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41歳、人生の再生が始まった矢先に稽留流産:その②

昨日、私が41歳にしてパートナーとの妊娠が発覚したことを
書いたのだけど↓

6週目頃に一応心拍らしきものが見えたので、
また2週間後に、と言われ、
それまで婦人科に行っていたのが産科へと移動した。

それまでに母子手帳を用意してくださいね。
とも言われていたので、
母子手帳も取りに行って、たまごクラブも買って、
図書館でも本を借りて2人で親になるのかぁ、
とうれしさとかなりの不安の中にいながら次の受診を待った。

2週間後。
一応自分の状態や年齢を考慮して、
大きな大学病院を選んでいたので、
何時間も待ってやっと順番が回ってきて、

無痛分娩の予約や生前検査はどうするか、など
一応産まれる前提での質問がつづく。

その後エコーで赤ちゃんの状態を診てもらった時に、
前にあったはずのポクポク動いていたものが
見えなかった。

確か受付表に8wと書いていたから8週目だったと思う。
本来なら子宮内の血流も映るはずのサーモグラフィー的
なものも赤ちゃんには見えなかった。
まるで温度を感じられない嫌な感じ。

「またか…」というのが最初の感想で、
12年程前に前夫との間で妊娠した時はエコーで赤ちゃんの頭部に浮腫が
見えて、その時もこのまま育つのは難しいだろう。
との事で泣く泣く諦めたけど、

その時は12週を過ぎる頃で本来なら入院で出産扱いになる所を、
日帰りで手術ができる所があると紹介された病院で
サクッと手術をしされて、麻酔も途中覚醒した上に
先生と看護師さんの談笑の様なものが聞こえて、

「先生これが頭ですか〜??」
みたいな会話がボンヤリ聞こえて、
ゴミ箱みたいなところに捨てられたのが
自分の子供を粗末に扱われた様で心底悲しくて、
その後も診察台で足を広げたまましばらく休んだだけで
終わったので嘔吐もしてしまい、そこからあまり記憶がない。

そんな事もあり自分の選択も責め続けてしまったり、
かなりのトラウマになってしまった。

だから過去の体感に重なった部分もあって、
絶望感と哀しさが複雑に入り混じった言語化しにくい感情になった。

ただ、その時と違うのは、私も精神面では大人になった事。
そしてパートナーの対応や寄り添い方も前とは全然違う事。
選んだ病院も大学病院だったので丁寧に処置をしてくれそうな事。

12年前よりはきっと自分を大切にできる選択ができているはず。

先生は
「1回ではこういうのは決められないので、1週間後に再度来てください」
と色々説明を受けて、
母子手帳もなかった事のようになってしまった。

終わってからパートナーに
「やっと診察終わったけど赤ちゃんの心拍確認できひんかったわ…」
とLINEをしてから涙がジワっと出てきて、
そこから帰宅する事に。

何だろう、こういう時の帰宅時って記憶が薄い。
ショックな事があると頭がその事でいっぱいになるのか、
映像記憶がものすごく薄くなる気がする。

そして長い1週間が始まった。

その③に続く⇨


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