば東京に住んでみたいとか、海外で働いてみたいとか」
「だからケーサツとかケンチョーとか」
「そこに就職されたら、間違いなくこの村に配属されます」
「…は?」
「ほかも同様ですよ。この村に縁もゆかりもない民間企業でも、外資系でも、国内海外どこに行っても、なぜか、どういうわけか、この村に、もしくは村の近くでしか働けない。何を考えようと村に縛られる。村の引力からは逃れられない」
「…」

 眼鏡の奥の、真っ黒な瞳が力強く橘平を見つめる。この間もこんな瞳をしていた、と橘平は思い出す。桜はさらに続けた。

「おかしいと思いませんか?限界集落になってもおかしくないような場所なのに、それなりに人間がいて、遥か昔から人口がほとんど変わらないのですよ。増えたら減り、減ったら増える。それが自然に自動的に行われる村」

 そういえば確かに、この村の人口は平安だか江戸だか知らないが、ずーっと変化がないらしい。それについて何の疑問も抱いてこなかった。

「村の誰もが、この村にかかわる事しかできない、村のことしか考えられないのです。この村の者はこの村から一生出られないのです」

 村への疑問。村の人たちへの疑問。今の暮らしへの疑問。村と世界への疑問。

「でもさ、結婚は?親戚のお姉さんがお嫁に…隣町に住んでるな…旦那さん都会で働いてるはずが…あ、担任の息子さんが東京の大学行って弁護士…になってこの村に帰って来たな…?」

 橘平はこれまで、村の何かをおかしいと感じたことはなかったし、思い出してみると、「外へ行って帰ってこない人」がいないのだ。
 外へ出たまま、の人がいない。
 どの家も昔から「その場所」にあり、必ず「その家の者」が住み、正しく家が守られている。

「この村の住所、正しく答えられますか?」
「え…えっと…」
「村の名前はご存じですか?」
「む、村の名前…?」
「答えられませんよね。そう、誰も分からないのです。この村がどこにあるのか。不思議ですね」
「で、でも郵便は届くし」
「それもまた不思議なのです。だれもご自分の住所が分からないのに、住所は記入できるのです。でも何を書いたか分からない。送った方も同様です」

 ますます、訳がわからなくなった。一体なんだ?どういうことだ?
 脳みそがシェイクされているような、そう、橘平の頭の中では今、大地震が起こっているのだった。
 いままでの価値判断としていたものが、自分が信じてきたものが、全部崩壊する、地盤沈下が起こる、地形が変わっていく。
 吐きそう。
 気持ち悪さに手を口に当てた。桜が心配そうに背をさする。

「あ、きっちゃんも揺れはじめたね。大丈夫?トイレ行く?」
「お、おかいまなお…うっ!」


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