いのちの寂しさ生きる淋しさ
長い前髪をいつも鬱陶しそうにしていました。
私は切ればいいのにと思いましたが、自分を何かから守るみたいに、何かの防具みたいに大事そうに前髪を装備しているのでした。
前髪を伸ばすのは防衛本能なのでしょうか。
私の後ろの席で、いつも鼻息の音がメトロノームみたいに一定の拍子を刻んでいました。
鬱陶しいので、鼻をつまんで黙らせたら、呼吸困難で死んでしまうのかなと日本史の授業中に考えていました。
昔の人は地頭請なんて面倒なことをやるんだなとそのとき思っていました。
答案回収のとき一瞬見える名前の文字がいやに綺麗でした。
言葉の言い出しが必ずつっかえていました。その度に咳払いをいていました。そのとき決まって左下を見ていました。
50円玉より10円玉の方が大きいことを疑問に思っていました。
私はどうでもいいと思いました。
秋葉原のことを「アキバハラ」といつも言い間違えていました。
小銭を財布から取り出すのが下手くそでした。
ピロティの自販機の前でいつも小銭を落としていました。
夏目漱石の『こゝろ』をきらいだと言っていました。
先生の人生なんて甘っちょろいと言っていました。
自分がKだったら先生を殺していると自慢げに言いました。
英語の小テストは必ず一番目に解き終わってしました。
でもそれは全く解く気がないからでした。
クラス中がそれに気づいていました。
筆箱は持っていませんでした。
いつもポケットにシャーペンと赤ペン、消しゴムだけを入れていました。
教室に入るとそれを丁寧に机の上に並べるのでした。
体育館に集まる全校集会のときにはシャーペンを解体して暇を潰しているようでした。その猫背な後ろ姿を見ていると、いつの間にか校長先生の話が終わっているのでした。
体育館履きのかかとを踏んで履く人でした。
その潰れた茶色いかかとを見ているとなんだか悲しくなりました。
世界中のどうしようもない寂しさと虚しさがそこに全部詰まっている気がしました。
「さびしい」という言葉は「寂しい」よりも「淋しい」の方がいいと言っていました。
うかんむりはなんだか押し付けられているみたいだけど、三水はきもちが虚しく流れ出ていくようでいいんだと言っていました。
私はさびしさというのは心臓を押しつぶすような重たく暗い塊だと思うので、むしろ「寂しい」の方がいいのではないかと思いました。
履き潰されたかかとを見て、やっぱりそうだと思います。
生まれてしまった、生命を持ってしまった重たく暗い塊が、踏み潰したかかと。
歪んで折り曲がったかかとは寂しさです。
そしてその布の流れは淋しさです。
かかとを見るとき、寂しくなる。
淋しいとき、あのかかとを思い出す。
生命は寂しく、生きることは淋しい。
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