石谷 患者

よろしくお願いします。人生を色々で済ませないために、書いてみようと思うのですが、難しい…

石谷 患者

よろしくお願いします。人生を色々で済ませないために、書いてみようと思うのですが、難しいです。

最近の記事

眠り箱

和子の場合 わたくしは、夜という大きな濁流の前に、ただ一つの箱でありました。小さな小さな箱でありました。わたくしは、その濁流をこの箱の中に閉じ込めて、あふれそうになるのをどうにかおさえながら、ふたを閉めようと一生懸命です。 わたくしは、ふたを閉じようとしながら、どうしても上手に弾くことのできないお琴の一節を思い浮かべました。頭の中ではこんなにも綺麗に響く音色が、わたくしの手を目の前にすると、きっとどこかに隠れてしまうのでしょうか。 そんなお琴のいやな音色さえ、濁流は押し

    • 座席の真ん前に立った人の顔を見上げたい

      今日は荷物が多い。全集とノートパソコンと大量のプリントが入った原型を留めないクリアファイルとは、リュックの中では共存できないものである。そこでトートバッグのお力を借りる。これではとても立ってはいられまいと今日は東西線で座席に座った。 今私の目の前に立っているこの人間は、白いスラックスに太めの茶色いベルトを締め、どこか昭和クラシックな雰囲気が漂ういでたちである。 ミッフィの顔の下部にある「×」の正体がわかってしまった途端、魅力が半減すると言った人がいるが、不明瞭な部分がある

      • 雑記:言葉は死にたがる

        言葉は死にたがる。必死で生きたがった言葉たちが、死にたがっている。その死にたがりな言葉たちは、今密かに意味を希求する。 意味は放棄することはできない。意味は放棄しようとすることしかできない。意味は死ねない。死にたがることしかできない。 私が話す言葉は、生きたがっていてほしい。死にたがる言葉は、死にたがった言葉として伝わってほしい。言葉を死なせたくはない。手元の画面の中には、死にたがっている言葉たちが群がっている。 人間、ウイルスの猛威でも災害でも全滅するものではない。だ

        • 光源

          朝の眩しい光で私は私を知った 自分の分の図書館の貸し出しカードを探しながら私は私を知った 「押してください」という自動ドアの無意味な文字に触れて私は私を知った あの人のことを考えながら私は私を知った 切れそうな栞紐を千切って私は私を知った ベネディクト・アンダーソンのしたり顔を見て私は私を知った 後ろで雀が地面に打ち付けられる音を聞いて知った ある波のひとつを聞いて知った 私たちは、勢いよく閉められたドアの残響の中で生きているのだと知って 私は私を知った

          春っぽいから詩

          ──冬と春の間 冬が春に殺された その復讐として 惜別がある その痛みに 人は泣く 春が冬を刺し殺す その現場には 血のような桜が咲く その温みに 虫が湧く 春はその重責に耐えられず 自死して散った その遺書として 鳥は鳴く それを儚いと いう勿れ 定義ばかりにこだわって みんな泡を手放した 心に染み入るものはなくなった 雲煙は 水たまりにならなければ踏まれない 人工言語の偽陽性 トポロジーの可用性 生具観念の蓋然性 この世界に宿る数々の儚さを 季節のせいに

          春っぽいから詩

          大学4年間で巡った文学色々 Vol.1

          書き出し、駄文 夜行バスを降りると、朝焼け前の温度の低い空気が地を覆っているのが目に見えた。凝り固まった肩から熱が奪われ、正常な位置にないであろう肩甲骨がそのまま硬化されていく。思わず独りで伸びをした。 近代文学と新たに出会い直し、文学について考え直した大学4年間だった。この間、それなりに文学碑や旧居跡、ゆかりの地などを巡ったつもりだ。まだ行きたい場所も知らない場所も多い。だが、人生はおそらく長い。人生は長いというより、人生が長いのだ。私には有り余るほど。これからゆっ

          大学4年間で巡った文学色々 Vol.1

          ほんの少しのモーヴ

          大地がめりめり剥がれるような音がする。 今日はそういう波だった。 私の中のモーヴは、薄みがかった紫などではない。 全てを暗くする、闇のような紫。 雨天の場合は公園に行く。 隅田川の松の下 SNSは血塗られている 血反吐でしか表現できない言葉ってなに アウトレットの化粧品売り場にいる人たちを 村人Aみたいな無個性にしたがる私きもい 国語便覧が国語好きのバイブルになってるのどうなの 愛の究極形が他者への愛なんて 綺麗なもの見させないでくれ 自己への愛ってことにしてくれ

          ほんの少しのモーヴ

          いのちの寂しさ生きる淋しさ

          長い前髪をいつも鬱陶しそうにしていました。 私は切ればいいのにと思いましたが、自分を何かから守るみたいに、何かの防具みたいに大事そうに前髪を装備しているのでした。 前髪を伸ばすのは防衛本能なのでしょうか。 私の後ろの席で、いつも鼻息の音がメトロノームみたいに一定の拍子を刻んでいました。 鬱陶しいので、鼻をつまんで黙らせたら、呼吸困難で死んでしまうのかなと日本史の授業中に考えていました。 昔の人は地頭請なんて面倒なことをやるんだなとそのとき思っていました。 答案回収

          いのちの寂しさ生きる淋しさ

          今日は死なない

          小蝿を潰しました グラスの縁を上手に這っていたのを 汚いと思って潰しました 拭こうとしましたが なかなか取れてくれませんでした それが呪いのようにも 塵紙の抵抗のようにも感じました カマキリが道端で死んでいるのを見ました 小学校の通学路でした 蟻がたくさんたかっていました 身体が大きかったのでメスかなと思いました 学校から急いで帰ってくると もう死骸はありませんでした 蟻もいませんでした 死骸を見たのは この場所ではなかったのかもしれないとも思いました でもやっぱりこ

          今日は死なない

          きんぎょのおくち

          すいそうの きんぎょが おくちを すいめんによせてね あばあばするみたいにね わたしもおくちを あばあばさせているよ そこにはなにもないのに 何かを掴もうとして でも何も呑み込めなくて 気泡だけが 虚しく漂うのは 悲しい 捕えようとしながら 囚われていることに 気がつかない わたしは 悲しい 何も言えないわたしは 死んでしまうよ

          きんぎょのおくち

          瓦礫の中の百年

          地が震え、家はわななく。土砂は流れて人が潰れる。 百年前、この場所で起きたこと。言葉にすれば二行で終わる。 私の在家は、1923年に関東大震災の震源地となった相模湾の沿岸付近に位置する。今年は震災からちょうど百年、節目の年だ。だが、節目とは一体何か。百年が経ったことで何かが変わったのだろうか。当時の人々が負った傷は、現代にどんな影響をもたらしたのだろうか。私も含め、誰もその大震災を体験できたわけでも、これからできるわけでもない。追体験することに、意味があると、断言できるわけ

          瓦礫の中の百年

          海辺にて

          大きな音がする。波の音、空の音、大気の音。 小さな音もする。波に隠れた、しぶきの一つひとつ。空にとけこむ風の音。大気に紛れた、息の音。 光を宿した太陽の音。海はそれをうつす静かな鏡。ゆらゆら揺れて、光も一緒に瞬いている。 海と空と、大気の間に立っている、私は苦しい。 大きな音が群がって、まるで四面楚歌だ。 小さな音を聞き逃してしまう、私は無力だ。 呼吸ばかりが絶え間なく満ちている、この世界は息苦しい。 陽の光と海だけが自由に見える。 伊豆半島の山々は、もう少し

          食べ物雑記

          新東名高速道路が開通した。2012年の春である。 私が住む神奈川県を出発点に、静岡、愛知へと至る高速道路である。東京を経由していないからだろうか、この新東名が東名高速を淘汰し高速界の王者になる日が来るとは思っていない。 しかし、この高速にはささやかながら思い出がある。 そこで必要なのは2012年という開通年ではない。その数年前に行われた開通前の現場見学の日である。小学生だった私は、父と二人でまだ未完成の新東名を見学できるツアーに参加した。 汚れのない広大な道路に立つと

          食べ物雑記

          絵のサイノウ

          緑、黄色、赤、青、茶色。沢山の色のクレョンを使って美しく描かれたインコの絵は、他のどの児童のそれより立体的で、完成されていた。 それが私の作品だった。幼稚園の壁に貼り出された作品の中で、先生たちもママたちも、私のものが一番上手いとほめてくれた。 大人たちの「すごいね。サイノウあるね」という言葉を聞くたびに、不思議なほどの満足感と喜びにとまどい、あわてて指をしやぶった。 指のほのかな塩気が、心を落ち着けた。 それからも、私は美術のサイノウとやらを発揮した。 小学校の時

          絵のサイノウ

          最小限度の憂鬱

          祖父は農業大学で学び、卒業後すぐとは言わないまでも、早くに農園を開いた。長野の高原にある畑には、今でもブルーベリー、人参、キャベツなど、様々な農作物が身を潜めている。母が幼い頃は山羊を飼育していたらしく、牛乳の代わりに山羊のミルクを毎朝絞って飲んでいたという。 胎内で蠢動していたのが私であったことを母が疑わないように、私は今生きている私が私であることを疑わない。母が絞った乳の味を私が知らないように、私が吸った乳の味を私は知らない。私が生まれ落ちた膝の硬い感触を思い出せないよ

          最小限度の憂鬱

          柳田君へ

          お元気ですか。こちらは変わらず元気です。 夏の息もそろそろ絶えそうな時分です。夏が逝けば次は冬でしょう。秋というものを、私はどうも感じられないのです。まあかな紅葉を見ても、涼やかな風が吹いても、それが秋だと実感できないのです。ただ夏と冬との繋ぎ目に、季節の疲れが見え隠れしているだけと受け取ることしかできません。心が鈍っているからでしょうか。 私は最近よく信念とは何であろうかと、ぼうっと空想しています。 ポエジーは、肉体の暇に対して、頭脳の暇の中に生まれるものです。ただ、そ