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書評|『それはわたしの名前じゃない』【一二〇〇文字の短編小説 #3】

ハナ・ネドヴェドの『それはわたしの名前じゃない』を一気に読んだ。大学時代のボーイフレンドが好んで読んでいた短編集で、去年の末の昼下がり、隠れるようにわたしの本棚に倒れているのを見つけて手が伸びた。花びらのような口びるが東欧的なデザインでタイトルの下に描かれている。

一九七〇年生まれのネドヴェドはチェコ系フランス人で、イギリスはケンブリッジ大学のガートン・カレッジで学んだ。在学時に母語ではない英語で短編を書き始めると、その才能が編集者の目にとまる。老舗文芸誌『GRANTA(グランタ)』に「天気を読む方法」が抜擢的に掲載され、一躍注目を浴びた。『それはわたしの名前じゃない』は十三編を収めた処女作だ。未婚の出産と同時期に発表された。

ネドヴェドの作品には徹頭徹尾、女性の強さが描かれている。夫と夜をともにすごすとき、明日の朝食やかつての恋人、あるいはふるさとの城跡など、全く別のことを考えてしまう女性教師。パートナーの女性との愛を社会に証明するために、左腕に「LOVE FOREVER」とタトゥーを入れ、愛する人の誕生石のピアスを舌にあける看護師。結婚したばかりの夫が交通事故で亡くなったあと、思い出の品をすべて燃やし、自分の名前を改名して生きていく未亡人。「夢は始まって終わる」に登場するチェコ人画家のハナもしかり、どの女性も「女性であること」、つまり「男性でないこと」をしたたかに利用していくていく。

二十八歳で自ら命を絶った姉の人生を十四歳の妹の視点で描く「水仙が枯れるころ」でネドヴェドはこう書く。

姉のケイトは「きついから嫌いだわ」と言って、いつもブラジャーをしなかった。乳首の形が服から浮き出すのもお構いなしで、「寒いから嫌だわ」と言って、スカートは一枚も持っていなかった。いつだって髪の毛をある時期のジェーン・バーキンみたいなベリーショートにしていて、つまりは女性らしさ﹅﹅﹅﹅﹅とは縁遠く、けれども、どんなときも自分の意思でハイヒールを履き、わざと音を鳴らすように力強く歩いていた。ケイトはその音がまるで自分の鼓動であるかのように前へ前へと進んでいった。

水仙が枯れるころ

実のところ、二〇二三年、わたしの私生活は停滞していた。春には兄が肺がんで亡くなり、夏には五年間付き合っていたボーイフレンドと別れ、秋には派遣切りの憂き目に遭い、冬には母の形見だった指輪を失くした。まるで呪われているかのような一年だったけれど、『それはわたしの名前じゃない』を読み終えた大晦日、来年はいい年になるような予感がした。正確に言えば、「いい年にしなければならない」と心が引き締まった。

残念ながら、ハナ・ネドヴェドという作家の存在は日本ではあまり知られていないようだ。『それはわたしの名前じゃない』以外には『目隠しの季節たち』と『永遠の一日と、一瞬の一日と』という短編集しか出版していない。寡作に終わったのは、彼女自身が二十八歳で自ら死を選んだからだ。

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