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眠り箱

和子の場合

わたくしは、夜という大きな濁流の前に、ただ一つの箱でありました。小さな小さな箱でありました。わたくしは、その濁流をこの箱の中に閉じ込めて、あふれそうになるのをどうにかおさえながら、ふたを閉めようと一生懸命です。

わたくしは、ふたを閉じようとしながら、どうしても上手に弾くことのできないお琴の一節を思い浮かべました。頭の中ではこんなにも綺麗に響く音色が、わたくしの手を目の前にすると、きっとどこかに隠れてしまうのでしょうか。

そんなお琴のいやな音色さえ、濁流は押し流し、静かに箱は閉じられるのでした。





太宰の場合

和子は、沢田先生がいつの時代かの偉いの文人の文章をあげつらったときの、あの見開かれた狂気じみた目を思い出していた。口を動かすたびに揺れる干からびたような白髪を思い出していた。その時にノオトに飛び散った小さな唾の粒の悲しい光を思い出していた。しかし、そのどれもがただ頭の中に光景として浮かぶのみで、沢田先生の声は聞こえてこなかった。まして、先生の話していたいつぞやの文人の話の内容も、世界の屑籠に捨てられてしまったかのように、記憶のどこからも見つけられないのであった。

それは恐らく、そのような理屈じみた、頭だけ大きい、文章の知恵のようなものは必要ないと、和子自身が沢田先生を見て薄々感じていたからであろう。そのような意味のないことを興奮して話す先生を、危ういとまで感じていたからであろう。

和子は、書いていて楽しかった。「青い鳥」の綴り方の文章を書いていたときの、ただものを書くという少女の空想のような、それでいて現実のような、あの不思議な空間にもう一度入り込めてたような気がしていたのだ。





『大学生のための文学トレーニング』の中の第4章
太宰治「千代女」の課題にて以前書いた文章。

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