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生活指導に「怒る」はいらない〜『バナナの魅力を100文字で伝えてください』から学んだこと〜

生活指導と聞いて思い浮かべるのは、怖そうな生活指導主任の先生が悪いことをした生徒を怒鳴りつけている場面でしょうか(笑) 

今ではそんな場面はほとんど見ないとは思いますが、「生活指導=怒る指導」というイメージは根強く残っている気がします。

職員室の中でも「生徒を統率できる『怖い先生』がいい先生」とか、「ビシッと怒らないと子どもはわからない」といった考えが(ベテランの先生方を中心に)まだまだ有力でしょう。

ですが生活指導の目的は、生徒の生活態度や行動をよりよいものにしていくこと。「怒る」はそのための手段の1つに過ぎません。「怒る」は果たして本当に効果的な指導方法なのでしょうか?

「怒る」「不機嫌」「怖い」 そんな状況は「伝わる」の大敵です。

バナナの魅力を100文字で伝えてください』という本にこんな一節がありました。なぜ「怒る」が「伝わる」の大敵だと言えるのか。2つの理由が挙げられていました。

①相手が嫌な感情をベースに情報を受け取るため、情報自体を否定的に捉えがちになるため。

②嫌な感情に意識が向き、情報の中身にあまり意識がいかないため。

どちらもとても納得のいく理由ですね。自分が上司から怒られたときのことを思い出してみてください。多くの人は、この①②のような心境になっていたのではないでしょうか。

生徒も同じ。「怒られた。うぜー」とか「あんな先生の言うことなんか聞きたくないわ」と、嫌な(指導内容や教員に対して否定的な)気持ちだけが残り、指導内容はほとんど頭に残りません

指導内容が頭に残らないということは、生徒の生活態度や行動をよりよくすることはできていないということです。つまりこの生活指導は失敗です。

もちろん「怒る」指導が伝わる場面もあります。例えば条件付けにおける「罰」としての効果を狙う場合。「これをやったら怒られる」という条件を定着させることで、良くない行動を減らすことができるかもしれません。

実際、理論的な説得では理解できなかったり、理解しても行動に結びつけることができなかったりする生徒もいます。

また「この先生は悪いことに対してちゃんと怒ってくれる」とクラスの他の生徒を安心させるために、怒った様子を見せることが効果的な場合もあるでしょう。

ただ、これらの例は、具体的な効果を狙って「あえて」怒って見せているだけ。つまり頭の中は冷静です。頭に血がのぼり、感情的に「怒る」のは、生活指導ではありません。

また「怒る」こと自体が目的となってしまっている場合も、生活指導とは呼べません。

「怒れる先生がいい先生」という価値観がはびこっているせいで、「私は怒れる先生ですよ」と、上司やベテラン教員にアピールするための自称「指導」が行われてしまうことがあります。この餌食になった生徒は可哀想でなりません。

先述のように、生活指導の目的は生徒の生活態度や行動をよりよいものにしていくこと。この目的を達成するためには、何が悪かったのか、何を変えるべきなのか、それはなぜなのか、といった内容が生徒に「伝わる」必要があります。

生徒に「伝える」必要があるのではなく、生徒に「伝わる」必要があるのです。

怒りに任せて伝えたとしても、それは生徒の頭や心にまでは届いていない、つまり伝わっていない可能性が高いのです。生徒に「伝わる」ように伝える」には、「怒り」は優れたツールではないのです。

伝えたい内容を理解しやすく納得しやすい形で冷静に説明する。生徒の言い分もしっかりと聞いた上で伝える。こうした方法の方が、はるかに生徒に「伝わる」確率は高いでしょう。

「怒る」「不機嫌」「怖い」 そんな状況は「伝わる」の大敵です。

この一文を心に留めて指導に当たりたいものです。

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