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【解像度を高め、感性を育む方法】五感の中で唯一香りの情報だけが感情を司る脳の領域にて、その情報を処理がなされる特質を利用する手法。

ボクはコーヒーをローストするという仕事と出会い、そこに魅力と生きがいを感じ、生涯それと向き合い続けてゆける仕事とようやく出会ったことに、喜びとやる気に満ちていた。

しかし、あるときボクはダメージの香りすら認識ができない嗅覚の持ち主だと気づかされる出来事があり、ボクがこの仕事の先にある目標と定めた「良質なローストの味づくり」という目標が、遥か遠い存在であると認識せざるを得ない状態にあることを自身で気づいてしまった。
絶望感に呑み込まれていくってこういうことなんだなと涙すら流れなかった。
ボクは目の前が真っ白になり、静かに堕ちていった。

やっと見つけたやり甲斐のある仕事、しかし生涯の目標と掲げたものが自身の嗅覚の鈍さに気づいてしまったことで、良い仕入れのための目利きは当然できないことを意味していて、ダメージすら認識が出来ない感覚ではどう足掻いてもローストの味づくりにおいて良質さを表現することなんて不可能なことなのだと自身でわかってしまったのだ。
生まれ持った感覚が鈍かったことを知り、目標とすべくものを見失い、当然やる気も失われていった。

何回目の朝が訪れたのだろうか、心にぽっかりと空いてしまった空間に、すこしずつなにか感情がそこにあることに気づいた。
ボクはやっぱりコーヒーをローストすることを楽しんでいたのだ。
そうか、好きなんだ。
そうはっきりと理解をした。
そして、やっぱり諦めきれない自分がいることに、心の空間が埋め尽くされていった。

ボクは、嗅覚が鈍い。だからダメージを認識できないし、ゆえに良質な香りも認識できない。それが今の自分なんだ。
ボクは自身の感覚の鈍さを受け入れた瞬間だった。
そして発想を変えることを思いついたのだ。

ボクは、目標としていた「良質なローストの味づくり」のために、感覚が鈍いのなら、嗅覚という感覚を磨いてゆけばよいことなのだと思い立った。
諦めきれなかったからこそ、良い生豆の仕入れのために香りのダメージの存在を感じ取れるようになればいいし、そして良質なローストの味づくりのためには良質な香りの存在を理解できるようになればいい、そのために嗅覚と感性を磨いていくことに取り組み続けてゆけば、いつの日かボクの目標にたどり着ける日が訪れるはずなのだと。
だから、嗅覚を磨きダメージを認識できるようになるために、そして良質な香りを認識できるようになるためには、何をしていかなければならないのかを、ボクは論理的に考え、どのような取り組みをしていくことで嗅覚という感覚が成長してゆけるのかを真剣に考え、そして思いついたことは行動に移し取り組み続けてゆくことを決意したのだ。

その積み重ねが開花した瞬間がトレーニングを始めてから17~8年ほど経った、2018年に開催されたSCAJ(日本ペシャルティコーヒー協会)主催のJCRC 2018(ジャパン・コーヒー・ロースティング・チャンピオンシップ 2018)と呼ばれる、世界的に権威のあるコーヒー焙煎の日本代表を決める競技会であった。
最大の難関である予選を通過し、決勝大会出場の6名の中に選ばれ、その結果日本3位になることができたのだ。
これが意味することは、ボク自身の感覚が向上し、良質さを感覚で理解することができるようになったからこそ、ボクが目標とした「良質なロースト」が施せるようになったことを審査員たちが認めてくれたものだと思っている。

ジャパン・コーヒー・ロースティング・チャンピオンシップ 2018 日本3位のトロフィと賞状

良いものを作りたいという思いを諦めきれなかったからこそ、道を探し、いろんなことを考え、そして取り組んできた。この日本3位という結果は、その歩んできた道が間違ってはいなかったことを示してくれたのだとボクはそう思っている。

ボクが取り組んできたこととはテイスティングではあるのだろうけれど、表面的な部分ではなく、テイスティングの骨格の部分であった。
そして、ボクのしてきた取り組みでは、嗅覚が成長の道を歩むこととは、感覚の解像度を向上させることであり、それが出来るようになるためには、フレーバー情報を細分化して分割することにより可能になるものであった。
最終的には香り情報を細分化することによるものであるのだが、すると香りには「感情」が寄り添っていることを実感できるようになるという、ボクの人生においてとても大きな恩恵を与えられるものになったのだ。
それは、嗅覚において香りの情報を処理をする大脳辺縁系の脳の領域の使い方によるものであり、なぜならそれは、大脳辺縁系の領域には海馬や扁桃体といった感情を司る脳の領域でもあることに起因していることであったのだ。

それはやがて、不思議な現象を体感することになる。
それは、テイスティングで使われてはいない感覚である「視覚や聴覚」においても、とても豊かに感情を感じられるようになることを実感できるようになるのだ。
それは、脳において感覚の解像度が向上するということは、すべての感覚の解像度が向上するためであるのだと考えられるのだ。

ボクが取り組んできた学びとは、実は嗅覚という器官が本来備えている働きでもあり、その素晴らしい本質の働きに気づかされるための取り組みでもあったのだ。
だからボクはそれを多くの人に伝えていきたいと思い立ったのです。

香りの情報を学ぶことにより、感受性を豊かにし、そして感性を育むための学びをすることで、人が作ったモノから、そして自然の中から、今まで以上に美しさを受け取れるようになるため、自身の人生をより豊かにしてゆけるための学びであることを確信するようになったのです。

そしてボクは、何をすることで感覚が成長の道を歩むことができるのかを自身の取り組みの経験から知っているのです。
それが、五感情報のうち、唯一香りの情報だけが感情を司る大脳辺縁系の領域にて、その情報を処理される特質を利用した、解像度を高め感性を育むという学びであるのです。




感覚(嗅覚)を成長させるためのロジックは、大脳辺縁系の使い方によるものであること。


まず「感じること」の大切さを知ってもらうために、ボクが経験してきた気づきを得られるようになるためのロジックを説明をしたいと思う。
気づきとは、見落としている何らかの問題点に着目するためのチカラであったり、新しい発見を見出したりするための「起こり」を見つけるチカラであり、これはビジネスにも繋がるとても重宝するチカラなのだと思っている。

その「気づき」を得るためには、まず「感じる」が始点になっていることに着目してもらいたい。
「感じて」→「気づき」→「考える」→「行動する」。
この論理的な筋道の順序が、とても重要なことなのだと思っている。
気づきを得るためには、何かしらを感じ、その「感じる」が起こることによって「気づき」を得て、その気づきを元に分析などの「考える」に至り、「行動」に移すことができるのだ。
問題解決のためのプロセスであったり、何かしらの改善のためのプロセスには「気づく」ことが大切であると語られているのだが、気づくための始点が「感じる」ことから始まっているため、「感じるチカラ」がとても大切であることが理解できることだと思う。

もし「感じる」ことが出来なかったとしたら、どうだろうか?
そうなのだ。
論理の出発点である「感じる」が「感じられない」としたなら、その先にはどう転んでも発展していかない問題であるのだ。
要は感じられない人は、気づけないのである。
なので論理的な視点から順序立てて考えるとするならば、始点は「感じる」こととなっているのだ。
だからこそ、「感じられるようになることが重要であり、そのために何をしていくことで感じられるようになるのか?」そこがとても大きな問題点であるのだとボクは考えたのです。

だからボクは嗅覚において香りを「感じる」ために「何をして行かなければならないのか?」を真剣に考え始めることにしたのです。

そしてその「感じること」とは、ボクの場合では「良いコーヒーを作りたい」が起点となっている。
自身の嗅覚が凡人のそれよりも劣る鈍い嗅覚の感度しか持ち合わせていないことを自覚させられる出来事があり、ボクはどうしても諦めることができなかった。
それこそが、ボク自身が嗅覚を成長させるためには何をしなければならないのか?という取り組みを始めるきっかけになったからだ。
なのでボクの場合の「感じたい」は、嗅覚において香りの情報を今以上にもっと感じられるようになりたいと思ったことが、運命との出会いであったように思っている。香りを感じられない状態では、どう足掻いてもその先には進めないと考えたからでした。

学んできた今ならば説明することが出来るのですが、五感の中でも嗅覚という器官の素晴らしいところは、他の感覚とは情報を処理される脳の領域が分離されていることに意味があると考えています。
嗅覚における香りの情報を処理がなされるその脳の領域の使い方次第で、感覚は成長の道を歩むことができ、そしてそれは感性を高めてくれる器官でもあることを後に気づくことになるためです。
その香りの情報を処理がなされる「大脳辺縁系」と呼ばれる脳の領域がとても重要だったのです。

五感の中で香りの情報だけが、大脳辺縁系と呼ばれる古い脳の領域で処理をされることに意味があり、そしてその領域とは感情を司る脳の領域でもあったのです。それは海馬や扁桃体といった感情を司る器官がその脳の領域にはあるためです。
だからこそ、香りは感情と結びつきやすい性質を持っていることになり、そして、感情と内受容感覚はつながっているため、ゆえに香りは感覚とつながっていることになる。なので、香りと感情と感覚とが繋がっていることから、香り情報が感覚を向上させるための器官として理にかなっていることは論理的に説明がつくのだ。

嗅覚以外の他の五感の情報が処理される脳の領域は、大脳新皮質と呼ばれる新しい脳の領域であり、ものを知覚したり、運動を制御、未来の予想、論理的思考、言語、計算、推理、知性を司る器官になる。ヒトの進化は大脳新皮質の進化でもあり、より高度な認知や行動ができるようになったのは新皮質のお陰でもあるとされている。

しかし、現代の人間は嗅覚をあまり使わなくなってきていると語られている。
ボクはその理由の一つに、昭和60年に賞味期限の表示が導入されることにより、食の安全性が目で確認できてしまうことも、現代の人たちが嗅覚を使わなくってしまった要因の一つではないかと思っている。
以前のボクを含め現代の多くの人たちの特徴は、口内で感じている美味しさである「味覚情報」と「触覚情報」で美味しさを捉える人たちが多くなり、香りの持つ情報の本質まで感じられる人はとても稀である。
ゆえに口内情報の美味しさを感じ楽しんで生活をしている人が圧倒的に多いのは、時代背景も大きく影響しているのだと思っている。
しかしボクは、香り情報を感覚として認識できるようになりたかったため、どのような取り組みをしていけば、香りの情報を器官でキャッチできるようになるのかを真剣に考え、そのために論理的に考え取り組むことになっていった。
それは、感覚で感じ取れないのなら、論理的に取り組むことしか考えつかなかったからなのだ。

なので、ボクが香り情報を徐々に認識できるようになり、感受性が向上し、感性が育めるようになった背景には、論理的な思考による取り組みがあったためであることが大きな理由の一つであると考えている。
そこで、ボクには「感覚」が備わっていなかったため、どうしたら感覚が備わるようになったのかと述べると「言葉」がとても重要な位置づけにあったのだ。

それは、「言葉」とは「ある状態を示している」ものであると認識をしていたためである。なので、言葉の意味を理解することとは、感覚において「状態」を感じられるようにならなければならないことを意味している。
なので言い換えると、ボクは「状態」を感覚で感じられるようになるための取り組みをしていくことになったのです。

感覚が成長の道を歩むためのロジックとしては、まず香りの情報量の膨大さこそが、その要因の大きな理由であると考えています。
その膨大な香りの情報量ゆえに香り情報を細分化することが可能になるからです。

そのためには、まずフレーバー情報を分割して、感じられるようにならなくてはならないことを、いつしか思いついたのです。
なぜなら、フレーバー情報とは、味覚・触覚・嗅覚の3つの感覚を使い、口の中で広がるフレーバーを感じているためです。
なので、まずは「フレーバー情報を分割」して感じられるようになることが出来るようになることで、口の中で感じている情報がどの器官で感じている情報で、何を感じているのかを詳細に脳で感じられるようになると考えたからなのです。

それが、「フレーバー情報の分割」であり、それが出来るようになることとは、味覚・触覚・嗅覚の3つの器官のそれぞれの情報を分割をすることに繋がる道でもあったのです。

「フレーバー情報の分割」の次のステップの学びとしては、嗅覚情報の分割の延長線上にある「香り情報の分割」に取り組むことに繋がっています。
その理解が深まることにより、フレーバー情報の解像度を高めることであったことを感覚において理解できるようになります。
すると、フレーバーコメントも解像度が上がってきているため、徐々にコメントすることが出来るようになるはずです。

本来は、カテゴライズをしていくことが目標となるのですが、そのためにはまずフレーバー情報を分割して感じられない限り、その次のステップである「香り情報の分割」に至ることが出来ないため、まずはフレーバー情報を分割することに取り組まなければならないのです。

そのフレーバー情報を分割する取り組みを「フレーバーの景色を見るための取り組み」とボクはそう呼んでいます。

フレーバー情報の分割が正しく認識できるようになることによって、「カテゴライズ」ができるようになってくる。
カテゴライズは、何のためにしなくてはならないのかを説明すると、フレーバーとは折り重なり合うように、幾重にもカテゴリの異なる、またはカテゴリが同じフレーバーがあたかも一つの情景であるように感じている。
が、しかし、本来は幾重にもカテゴリの異なる、またはカテゴリの同じフレーバーが重なり合っている状態であるため、「カテゴライズ」が出来るようになることにより、いろんなフレーバーが「重なり合っている状態」だと脳が識別することが出来るようになるため、重なり合うフレーバーを認識できることからフレーバーコメントもかなり適正になり、そしてそれは分割による理解が及ぼす感覚の解像度を引き上げることにも繋がっているのです。

そしてやがて、香り情報の分割における解像度が高くなってくることで、香り情報のボリュームには「位置情報」が含まれているということを感覚として理解することが出来るようになってくる。
すると、カテゴライズで感じていたボリュームの理解から、さらに立体的に感じられる「位置情報」であることを認識することになるため、それにより脳内における配置図を構築するための「マッピング」を可能にさせることに繋がっている。
マッピングが出来るようになるためには、香り情報の分割がさらに進み、香りの「色と形」の理解がさらに進むため、特に「形」の理解から「品質」という概念の特定が進むことから、香り情報の「品質」を学ばなければならないことを認知することにやがて繋がる。
すると、マッピングという配置図を脳内に構築出来ることにより、さらにフレーバーコメントは的確になり、感覚の解像度はさらに向上することになるため感覚は成長の道を歩み、それはやがて感性を育むための「感じるチカラ」が備わってくることから、それを学ぶことが可能になってくるというロジックである。

脳内に香りの配置図という立体的なマッピングが施せれるようになる頃には、「香りの質」という概念が介入することになる。それは、それぞれの香りの特質の繋がりという関係性が見えてくるために、理論的に正しい位置に配置をすることがマッピングであるという認識に至るはずである。
するとそれは、「質(クオリティ)」とはどのような状態を示すものであるのかを意識せざるを得なくなることでもあるのだ。
良質さを理解するためには、品質の目線を学ぶ必要性があり、すると良質さとは「美しさ」でもあるという認識を持つようになる。

そうした場合に、感性を育むという学びとは、自身には存在してはいない他者が感じている美しさの視点に気づき、その美しさの目線を自身に取り入れることであり、それをすることにより、自身の中に他者が感じている美しさの目線という感覚を増やしていくことである。
それこそが、感性を育むという学びであると考えている。

そのためには、まずは他者が感じている美しさの視点に気づかなくてはならないため、感受性が高くならないことには気づくことすらままならないものであることを経験から理解をしているので、感覚の解像度を向上させていく学びがあることによって、感性を育む学びに繋がっているため、これまで取り組んできたトレーニングはすべて繋がっていることを実感するはずです。

感覚が成長の道を歩むためには、香りの情報を大脳辺縁系の領域によって細分化して解像度を向上させることにこそ意味がある。それはその脳の領域には海馬や扁桃体という「感情」と密接な関係性のある器官の存在が大きく作用している。
きちんとしたマッピングが構築できるようになる頃には、香り情報における「品質という概念が介入」することにより、香り情報に含まれている「色と形」における「品質という概念」の理解が進むため、それに寄り添っている「感情」を徐々に感じられるようになってくる。
すると、良質な香り情報には、とてもうっとりとする「美しさ」が持ち合わせている「感情」を受け取れるようになることを意味している。
そしてそれは、感覚における解像度の向上とは、他の五感においても「色と形」から美しさを認識できることでもあるため、嗅覚だけでなく視覚や聴覚においても「色と形」から同じように美しさを実感できるようになるものであった。

これを実感するようになる頃には、自身の感覚が向上してきていることを実感すると共に、自身の感じるという世界観に変化が訪れていることに気づくことだろう。
それこそが、美しさを自身の感覚で感じられるようになってくるというものである。

また、香りに寄り添っている「感情」を受け取れる人とは、とても希少な存在の人たちであると認識をしている。いわゆるマイノリティな人たちである。
一般的には、それを共感覚と呼ばれている感覚情報になるのだと思っているのだが、取り組み次第では誰でもが感じられるようになれることだと考えている。ボクはトレーニングでそれを感じられるようになったからである。

それは、香り情報の学びからしか辿り着くことが出来ない感覚の育成であり、その感じるという感覚の素晴らしさには、いろんな気づきのための「起こり」にも繋がっていて、そして感覚において良質さ(美しさ)の理解の深まりとは感性を育むことに繋がっていることであり、それは感受性が豊かになることから美しさには感情が豊かに寄り添っているため、それに癒されるものであることを理解することでもあると思っている。

この素晴らしい感覚の世界観を感じられるようになりたいと思う人たちや、ボクと同じように良いモノを作りたいと切実に思う人たち、ビジネスに繋がる気づきを今以上に得たいと考えている人たち、美しさの理解を深め感性を育みたいと考えている人たち、そしてワインやコーヒーなどのフレーバーを的確にコメントしたいと考えている人たちに、それらを得られるためにしなければならない学び方というものがあることをボクはそれを経験から知っている。だからこそ、それを伝えていきたいと思えるようになったのだ。

その取り組みとは論理的に「何をしなければならないのか」という取り組りのひとつひとつを順序立てて取り組むことで、感覚は成長の道を歩むことが出来るようになるものであることを経験から知っているからである。


嗅覚を成長させようと取り組むことになった、きっかけの出来事。

ここからは、ボクが歩んできた道を振り返り説明をしていくことにする。
何をすることで、感覚が成長の道を歩んでいくことができたのかを、説明していきたいと思っている。ただしボクは20年以上かかってここまで来ているため、感覚の解像度を向上させていく取り組みで大切なことは一歩ずつ確実に歩んでいくことであり、取り組む順序こそが大事である。

まずは、取り組み始めることになったきっかけの話しである。

まだボクが自分のお店を持つ前に、大阪のコーヒー会社である(株)ヒロコーヒーで焙煎の仕事に従事していた頃の話になる。
その当時のボクは焙煎責任者を任せられていたのですが、その当時はまだコモディティコーヒーを全般的に取り扱う時代背景でもあり、コモディティ商品の場合には仕入れの目利きもそれほど必要視されてはいなかった。
しかし、少しずつではあるのだがスペシャルティコーヒーの存在も知られ始めるくらいの時期で、スペシャルティコーヒー協会がコーヒーテイスティングのセミナーを徐々に開催するようになった時代背景であった。

そんな時にテイスティングの初級セミナーに参加した。
まだコーヒーテイスティングが普及しておらず、コーヒーテイスティングと聞くとブラジルのコーヒー鑑定士を連想させるような、一般的なコーヒーのダメージを理解するという認識しか無い時代であった。

実際に会場に足を運び、テーブルごとに4人で一つのグループを組んだ。
テーブルの上には、産地の異なる4つのコーヒーの粉がグラスの中に入れられていた。
講師から、その4つのグラスの中に一つだけダメージのあるコーヒーが入れられているので、それをグラスを手に持ち、お湯を入れる前の粉の香りだけを嗅いで判定してくださいと説明をされた。

実際にグラスを手に持ち、粉の香りを4種類嗅いでみると、ダメージだと言われた香りがよく判らない。
「これかな?こっちかな?」とボクは悩んで一つに絞った。
すると、同じグループになった一人が、ボクに聞こえるか聞こえないくらいの声量で、「うわっ、これもう嗅ぎたくない。」とボソッと呟いたのだ。

「えっ?ボクはどれか悩んで一つに絞って決めたのに、この人は、臭いからもう嗅ぎたくないと呟いている。」
瞬時にボクは悟った。
この人は嗅覚が敏感で、そしてボクはダメージすら理解が出来ない嗅覚の持ち主だったのだと。
それはとても、とってもショックな出来事だった。

そしてその結果も、やはり正解は臭いと呟いた人で、ボクは不正解。
ボクはしばらくそのショックから立ち直れなかった。

それは自身がダメージすら認識ができない嗅覚の持ち主だったからである。
それは、良い仕入れが出来ないことを意味しており、そしてそれが認識出来ないということは、良質なローストの味づくりも理解できてはいないことを意味しているためである。
もはや、良いものを作ることは叶わないことを意味していた。
人生とは残酷なものなのだ。

しかし、その事実をやがて受け止めることができてからは、やはり諦めることができない自分がいることに気づいた。
そして、諦めきれないからこそ、発想を変えることを思いついたのだ。

「嗅覚が鈍いのならば、嗅覚を敏感にすればいい。」のだと。

感覚を成長させるための取り組みの始まり。

ボクは自身の嗅覚が鈍いということを人生で初めて自覚をした。
この自身の感覚がどのくらいのレベルであるのかを認識することは、学ぶ上でとても大切なことなのだと思っている。

これまで取り組んできたことから、以前のボク程度の嗅覚の持ち主は意外と大勢いることに気づいている。
それは、J.C.Q.A 認定コーヒーインストラクター1級の資格を取得したのですが、その検定試験の内容には学科と実技の鑑定技術が求められ、以前のボクと同じように香りのダメージをきちんと認識できる人は案外少ないことに気づいている。
ちなみに学科と実技ともに80点以上取得しなければならないため、合格率は20%前後になるため以外に難易度が高い認定資格となっている。

2022年に取得した、J.C.Q.A.認定コーヒーインストラクター1級の認定証

それを踏まえた上で、自身の感覚がどのくらいのレベルであるのかを自覚することが大切であり、自身の感覚を驕らないこと、そして自身の感覚を信じること、その2つの視点が大切であることに気づいている。

あと自身の自己分析も大切である。
ボク自身のスキルで、実は自負していた能力があることにも気づいていた。それは、論理的に考えるという能力であった。
もともと理屈っぽい側面はあったのだが、勘違いしてはならないことは「理屈や理論」と呼ばれるものと「論理」は、まったくの別物であることを認識しなくてはならない。
理屈や理論は検証がなされていない空想や妄想の類のものであるという認識である。なのでその理屈や理論が本当に正しいものであるという検証こそが大切なことなのだと考えている。
なので「論理」とは、理屈や理論という考え方を元にして、その出発点と到達点を明確にし、到達点にたどり着くための正しい道順こそが重要であり、正しい道を歩いてゆくために常に「いま歩いている道は正しい道であるのか?」を検証をしながら歩んでいくことによって、到達点にまで繋がっている一本の道を示しているものが論理(ロジック)であるのだ。
なので論理的な思考にもとづいて、嗅覚を育成させるためにしていかなければならないことについて論理的に考えることとは、まずはその出発点を間違えてはならないことを意味している。

ボクの場合の取り組みでは、まずダメージすら認識できていない嗅覚だったので「ダメージとはどのような状態の香りであるのか?」その理解を深めることであった。
そして、そのダメージの香りが認識できるようになれば、その反対に位置しているものが良質な香りであるのだと考えてみることができた。
また、認識するということとは、その「言葉の持つ意味を理解すること」でもあるのだと考えた。

その当時、まず香りを感じるための取り組みについて思いついたことは、テイスティングと言えばワインだった。
なので、ワインの初級セミナーに参加することにした。
そして同時に、ワインや日本酒、ウイスキーやお茶などに従事している人たちの著書をいろいろと読むことにした。
それは、嗅覚を成長させるための参考書が存在していないためであった。
なので、仕事として嗅覚を日常的に使い香りのことに詳しい人たちがしている取り組みや、その日々の生活、あわよくば嗅覚を成長させるトレーニング方法が記載されていないかを探すことにしてみた。

しかしながら、ワインのセミナーに参加しても、嗅覚を育成するためのヒントは見つからなかった。だいたいが世の中で活躍している人たちとは感覚優先なため、自然に感じ取れてしまう人たちなため、どうしたら感じられるようになるのかを悩む必要がないのだ。
なので、とりあえずヒントを見出したくて、いろんな本を読み漁ることにした。

嗅覚を仕事で使う人たちの著書の中で、とりわけ嗅覚が優れている人たちの著書を幾つか読んでいくうちに「共通点」があることに気づき始めた。
嗅覚が優れている人たちが日常的にしている共通点を見つけることが出来たことから、その共通点をとりあえず真似してみることにした。
それが、自然の中を散歩することであった。論理的に考えてみると、自然の中には、いろんな香りの存在があるため、嗅覚が敏感な人たちは自然の中に漂っている香りの変化を楽しみながら、その香りをインプットしているのだろう。
そんな風に考え、ボクも休日には散歩をしながら自然の中に存在している、いろんな香りを嗅ぎながら散策をするという散歩を真似することにしてみた。

そして、テイスティングと言えば、香りのインプットであることを本から学んでいたので、見様見真似で、香りを嗅いで脳内に香りをインプットしていく取り組みを始めだした。
ただしこの時点では、本当に大切な香りのインプットの本質を理解しているはずもなく、香りを嗅いで、その素材の香りの「らしさ」を覚えていくことに取り組むことをしていた。
今ならば理解しているが、フレーバーを分割し、香り情報を細分化することが出来ない限り、本当の意味の「らしさ」を捉えることも難しいことであると理解をしている。

またフレーバーの情報には、液体の質感の理解も必要であったことから、液体の質感の理解を深めるために、液体としては一番シンプルである「お水の飲み比べ」をしていくことを思いつき、浄水器を通したお水と、浄水器を通さない水道水を毎日飲み比べるという取り組みを1年間取り組み続けてみた。
すると夏は解りやすいが、冬は解りにくいという温度差における感覚の感じ方を理解することに繋がった。そして1年が経つ頃には、やがて触覚における質感の理解が深まり、嗅覚における香り情報の質感も少しは理解が深まっていた。そしてこの取り組みでは、触覚における解像度を上げることに繋がったのだと思っている。

そして、香りについてずっと学んでいると、嗅覚が優れている人をなんとなく見つけれるようになってきた。そして、嗅覚が優れている人たちを観察することが出来るようになっていくのだった。

嗅覚が優れている人たちを分析してみたところ、嗅覚が優れている人たちは繊細ないろんな香りの情報を「意識をしなくても器官でキャッチすることができている」ため、その無意識にキャッチ出来ていることを、ボクは意識をしてキャッチできるようになれれば良いのだと思うようになった。
なので、嗅覚が敏感な人たちが無意識にしていることを観察して見つけていけば良いのだと考えるようになり、嗅覚が敏感な人たちの目線を意識をして取り入れることを思いついた。
この考え方は後に、良質さという美しさの目線を自身に取り入れるためにしなければならないことに繋がっていることにやがて気づくことになる。

他人の目線を見つけるためには、言動と行動の2つの視点から探ることができることに気づいていたのだが、そのためにまずは、嗅覚が敏感な人を見つけなければならないことを意味していた。
そして、その嗅覚が敏感な人を見つけるという目線も、言動と行動の2つの視点から探せれることにも気づいていた。

女性に多いのだが、雨が降る前に風に乗って漂ってくる「雨の匂い」を口にする人たちが少数ではあるのだが居ることに気づいた。
ちょうどその当時付き合っていた女性が、「雨の匂い」を口にしていてそれに気づいたのだった。

しかし、実際にその「雨の匂い」がする時に、同じ空間に居ても、ボクはその雨の匂いをキャッチすることは出来なかった。
これが、香りを感覚(器官)でキャッチ出来ていない問題なのだと思った。
要は、感じとれていないという現象であった。

とりあえず香りを自身の感覚でキャッチ出来ていないという問題について、その場合の問題点を科学的に分析して理解することも必要なのだと考えることにした。
香りとはどのような状態のものであるのか?
また、香りを感じるメカニズムとは、どのようにして感じられているのか?

である。
知識として理解をし、自身の問題がどの地点で発生しているのか?を見極めるためでもある。

そして、その時は理解できていなくても後に理解できるようになるために、とりあえず、その「雨の匂い」を感じている人に対して、どのような香りであるのか?という香りの分析をお願いしてみることにしてみた。
すると、なんとなく香りの情報を紐解いて説明してくれるものであった。
その際のコメントが、「土のような香りかな。でもいい香り。」というような情報であった。
それが後に香りはグループ(カテゴリ)に分類しなければならないことを知るきっかけに繋がっていった。

自身の分析では、興味がないものに対してとても無関心な性格であることに気づき始めていたので、もしかしたら関心のある香りと関心が無い香りが存在していて、脳に関心の無い香りの情報はインプットできていないのではないのだろうか?
そんな考えが思いついたので、これからは香りのすべてに興味を持つことにし、世の中のすべての香りを嗅ぎ脳にインプットするという発想を思いついたので、その日から実践することにした。

そして何年か経ち、独立をし自分のお店を持つことになった。
しかし感覚は成長の兆しが訪れないままであったが、取り組み自体は諦めないままずっと続けていた。

自分のお店は、スペシャルティコーヒーを専門で取り扱いたいと考えていたからであった。
まだ自身の感覚の成長は、ほとんど進んではいなかったのだが、スペシャルティコーヒーのCOE評価基準は学び始めていた。
その取り組みはフレーバーを分割する取り組みのためにかなり貢献し、それはやがてカテゴライズとマッピングに繋がるための取り組みでもあった。

そして、その当時お客さんとして来店されたとある女性のコーヒーを飲んだ瞬間のコメントに惹かれた。
それは、コーヒーを学んでいる訳でもないのに、
「このコーヒーの酸味は明るいですね。」
とコメントをしたからであった。

それから、そのお客さんが来店されたときに、行動とコメントを意識することにした。それは行動とコメントからその人の感覚のレベルが垣間見えるためである。
そして興味を持ってしまったことから、後に妻となった。

今ならば言えることなのだが、感覚の成長は一人では難しいことに気づいている。
それは感覚の成長において重要な気づきとは、同じモノを一緒に食べたり飲んだりした際の相手のコメントの中に自身の感覚には存在しないコメントが登場した時に、それがどこを示しているものなのかを探すことにこそ意味があるからだ。
一人では、自身には感じていない感覚には気づけないものであるからだ。
だから、そこに気づくためには複数の人たちと同時に同じものを飲んだりするセミナーはとても有効的であるのだ。
しかし、その際に大切なことは、嗅覚の感度が敏感であり、そして良質さを感覚として理解をしている人が同席をしていることに意味がある。
自身と同じレベルの感覚を持つ人たちの集まりからでは、なかなか気づきが生まれないことを意味しているからである。

なので、一緒に食事をしたり、一緒に生活をするようになり妻の述べている目線に徐々に気づけるようになっていったのだ。

そして、香りの情報が持っているボディ感を自身の感覚で初めて理解できた瞬間は感動をした。
この頃から、フレーバー情報とは、味覚・触覚・嗅覚の3つの感覚が絡んでいるため、この3つの感覚において、「フレーバー情報を分割」させて感じられるようになるために取り組み始めていたからであった。

ボディ感というボリューム感に良質さを感じ得ることが出来ると、ボディ感の良質な”ふくよかさ”とは、香りの広がりに芳醇でキメの細かな粒子の集まりでもある「密度感のあるボリューム感」と口の中に広がる触覚から伝わる「液体の質感」のボリューム感という2つの感覚から成る”ボディ感”というボリューム感を「双方の感覚で感じられるため」に、圧倒され感動するのだと気づいたのだ。
どちらか片方の感覚で受け止めるのではなく、フレーバーとは3つの異なる感覚すべてで感じられるようになることで、ボディ感という現象を感じられる情景がちがっていく感覚を覚えるようになったことを今でも覚えている。

香りの情報の分割が、感覚の変化を起こさせる。

次に明確に理解ができるようになっていったのは、酸味の明るさについてだった。
初期の理解では、酸味の明るさは明確な理解ではなく、印象的というような感覚であった。
例えるのなら視力が弱く、モノははっきりと認識できないが、光が差していて明るさは認識できている。そんな印象である。

スペシャルティコーヒーの場合では、”爽やかな明るい酸味”があるコーヒーが良質であると述べられているくらい大切なことであるのだが、なかなかそれを感覚で認識することは難しいことであった。
それを理解できるようになったのは、スペシャルティコーヒーを学ぶということは、コーヒーテイスティングにおいて評価基準を学ぶことでもあったためである。

コーヒーの評価基準の中に、アシディティ(酸の質)という項目があるのだが、その理解が”爽やかで明るい酸質”であり、それを理解したことで、良質な明るさを理解した。
それはスペシャルティコーヒーの良さとは言い換えると酸味の良さでもあると語られるくらい、酸味に品質が登場しやすいためである。

そして爽やかさとは、どのような状態を示す言葉であるのか?
言葉の持つ意味とは、1つだけで成り立っている訳ではなく、複数の意味が一つの言葉には集約されていたりする。なので、その言葉の持つ意味のひとつひとつを学んでいくことで、徐々にその言葉の持つ本質に近づいていけるものであるのだと考えている。
そして、言葉の持つ意味には、相互関係の位置に存在する対義語の意味も同時に理解することで、よりその言葉の持つ意味が深く理解できるようになってくるためである。

すると「明るさ」に存在している情報とは、香りの持つ情報の「色の情報」にあることに気づくことに繋がったのだ。

そして「爽やかさ」と「明るい酸味」の状態を、味覚・触覚・嗅覚の3つの感覚において理解することにより、明確にそれを理解することが出来るものであった。

そこまでたどり着くまでには、スペシャルティコーヒーのCOE評価(8項目)という存在の影響が多大にあったのだと分析をしてる。
それぞれのコーヒーを評価するために、評価項目における各項目(8項目)においてそれぞれ評価を数値化することを学んでいったからである。
これこそが「フレーバーを分割して感じること」でもあったのだ。
そして、これまで取り組んできた、フレーバーを分割して感じるという意識の延長線上に、「香りの分割」の意識が芽生えてくるように思っている。

この「香り分割」の意識において、香りの「色」が感じられるようになってから、いろんなことが理解できるようになっていった。
それは、色には感情が含まれる要素でもあるため、分析力がかなり向上していくこととなるためである。

なので「ボディ感」の理解と「香りの色」の認識により、香りの情報を分割することこそが重要であり、それがボクの言う「フレーバーの景色」として脳裏で感じられることが、フレーバーコメントを的確にするためにも有効であるのだ。
そしてよりきちんとしたフレーバーコメントを的確にするためには、カテゴリごとにフレーバーの情報をインプットすることが求められる。
それが出来ると、異なるカテゴリが折り重なっていたとしても、脳が折り重なるカテゴリの違いを認識できるようになるためである。
なので、フレーバーコメントを的確にしたい場合にも、正しいカテゴライズができるようになることが求められるのである。

そして経験上、その先の感覚の向上には、平面的な認識であるカテゴライズから、脳内に立体的な配置図を構築するマッピングが重要になってくる。
これは、自身の感覚とボクよりも感覚の良い人たちのコメントの違いから気づいた認識からたどり着いた奥義のようなものである。
このマッピングこそが最重要課題となっていて、自身でも現時点でこのマッピングをいかに詳細にまとめ上げていけるかに取り組んでいる最中となっている。

そして、感性を育むことは、これも一人では到達ができない課題である。

感性が育つことで得られるもの。

嗅覚が覚醒し、脳で捉える解像度が向上することによって、感じる感覚のレベルが向上し「感じられるようになる」という不思議な感覚が芽生えてくる感覚を覚えるようになる。

不思議なことであるのだが、目で見る目線に変化が訪れるようになる。
それは、今までの人生では意識していなかった美しさを感じられるようになるためである。
そして、光の色と物質の色を認識し始める。
すると、今ままで無意識でしか感じていなかった「光」を意識し認識し始めることになる。
すると、自然の中で感じる美しさや地球で暮らしているという美しさに対して、人生で初めて驚嘆をすることとなる。

そして美術品とは、とある美しさをそこに表現したものである。
なので美術品の中に存在している、美しさを今まで以上に感じられるようになってくる。
それは自然界に存在しいている美しさをモノに置き換えて表現されているものであるためである。

感覚が向上してくると、香り情報の色の情報には感情が寄り添っていることが認識できるようになってくる。そしてより美しい香りの色の情報には感動するほどの感情が寄り添っていることが理解できるようになる。
すると、目で見ている色の情報からも同様に、色彩に潜んでいる感情を感じられるようになってくるものである。
そして、不思議なことなのだが、音にも色が感じられるようにもなってくる。
それらが美しいものであることは、その色の状態が教えてくれていることにも気づけるようになってくるものであった。

一般的には、それらを共感覚だと言われているのだが、香りを分解できるようになれば、誰でもがそれを体感することができるようになるものであると思っている。
ボクはそれをトレーニングで感じられるようになったからだ。

モノづくりにおいて美術館に足を運ぶこととは、その美しさの目線を気づかせてもらえる可能性が大きいからでもあった。
何回も同じ作者の美術館を訪れることの意味もそこにある。
ボクが足を運ぶ浜松市の天竜にある秋野不矩美術館もそのひとつであり、ここ数年は東山魁夷さんの美術館にも度々訪れることになっている。
日本画の技法はローストの技法と相性が良いとボクは考えているので、その美しさの成り立ちを学ぶことで、その美しさの技法をローストに置き換えて表現をするためである。

感受性が豊になるにつれて、目で見ている絵画を脳裏で風景として感じられるようになるため、音や動きが感じられるようになる。
そこには感情が刻まれているため、より美しさを得られる作品には、心地よい居心地のよい温もりを感情として感じられるようになる。
それは色による色彩と色調から、そして彩度から感情を受け取り、形からも感情を受け取れていることに気づき始めることでもあった。

コーヒーは液体であるが、香りの情報には「色と形」が感じられるものでもあるため、思い描く表現によって、「色」の表現と、密度感という「形」の表現から、感情に届けられる味づくりが可能になることを意味していた。

言葉の持つ意味は普遍的であることを認識するため、表現としての言葉の選び方にも気を配るようになってくるものでもあった。

フレーバーコメントを的確にできるようになることは、感性を育む前段階である程度は到達できる要素でもあると思うのだが、良質さを学ぶことで、いろんなことの理解が明確に進むため、感性を育む学びまで是非取り組んでもらいたいと思っている。

人によって感覚の感度が異なるため、感覚が成長するための時間は人それぞれ個人差があるものだと認識している。
ボクの場合では、嗅覚を育てるためのロジックを知っている人もいなければ、そのヒントさえ存在しない段階からスタートしいているので、20年以上の歳月がかかってしまった。
だが、諦めない気持ちと、論理的な思考を持つことで、今のボクは感覚と感性を育むことが出来るようになった実感があるが、まだボクが目指す「良質なローストの味づくり」が完成しているとは思っていないので、これからも感性を育むために、ボクには存在してはいない他者の美しさの目線を取り組み続けることが、この先のボクの目標であり人生の楽しみとなっている。

良質さ(美しさ)とは、それ自身が持ち合わせている前向きな感情にある。
美味しいだけではなく、それが持ち合わせている「感情」こそが人が明日を生きる活力に繋げていける要素でもあることに気づいている。
良質さ(美しさ)には、とても素晴らしい前向きなチカラが宿っているものである。

それを作り出せるのも人であり、それを読み取れるのも人である。
だから、それらを作り出している人のためにも、それを感じられるような人を育てていくためにも、これを書いているのです。

なりたい自分になれるように取り組むこと。
それが、学ぶ意味なのだとボクは思っています。


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