きしかおり

現在アラフォー主婦。20歳の時にパニック障害になり約13年間薬治療をしながら海外駐在や…

きしかおり

現在アラフォー主婦。20歳の時にパニック障害になり約13年間薬治療をしながら海外駐在や デザイン企画関係の仕事で忙しい日々を過ごしていたが、30歳を過ぎた頃に再度調子を悪くする。 その後双極性障害だったと分かり現在治療中。ハードモードな人生でも生き抜く術を皆さまと共有したいです。

最近の記事

タマゴが先かニワトリが先か~複雑な排卵期~

排卵期になるといつも憂鬱になる。 前回の稽留流産からどうしても妊娠のふた文字が怖く感じてしまう。でも生理が来ると今度は少し落胆して、スッと堕ちる感じもなってしまう。 相変わらずの複雑な心境。 妊娠が怖いのは流産だけのことじゃない。 元々数年前にランニングで膝を壊してしまってから、 完治しているわけではないので、 妊婦期間が耐えれるのだろうか、とか、 子育てで身体が持ち堪えれるのだろうか。 という不安が一番かもしれない。 でも膝のことを誰かに吐露する事もないので、 結構な割

    • 決めないという事を決める●無垢な欲望はシンプル●

      先日、稽留流産について綴って約1週間。 この1週間が体感として1ヶ月位に感じる。 その中で何かあれば夫に話したり、 友だちと会ったり喋ったり、 長い1週間だった。 そして久しぶりの友だちとFaceTimeで 話した時に、 友だちが 「社会的や経済的や色んな不安を取り除いた 時の純粋なかおちゃんの気持ちを考えたら…」 と泣いてくれた。 その時、自分が手術後に涙をガマンしていたこと、 それよりももっと純粋に 「子供が欲しい。会ってみたい。」 そんな気持ちがコロンと転

      • 41歳、稽留流産の手術と入院とココロ:その④

        先日無事に稽留流産の手術が終わって、 1日入院して退院したところでこれを書いている。 それまでの経緯はこちら↓ ・41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その① ・41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その② ・41歳、妊娠発覚と稽留流産:その③ たった1日の入院だったけど、 なんだか数日入院したみたいな感じがする。 大きい大学病院の新しい病棟で、 窓からの都会の景色がとても良くて 一瞬わぁ◎と思ったけど、 そんな余韻に浸る間もなく朝イチで 入院手続きを

        • 41歳、妊娠発覚と稽留流産:その③

          はぁ…気が重い。 これから大学病院で稽留流産の手術と入院を するのに電車に乗っている。 昨日の夜から水だけで今の時間からは 水もダメなので、 禁止されるとなるとお腹が余計に空く。 と、昨日のこちらの続き↓ 8週目で心拍が確認できなかったらほぼ ダメだと言われているので、 帰宅して色々リサーチして覚悟を決めたつもりでも、 隙あらば心はザワザワ落ち着かない。 自分は不育症なんじゃないか、 いやそもそも高齢だからか、でも周りで 高齢で無事に産んでいる人を何人も知っている。

        タマゴが先かニワトリが先か~複雑な排卵期~

          41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その②

          昨日、私が41歳にしてパートナーとの妊娠が発覚したことを 書いたのだけど↓ 6週目頃に一応心拍らしきものが見えたので、 また2週間後に、と言われ、 それまで婦人科に行っていたのが産科へと移動した。 それまでに母子手帳を用意してくださいね。 とも言われていたので、 母子手帳も取りに行って、たまごクラブも買って、 図書館でも本を借りて2人で親になるのかぁ、 とうれしさとかなりの不安の中にいながら次の受診を待った。 2週間後。 一応自分の状態や年齢を考慮して、 大きな大学病院

          41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その②

          41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その①

          私が双極性障害と診断されてから、 なぜかパートナーが再び欲しい!と思い、 登録をしてみて、なかなかピンとくる人に出会わず、 それでも諦めずに会い続けていたら、 今の旦那さんと出会って結婚までいった奇跡。 仕事もできてなくて、中年に差し掛かる自分を 誰が受け止めてくれるねん。 と思っていたけど、 まさかすんなり受け入れてくれて、 今までの誰よりも優しくて誠実な人と出会うなんて。 これも人生のまサカの仕業である。 そんな彼と結婚を視野に入れて付き合い、 すぐ同棲を開始し、少

          41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その①

          『たまたま』が重なり合って起きてるだけ

          昨日、私が双極性障害になったことについて書いたのだけど、 それが発症したのがいつからかは不明だった。 でも一つ言えるのは父が私より酷い双極性障害だったのでは、と言うこと。 私の幼少期に起業をした父はその後30数年間会社経営をどうにかしたのだけど、 かなりの激高型で、いつどこでキレるか分からず、一度キレると手がつけられない。 かと思えば布団に伏して何も言わずに過ごしている姿が今でも鮮明に思い出される。 遺伝性も強いのではと言われているこの病気からすると、 父と私は性格も似て

          『たまたま』が重なり合って起きてるだけ

          そうだ、双極性障害で生こう。

          タイトルにした通り、私が『双極性障害』であることに折り合いをつける事にしたのは、 20歳の時にパニック障害になってから約20年も経った40歳になってからだった。 (現41歳) こうやって改めて20年と打ったらゾッとする。 時間感覚がどうなってたんや…とガクゼン、的な気持ちになるけど、 時は戻せないし、そういう人も少なくないのがこの『脳病』の一種である 双極性障害の難しいところでもある、らしい。 今考えると確かに、あれは躁鬱の症状だった、と思う節が多々ある。 自覚することほ

          そうだ、双極性障害で生こう。

          feel connection.

          feel connection.

          YOU are YOU. ありのままのあなた

          YOU are YOU. ありのままのあなた

          always brings me back.いつも何かをおもいだす。だけどなにかは分からない。

          always brings me back.いつも何かをおもいだす。だけどなにかは分からない。

          space drop.うちゅうのしずく

          space drop.うちゅうのしずく

          I already know what to do. どうすればいいかは、とっくに知ってる。

          I already know what to do. どうすればいいかは、とっくに知ってる。

          B(eauty)-Mart.キレイノテイギ

          B(eauty)-Mart.キレイノテイギ

          all of me. 光も影もわたし。

          all of me. 光も影もわたし。