見出し画像

【小説】神社の娘(第2話 冬に夏が訪れたような騒がしく目立つ2人)

 時間の感覚はすでにない。どれだけ走ったのか考えたくもないが、なんとか二人は森の外に出られた。
橘平の意識はふわふわしているが、生きていることは実感できた。桜をゆっくりと降ろし、ちゃんと家に帰れよ、とでも言おうとした瞬間、橘平の視界は雪よりも真っ白になった。

「八神さん!?」

 突如、橘平は前のめりに、ばこん、と倒れ雪にはまってしまった。桜はそれをよいしょ、うんしょとひっくり返し、体を思い切りゆすった。

「八神さん、八神さん!」

 目の前でぶっ倒れた少年同様、心身が疲れ切っている少女には、この状況にどう対処すればよいか考えるカロリーも残っていなかった。泣きたいが涙を出す力もない。
 橘平の顔は真っ白で真っ青で。おそらく疲れと寒さ、緊張といろいろなものが一気に噴き出してしまったのだろう。
 まだちらちらと降り続く雪の中でこのままだと、最悪、死んでしまうかもしれない。桜は焦り始めた。
 失礼な態度をとってはしまったが、桜は橘平に手を取られた瞬間、とても安心した気持ちを感じていた。彼がいなければ、あのバケモノに食われていたことだろう。命の恩人であるこの少年をどうしても助けたかった。
 メガネがずれてきた。かけ直す気力も湧かなかったが、ふと気が付いた。

「あ…」

 桜はメガネをはずし、橘平の瞼にそっと手を添えた。

 橘平が目を覚ますと、桜の瞳が間近にあった。じっと橘平の目を覗き込んでいる。

「わあああ!?」

 寝たまま少年が叫ぶと、桜は急いで顔をあげ、メガネをかけた。

「大丈夫ですか八神さん!?」
「え、あ…えと俺は…」
「森を出てすぐ、お倒れになってしまわれて。私を担いで走ったので、だいぶお疲れになったのかと」
「あー…」
「立ち上がれそうでしょうか?すぐそこに、うちの小屋のようなものがありまして」
「え?じゃあここって北側なのか?」

 八神家は村の南にあり、一宮家は北に位置する。とりあえず森から出られればと走っていたが、まさか正反対に出てしまうとは、橘平は考えもしなかった。
 雪の中、村の反対側までどう帰ればいいのか。それしか今は頭に浮かばなかった。
 とにかく起き上がらねばと、右に寝返りをうち、ざくっと雪に手をついた。体を起こしてみると、橘平は倒れる前より体が楽な気がした。

「肩貸します」

 そう言って桜は橘平の左腕をとり、自分の肩に載せた。

「…ありがとう、一宮さんも疲れてるのに…」
「いえ、八神さんほどでは」

 肩を借り、橘平はのそりと立ち上がる。さくっ、ざくっ、と歩き始めてみると、やはり体はだいぶマシな状態に戻っているようだった。
 いったい、自分はあの場で何時間倒れていたのだろうか。

「あの、俺はどのくらい気を失ってました?」
「え…そうですね…ご、五分?…以内だったと思います」
「五分…ご、五分以内?何時間も眠って起きた感じ…」
「何時間も眠ってらしたら、すっかり朝でございますよ。今、夜中の3時です」
「え、今までのことって3時間…はあ、なんかもう百年分疲れた」
「愉快な方ですね、八神さん」と、桜がくすくす笑った。

 ぽつぽつと話しつつ、歩いて10分ほどで古い小屋のような建物に着いた。窓からは、ほのかに明かりが見えた。
 桜が引き戸をがらりと開ける。

「桜です、戻りました」

 玄関に入った途端、誰かが勢いよく現れた。現れたのはメガネの男性と金髪の女性。どちらも背が高く、村ではちょっと目立つタイプだった。
 女性の方は飛ぶように三和土に降り立ち、ものすごい勢いで桜をがばり、ぎゅうぎゅうに抱きしめた。

「さっちゅんお帰り!やばーもう、生きててよかったー!!ってか誰その子ー?!」

 明るい調子の女性が、桜を抱きしめたまま、その後ろに立つ橘平の顔をずいっとのぞく。金髪ロングゆるパーマの女性。彼女には見覚えがあった。というよりも、金髪の村人なんて彼女一人。忘れられないともいえる。

「あれ君、八神の?きっぺー君じゃない?」
「あ、はい…にのみ」
二宮向日葵 にのみやひまわりだよ~!ってか二人ともめっちゃやばそうじゃん、死ぬ?!早く入って!ほら、靴脱げ!」

 無理矢理に手をひっぱられ、二人そろって入って左の部屋に連れていかれた。こんなに力強い人っているのか?と橘平は恐怖を感じた。腕が引っ込抜かれそうだった。
 通された部屋には二人掛けのソファと一人用の椅子が二つ、それと木製のローテーブルが置いてあった。二人はソファの方に押し込まれた。
 そのあとから、向日葵と一緒にいたメガネの男性が入って来た。こちらも見覚えがあった。

「えーと三宮の…」
「桜さん、何があって、どうしてそこの少年と一緒に帰ってきたんだ?無関係だろう?」

 穏やかに無表情な彼の言葉には、刀で切りつけるような鋭さがあった。その刃を、向日葵がふわっと跳ねのける。

「ちょ、 あおい!どう見たって二人ともお疲れじゃん、休んでからでよくない!?」
「大丈夫。大切なことだから今話すわ」

 向日葵は眉をきゅっとハの字にし、「え、でも」と困っていた。しかし、桜の「今話すから」という強い決意をしぶしぶ、受け入れるしかなかった。とりあえず温かいお茶を出すまで休んでてほしい旨を伝え、台所と思われる方へぱたぱたと消えた。
 部屋の中は電気ストーブのおかげでだいぶ暖かい。橘平も桜も寒さでマヒしていた体が徐々にだが解けてきた。
 ちらと、橘平は葵を盗み見た。
 刀よりも本が似合うような。争いとは無縁の雰囲気でありながら、瞳には強烈な攻撃性も感じる。
 怖い人なのかな、と内心びくびくしていると、メガネの青年は二人に使い捨てカイロを、桜にはブランケットも併せて渡した。「靴下とか手袋、濡れてるならストーブの近くで乾かせ」などと薦めてくれもした。あれ、意外にいい人?と橘平の評価は定まらなかった。
 確か二宮と三宮はお伝え様と親戚か何かだったな、と橘平は思い出した。彼らもその関係で、桜を助けているのだろう。桜は葵を「葵兄さん」、向日葵を「ひま姉さん」と呼んでいた。
 向日葵は飲み頃のほうじ茶を持ってきてくれた。「お代わり何百回でも言って!」と下手なウィンクをしながら、二人に湯呑を渡す。
 桜はほうじ茶を一口すすると、先ほどあった出来事を二人に聞かせた。
 その口調は、橘平に対する時代劇だかお役所言葉か分からないような固いそれではなく、同級生たちとそう変わりはなかった。

「…ということがあって」
「そうか。わかった、じゃあ今日はこれで解散だ」
「え?葵兄さん、早速次の対策を立てるのでは」
「桜さん、かなり疲れてるだろう。目を見りゃわかる。良い考えなんて浮かぶわけない。それに橘平君は俺らと関係ないのに巻き込んでしまったんだ。早く家に帰してあげないと。本当に申し訳ない橘平君。今日のこと、そして桜さんと会ったことは忘れてほしい」
「私の車で送ってやんよ、ほら行くよ!」

 と、向日葵は橘平を送ろうと席を立ったが、彼の方は立つ様子はない。

「ありゃ、動けないかな?じゃあおんぶして」
「忘れられないです」
「え?まあさ、疲れてるだろうから、今日はとりあえず帰ろうねえ」

 まるでぐずる幼児を扱っているようだ。ここまで自分はハッキリ感じて、見て、記憶しているというのに。立とうとしない少年は、無かったことにしようとしている目の前の人たちに、怒りのようなものを感じていた。

「帰ったら、今日の事うやむやにしますよね?後で何か聞いても教えてくれないですよね?確かに俺は部外者だけど、ここまで見て聞いたら、気になるじゃないですか。みんなは何をしようとしてるんですか?あの森に満開の桜?鬼?妖怪?忘れられるわけない」

 橘平の強い態度に、三人は沈黙した。三人の計画に部外者が入ってくることは全く予想もしていなかったことで、この少年にどう対処するのが正解なのか、みな考えていた。

「ごめん、橘平君、無理かもしれないが」
「お話しましょうよ、葵兄さん」
「でも桜さん」
「ここまで巻き込んでしまって忘れろというのも、本当に無理な話よ。私が八神さんの立場でも同じことを思うもの」

 桜は橘平に向き直り、頭を下げた。

「本日は大変失礼いたしました」
「え」
「助けていただいたにも関わらず、一貫して不躾な態度を取ってしまいました。お許しいただけないとは思いますが、心からお詫び申し上げとうございます」
「ちょっとちょっと、気にしてないから、もっとこう、楽にしてよ一宮さん。俺なんかにそんな、丁寧にしなくても」
「いえ、初対面の方にそういう訳には」

 すると、向日葵が笑い出し、桜の肩をもみながら言った。

「あはは、もう初対面じゃなくね?少年漫画ならさ、共に死線潜り抜けたら仲間でファミリーじゃん。さくっちは昔からお堅いよ~同じくらいの年頃なんだし、もっと気楽にさ!」
「向日葵は軽すぎる。無関係の子をまき」

 向日葵はすぱ、っと葵の言葉を切った。そして先ほどの陽気さからは一変して、冷静なまなざしで語る。

「私たちにとってすっごく大事な桜ちゃんを助けてくれたんだよ。普通なら一人で逃げちゃうような状況で。いきなり見たこともないバケモンに出会ってさ、その辺の中高生男子が女の子助けられる?無理だよね。すっごい勇気ある子だよ!そしたらさ、適当にあしらうわけにもいかなくない?一応、私らオトナなんだからさ」
とにかく無関係の人間を排除することしか考えていなかった葵は、「桜を助けてくれた」という事実を突きつけられ、次の言葉が浮かばなかった。
「八神さん、このたびのことに関すること、すべてお話します」

 言ってから桜はさっと目を伏せ、数秒考えてから話を続けた。

「申し訳ございません、本当にすべてはお話しできないと思います。けれど、今日は葵兄さんが言うように解散いたしましょう。後日改めてお会いしませんか。お約束します」

 桜の言葉でこの場はお開きとなった。
 橘平は向日葵の軽自動車に載せてもらい、電話番号とメッセージアプリの友達登録をした。「落ち着いたら連絡すっから!」とのことであった。
 今日のことを車の中でも少し質問したいと思ったが、限界になった心身は言うことをきかず、助手席で眠ってしまった。

 八神家の前に着いた。向日葵は橘平に声をかけるが目覚めない。体をゆすっても、軽く頬を叩いても反応がない。
 耳を思いっきり引っ張り、鼓膜を破るつもりで「起きろー!!!」と叫んで、やっと起きた。
 それでもぼーっとしている橘平は、前を見ているのかいないのか、ふわふわした足取りで家に戻っていった。

「あの子、自分の部屋にちゃんと戻れるかな?玄関で寝ちゃったりしないかな?」

 家に入ってからのことは助けてあげられないが、玄関に入るところまでは見届けた向日葵であった。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?