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絵のサイノウ

緑、黄色、赤、青、茶色。沢山の色のクレョンを使って美しく描かれたインコの絵は、他のどの児童のそれより立体的で、完成されていた。

それが私の作品だった。幼稚園の壁に貼り出された作品の中で、先生たちもママたちも、私のものが一番上手いとほめてくれた。

大人たちの「すごいね。サイノウあるね」という言葉を聞くたびに、不思議なほどの満足感と喜びにとまどい、あわてて指をしやぶった。

指のほのかな塩気が、心を落ち着けた。


それからも、私は美術のサイノウとやらを発揮した。

小学校の時のこと。

厚紙で自分のオリジナルシューズを作る課題の作品発表会で、クラスメイトが一番たかったのは私の作品「スフィンくつ」の前だった。

私は図工の時間のアイドルだった。

普段はぜんぜん注目されないから、そういう時はドキドキした。

心を静めようと、指先の皮むけに、鉛ぴつを刺してめくってみたりした。

もっとほめて、もっと見て、という声で私の心がいっぱいになりそうだったから。


今、ほめてくれる人はいない。厳密に言うと、ほめるのは言葉ではなく「いいね」という赤いハートマークの数である。

SNSで絵を発表できるようになった現在、子供の頃より絵を見てくれる人の数は格段に増えた。

しかし、あの頃のように声の高い大人たちからすこいと言われることも、クラスメイトが作品の前に群がることもなくなった。

ほめてくれる人はもういない。語りかけてくるのは少しずつ増える数字だけ。

そわそわする気持ちは、絵のページを更新するスワイプの動作で落ち着ける。

これも時の流れなのだと割り切るしかないのであろうか。

それでも、いつかのサイノウを信じて、私はまだ絵を描いている。


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