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人間は1人で生まれ、1人で死んでいくという現実を直視せよ

「人間は1人で生まれ、1人で死んでいく」という現実を直視しなければならないし、「感じる感情を本当の意味で他者と共有することはできない」という現実も直視しなければならない。

この現実を直視できた時に初めて自分を大切にでき、自分の人生を生きることができるようになると思う。

人間関係は「双方が自立した状態」でないと破綻する。

「自立」というのは、自分の人生の舵を自分でとり、もちろんその責任も自分で取る。自分で自分の機嫌を取ること。そういうことを「自立」という。

たとえ家族だとしても、自分の気持ち、思考や感情を本当の意味で理解してもらうことはできないし、相手にも相手の人生がある。そこに介入しようとすると、自分は脇役になってしまうし、貴重な人生のエネルギーを奪われてしまう。


自分の感じた感情をわかってあげられるのは自分しかいない。それなのに自分が自分の感情を否定してどうする。浮かんできた思考を否定してどうする。

感情を抑圧しているのは自分自身だという事に気がつくこと。幸福は選択で、他者にも影響されないということに気がつくこと。そこから本当の自分の人生が始まる。


だからこそ「書く」ということをお勧めする。

誰にも見せないという前提の上で、感じた感情をそのまま出す。浮かんできた思考をそのまま出す。その感情や思考に「良い悪い」なんてない。

感情はもはや髪の毛だ。

つまりあってもなくても良いもの。狩猟最終時代において感情は生存戦略的に最強の道具だった。今や感情などなくても良い。いや、なくても良いという言い方はおかしい。「なくても生き延びることができる」ということだ。

感情は今や娯楽として扱われている。ホラー映画やジェットコースターなどがその筆頭だろう。

だから感情や思考に意味付けをせずに、意味や善悪を外し、全てされけ出すこと。もちろん実社会において曝け出すことはままならない場面もあるだろう。だからこそ「書く」のだ。

感情や思考をそのまま出して良いのは、誰1人として人が存在しない山奥に限る。実社会で他者と共存して生きているのであればルールを守らなければならない。ルールを守らない人が単純に馬鹿なのだ。ルールの本質がわかっていない。

ルールというのは何も個人を守るためにあるものではない。もちろんそういった側面もあるだろうが、誰にも迷惑をかけない太平洋のど真ん中で何しようが構わない。しかし他者に迷惑をかける可能性があるものに関してはルールがなければならない。

交通ルールだって本来いらない。

砂漠であれば勝手に500キロでも出してどこかにぶつかって死んでも全く問題ない。自己責任だ。でもその車を除去したり、有害部室により砂漠が汚染され、最終的に人類に影響が出るとなると、規制やルールが必要となる。

だから交通ルールを守らない人は思い上がらなで欲しい。守らない自分勝手なあんたを守るためにルールは存在しているのではない。勝手に破ればいい。破るなら誰にも迷惑がかからないアマゾンの奥地で。

ただこの社会で運転するのであれば交通ルールを守れと声を大にして言いたい。他者に迷惑をかける前に。だから信号無視やスピード違反、煽り運転には腹が立つ。自分勝手な馬鹿だからだ。

交通ルールを守らない人に強い嫌悪感を抱くので少し言葉が荒れてしまった上、本当に伝えたいことから脱線してしまった、、

本題に戻ろう。


自分でしか感じることができない感情がある。
それを本当の意味で他者と共有することは不可能。

しかしそれに唯一対抗できる手段は言葉を磨くことだ。

その時感じた感情により近い言葉を選ぶことで
その感情を伝えるための精度があがる。

だからこそ語彙を学ぶのだ。しかしいくら語彙を学んでも本当の意味で伝えることはできない。この矛盾を受け入れた上で、それでも対抗すること。その手段が言葉を磨くことだ。


最後にまとめる。

・人間は孤独。1人で生まれ、1人で死んでいく

・それ故、本当に意味で他者と感情を共有することはできない

・自分で自分の感情や思考を無視したらもう誰もわかってあげられない

・だからこそ感情や思考を否定せず曝け出すことが大事

・だけどこの社会で生きているのであれば、全て曝け出してはいけない時がある

・なぜなら他者に迷惑をかける可能性があるからだ

・だから「書く」ことで、全ての感情や思考を曝け出すこと

・そうすることではじめて自分の人生を生きることができる


また傲慢で僭越な文章を紡ぎ出してしまった。

気を悪くされた方失礼いたしました。


吉田カオル




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