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『たまたま』が重なり合って起きてるだけ

昨日、私が双極性障害になったことについて書いたのだけど、
それが発症したのがいつからかは不明だった。
でも一つ言えるのは父が私より酷い双極性障害だったのでは、と言うこと。

私の幼少期に起業をした父はその後30数年間会社経営をどうにかしたのだけど、
かなりの激高型で、いつどこでキレるか分からず、一度キレると手がつけられない。
かと思えば布団に伏して何も言わずに過ごしている姿が今でも鮮明に思い出される。

遺伝性も強いのではと言われているこの病気からすると、
父と私は性格も似てる部分もあって、あぁ遺伝かな〜とも思う。

母はと言えば父とは真逆な田舎の出身で若くして父と一緒になり、
他の男性も知らない状態だから、絶賛モラルハラスメントな相手であっても
尽くし、耐え、支えるのが美徳な昭和な価値観の女性。

そして祖母に過保護に育てたれた母は主体性も少なく、
優しくはあったけど、感情や考えの表現に乏しい部分があり、
となると幼少期の私は愛情がよく分からなかったのだ。

そんな双極的に真反対の親に育てられ、
多忙な家だったので夜遅くも親がいなくなる事もしばしば。
一つしたの妹の姉であるという責任感など、
どうしても子供のうちに自立を急かされる環境だった。
そんなこんなで後天的に双極性障害の発症を強めたのもあるのかな、
というのが自分観察の結果だった。

だから愛着障害なんじゃないか、とか、アダルトチルドレンなんじゃないか、とか、
はたまたHPSとか?心理学を勉強すればするほど自分に貼る付箋が多くなっていって、
過去の傷付いた経験から、
パートナーや子供については40歳ころになるとどうしても前向きになれずにいた。

そんな私が41歳にして今の夫と出会い、今までにない安心感と共に
子供も欲しいと思うようになったのは、
理由もなくて、たぶん本能の仕業だと思う。

まともに双極性障害の治療もせずだった20代は恋多きというか、
それなりに恋愛もして28歳ごろには結婚もした。
だけど、この特性通りどれもこれも長くは続かなかった。
結婚も2年弱で破綻。

一度離婚経験をすると、その結婚制度の面倒臭さだとか
女の価値が下がったんじゃないかだとか、
これまた自分に傷の付箋をたくさん貼った。

その時は全然相性が合わなかった相手とただ結婚してみたい、
みたいな28歳の本能とノリで結婚してしまった所もある。
今考えたら若い頃の私の行動は恐ろしいくらいに軽率だったり、
まさに双極性障害って感じ。

結果今があるので興味深いという目で見れるんだけど、
恋愛依存的なところもあって、実はそんな人が割といるんじゃないか、
結構苦しい人もいるのでは、と思うので恋愛などについても
追々書いていこうかな、と思う。

そして一つだけ言いたいのは、双極性障害のあれこれの事は
自分のせいじゃない、ということ。
あなたのせいでもない。
誰かのせいでもない。

ずっと自分を責め続けて生きてきたけど、
これは色んな背景や要因や遺伝や、できごとが重なり合って
『たまたま』起きたことだ。

人間は言い訳の天才だし、バランスを保ちたい生き物なので、
どうにか理由を付けたがるけど、これだという理由はきっと解明不可能だと思う。

『たまたま』という自然の摂理みたいなものが一番理屈じゃない。
というより宇宙の公式くらい解明が難しいんじゃないかと思う。

だから、その『たまたま』を紐解くというより、
こうやってたまたま生きている自分をどうやって生かしていこうか。
もうその連続でしかない。

20・30代はそのたまたまに納得がいかずに、
長い事『正解』の理由を探し彷徨ってたけど、
正解のないのが人生なのかもな、とも思い始めた。

盛大に揺れながら迷いながら生きていいのかも。
そうしてるうちに、どこかでフワリと「これでいいのだ」の岸にたどり着く。
と今は信じている。

苦しくても悲しくても。
今はこれでいいのだ。
今はそれでいいのだ。

そんな風な気持ちも少しずつ重ねていきたい。



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