【小説】神社の娘(第15話 紅茶とせんべいは合うのかな?)
『恥ずかしくて死にたい!無能な私を殺して!助けてきーちゃーん!!』
明日は土曜だ、3人が来るんだ、よし寝るぞ!
と決めた橘平の決意をぽっきり折るように、〈きんぱつ〉から電話がかかってきた。しかも電話越しでも目の前にいるかのようにわかるほど酔っぱらっている。声の雰囲気では末期だ。
葵にいわゆるお姫様抱っこで2度も医務室に運ばれ、それが原因で職場内イジメを受けているらしい。「イジメる奴は弱い。私は強い」という思想のため、イジメはどうとも思ってないらしいが、横抱きを多くの職員に見られたことが一番我慢ならないらしい。
ライバルだらけ、ヤバすぎ…と応援団長は焦り始めた。葵と近くて遠いのは、こうした事態も想定しての事かもしれなかった。
その後も、文法が崩壊した愚痴をえんえん聞かされた。橘平の親戚にも酒癖の悪い大人はいるが、直接の被害を受けたことがなかった。「これが悪酔い?酒癖が悪い?ってやつなのか」と感じるとともに、「俺も大人になったらこうなるの?うーん」とお酒について初めて考えた橘平だった。
愚痴は右から左へ流した。ただ、その中で気になる話題もあった。
『数か月前?から?突然森に入れてえ』
『よーぶつが強くなっちゃってさあ』
橘平が森に「好奇心で一度だけ足を踏み入れた」のは3か月前だった。
電話の最後、向日葵はこう言った。
『あいつと関わるとロクなことない。だから関わりたくないのにさ。でもさ…関わりたいの』
少年は生まれて初めて切ない気持ちを直接、受け取った。
切ない気持ちを描いた作品は見たことはある、読んだこともある。とても感動した。でも。
「本物」の気持ちは、それらとは全く違った。
『迷惑かもしれないけど、これからも』
軽い気持ちで応援できなくなった橘平だった。
第2回目の蔵の捜索日がやってきた。幸運にも、両親は街まで買い出しへいくので不在。弟も友達の家に出かけるという。何も気にせず動ける絶好の機会だ。
まず、向日葵があの車で八神家にやってきた。
「おはよ~!元気~!」
いつものように明るい笑顔と挨拶。橘平は昨日の様子から、「二日酔いで来られたらめんどくさいなあ」と思っていたが、その様子はなさそうなのでほっとした。
「元気っす!向日葵さんも元気そうでよかった。昨日のあれ、大丈夫だったんですね」
「は?何が?」
「え?昨日の夜、俺に電話してきて」
「電話?は?私きーに電話したの?」
「もしやお酒の記憶ないタイプっすか…」
「え、ちょマジ、え?」
酒を買った記憶まではあり、飲んだことは枕元にあった缶で分かっていたが、飲んでいた時の記憶が全くない向日葵は、ばっと通話履歴を確認する。
〈舎弟のきっぺい〉とばっちり記録されていた。
「え、舎弟って」
「えあの、私ヘンな事話したりした?」
予想外の動揺した様子に、橘平は正直に話すか躊躇したのだが、ごまかしてもバレるだろうし、無用な嘘はつきたくなかった。
昨夜の会話内容を包み隠さず話すと、向日葵は体じゅうが真っ赤を超え、火傷しそうな域である。コートの必要はないだろう。彼女は橘平の両肩をがっちり掴み、血走った目で恫喝した。少年の肩の骨群は割れそうだった。
「それ、誰かに言ってないだろうな!?言ったらどうなるか」
「あ、う、き、昨日の今日で誰に言うんすか…い、いたっ、し、し」
すると向日葵の後ろからひょこりと桜が顔をのぞかせた。
「なになに?内緒話?」
「ぎゃー!!さっちゃん!!!!何でもないのよ!!!!」
「え、気になるよ、そんな否定されたら」
「きっぺー!?」
「あ!えと、はい!何でもないです!」
「えー、橘平さん、私にだけ教えてよ~」
桜は無邪気な笑顔を少年に向ける。その顔が今は苦しい。
「や、やめてください、桜さん、俺の命が無くなります!もう聞かないで!」
「何やってんだ」
と、橘平の命の危険の種である青年も桜の背後から現れた。向日葵の情緒はもうめちゃくちゃであることは、橘平が見ても明らかだった。
このままだと、俺に被害が及ぶかもしれない。
と危険を感じた少年だったが、向日葵は何も言わず橘平の腕をずいと引っ張って、蔵へとむりやり引きずっていった。
「何かあったのかなあ、ひま姉さん」
「…さあな」
そう大きくも広くもない蔵とはいえ、大小さまざまな箱や荷物であふれている。最新のものはまず除くとしても、一つ一つ検めるのはなかなか骨が折れる作業量だ。向日葵は前回以上に真剣に中身を確認している。
始めのうちは黙々と作業をしていた4人だったが、桜が「そういえば」と話し始めた。
「村の周りに現れる妖物が強くなってきた、ってお父さんが言ってたんだけど」
「ああ、桜さんにも伝わってたか。そうだよ」
これは、昨日酔っぱらいが話していたことかもしれない。橘平は詳しく聞きたくなった。
「あの、それってどういうことですか」
橘平を巻き込むことには反対であった葵だが、ここまで知ってしまっては何も隠すことはない。むしろ、知っておいてほしいと思い、部内で公開されている情報をすべて少年に話した。
数か月前から突然、森に入れるようになった。昨日の電話で聞いた話を、葵も話した。
「あの、俺も3か月くらい前に森に入りました」
橘平以外の3人が、一斉に少年に注目した。宇宙人でも見たかのような顔で凝視され、橘平は異様な居心地の悪さを感じた。
「おい、今なんて言った?」
「え?いや3か月くらい前に森に行ったって」
「橘平さん、前、『森に入ったことない』って言ってなかった?」
「言ったっけ?」
「言いましたよ!確か入口の話、どこからでも入ったことはありますか、と聞いたと思う」
「あー!うん、だから、どこからでもは『入ったことない』よ。南からは入ったことはあるけど。葵さんたちが初めて入ったの2か月前でしょ、俺が3か月前だから、少なくともその時には森が開いてたってことだよなーと」
3か月前というと、妖物が強力になり始めたころと重なる。
そもそも、村人はあの森に「近づかないよう」「興味を持たないよう」思考を操作されている。それが「なゐ」を封印し続ける仕組みだからだ。一宮家はじめ、裏の支配層たちはこの事実を知っている。知ったうえで、彼らも近づかないようになっている。
桜たちは「先生」の教育を受けたからこそ、森に興味を持つことができたのだ。なぜ突然、この少年は森に近づけたのか。3か月前に何があったのか。
「橘平さん、どうして森に近づいたんですか?」
「うーん、理由は特にないけど。興味?」
「本当にそれだけの理由か?」
「そうですけど…」
葵には、おそらく桜も向日葵も、それだけの理由とは考えられなかった。必ずきっかけがあったはずだ。しかし、この少年の様子を見るに、何も覚えていなさそうだった。
「あの、橘平さん、何か、本当に小さなことでいい、森に入る前に何があったか思い出せたら絶対教えてね!」
「ああ、うん。何かあったかなあ。まあ頑張ってみる」
あ、古い着物だ、と橘平は箱開けを再開した。3人も再開しつつ、この少年が森に入れた時に何があったのか、という疑問が残り続けた。
腹減った気がするなあ。
橘平がスマホで時間を確認すると、お昼時だった。今日はこの間より雰囲気も重いし、ここらで空気を変えたい。昼ご飯はいいきっかけだと思い、少年はちょっと元気よく提案してみた。
「いい時間なんで、昼休憩とりませんか!?」
「え?ああ、ほんと、お昼だわ。ごめんなさい橘平さん、お昼ご飯の事なんて全然考えてなくて…」
「うん、大丈夫!俺カレー作ったから!みんな食べて!」
「え、きーくんの手作りカレー?」
「はい。市販のルーなんで、味はまずくないはずです。葵さんの味噌汁よりは美味しいと思います」
「ケンカ売ってんのか?」
「あ、す、すいません、ジョークです」
八神家に戻り、橘平は3人を居間に通した。彼らは手伝うと申し出たが、「おもてなししたいっす!座っててください!」と手出しはさせなかった。
向日葵が卵焼きと唐揚げを作ってきてくれていた。これも少年が皿に盛りつける。
友達が来てご飯を食べるとなっても、だいたい母親が用意してくれていた。でも今日は、自分で作りたいと心から思ったし、「めっちゃもてなす」と前に豪語もしている。料理の手伝いはたまにしているし、カレーなら何度も一人で作っている、唯一、人に出せる料理だ。
誰かのためにご飯を作って、食べてもらう。初めての経験。彼なりのおもてなしだった。
3人に出会ってから初めてのことばっかりだ。橘平はカレーをよそいながら、これから出会う初めてに期待した。
しかし、向日葵の態度がいつもと違う。これには困った。わー、超おいしいね~、きーちゃんえらい~など、いつもの調子で話しているように見えるが、ほぼ橘平にしか話しかけない、橘平しか見ない。桜とはそこそこに。葵はいないもののように。
なんというか、空気が、重い。
桜も葵もそれは感じていたが、言い出せなかった。
初めてのおもてなしは、ぎくしゃくしてしまった。空気は一切変わらなかった。
でもカレーはまあまあ美味しかった。と自画自賛の橘平である。
蔵検めを再開するも、なかなかこれと言ったものは見つからない。八神のお守りの模様は、あらゆるものに施されていることだけはわかってきた。
アルバム、着物、そろばん、家具…。
模様があるだけで、それが悪霊の封印につながるとは思えない品々だ。ほとんどが物ばかりで、封印について書かれている文献などは見つかっていない。桜などはこれを期待している。
橘平は気分転換もかねて「ちょっと厠へ」と、蔵を出て家に戻った。
春が近づいているとはいえ、まだまだひんやりする外気を浴びる。ほんの少し顔がひきしまる感じだ。
トイレを済まし玄関を出ると、向日葵が立っていた。
「あ、向日葵さんもトイ」
突然、向日葵は橘平を抱きしめ、ごめんね、とつぶやいた。
「今日の私おかしいでしょ?ヘンな空気にしちゃってさ、自分でもわかってるし反省してるの、普通に戻りたいのにできないの。本当にごめん、次に会うときには治すから、今日だけ許して」
電話越しよりも効く、切ない気持ち。
具体的なことは分からないが、橘平が今感じるのは、向日葵は単純に葵に思いを寄せているわけではない、ということだった。もう少し複雑なのだろう。
もしかしたら好き嫌いではないのかもしれない。彼女のなかで何があって、何が原因かはわからないけれど、彼女の感情だけははっきりわかる。
俺もいつか、こんな気持ちを味わう日が来るのかな。少年は自分より少し背の高い女性を抱きしめる。
「誰だって調子悪いときあるじゃないっすか。俺もこないだ腹痛くて、授業中にトイレ行ったし」
ははは、と彼女は弱く笑う。
「きっちゃんは本当に良い子だな。みんなが君のように素直で優しいといいのに」
よりぎゅっと、でもとてもやさしく。しばらくの間、向日葵は橘平を、橘平は向日葵を抱きしめていた。
女性に抱きしめられたらドキドキするのかな。橘平は漠然と想像したことがあった。人気の恋愛ドラマをみていた時だ。今、実際、そんな場面に遭遇したけれど、全くドキドキしない。ドラマと状況は全然違う。好きとか嫌いじゃないけれど。
元気になってほしい。
その気持ちで抱きしめていた。
「今日のひま姉さん、ちょっと変だよね」
橘平がトイレに立ち、続いて向日葵も外へ出たのをチャンスとばかり、桜は言いたくて言えなかったことを葵にこぼした。彼女がいなくなって、やっと言えたのだった。きっと葵も同じことを思っているはずだろうし、おそらく彼が原因じゃないかと桜は考えている。
「まあ、体調悪いんじゃないか」
「体調っていうか…葵兄さんの事、めちゃくちゃ無視してるじゃない。何かあった?」
やっぱり、俺の事無視してるのわかるよな。
きっと橘平もわかっているだろう。高校生たちに気を使わせてしまって、葵は申し訳なかった。彼自身、向日葵がなぜ自分を避けるのか思い当たる節がなく、桜になんと答えていいか分からずにいた。
「何もない。よくわからん」
「職場以外でひま姉さんと会った?」
「会ってない」
「じゃあ職場か。さっき言ってたトラ退治かなあ」
「…無事に終わったし、向日葵のおかげで消滅できたし。そういや、終わった直後に疲れたからなのかその場で寝ちゃって。それが恥ずかしかったとか?」
絶対違う。
…気がする。
桜はじめっとした気持ちを抱くも、彼にそれを説明できる証拠もなかった。この人は本当に自身を含めてヒトに不器用で、良い意味でも悪い意味でも天然で…困る。優しくて思いやりのある人なのだけれど。桜が幼少から抱く、第2の兄への不満だった。
「ただいま戻りました、と」
橘平が戻って来たのをきっかけに、二人の会話はそれで途絶えた。
向日葵も数分ほど後に戻って来たのだが、
「ごめんね~今日ちょっと具合悪くってさ、トイレ行ったらすっきりしたから、これからバリバリ箱開けちゃうね!!」
桜ちゃんも息抜きしなよ、葵もお茶でも飲んでくれば?と、いつものような明るい調子に戻っていた。
「そろそろ親が戻ってくるはずだし夕方になるから、今日はここまでかなって思うんすけど」
「そうだな、じゃあ今日はここまでか」
「特に収穫はなしかな。どうしましょう、また来週?」
「古そうな箱はだいたいあけちゃったし、段ボールやるしかないけど」
「古いほうが、と先入観に囚われてるのかもしれない。意外と最近の箱に何かまぎれてるかもしれないし、次はそっち見るか」
次の集合日を決め、解散する流れになったところで、橘平が「せっかくだからお茶でも!」とその流れを止めた。「あらお茶まで!ありがと!」ということで、また居間にあがってもらった。
橘平渾身の紅茶、学校帰りに村のコンビニで買ってきた個包装のせんべいを出したところで、葵の電話が鳴った。〈二宮公英〉課長からだった。ちょっと、といって葵は居間から出て行った。
「すまん橘平君、休日出勤だ。すぐ出る」
「あ、さっき言ってましたね、休日出勤増えるかもって…」
「あらまーかわいそ…」
同僚をからかおうとした向日葵の電話も鳴った。〈感知器おじさん〉。つまり課長からであり、内容は葵と同じであった。
「あー……承知いたしました。きっちゃんごめんね、私も出動です…お茶は飲むから!」
二人はまだ熱い紅茶をあっつ、と無理矢理流し込み、あわただしく玄関を出た。忙しい二人にせんべいを持っていてほしい橘平は急いで追いかけた。
「あ、せんべい持っていってください!仕事の後にでも!」
「うわー、ありがと!あ!ちょっと橘平きて」
呼ばれて向日葵の方へ近づくと、彼女は右手のひらを出した。
「書いて、こないだのあれ。なんかね、いいよあれ」
あれ。八神のお守りのことである。橘平は、喜んで、と指で模様を描く。描き終わると、向日葵はぎゅうっと少年を抱きしめた。そして耳元で。
「ありがとう。もしかしたらまた電話しちゃうかも」
今度は不意にも、ドキドキしてしまった。たぶん、少し顔が赤いだろう。
「…いつでも。あ」
少年も耳元で。
「葵さんと仲直りできるように、お守り書きました」
向日葵は橘平から体を離し、手の甲をぎゅっとつねって早足で車へ向かった。
痛すぎた。
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